確かに、昔から「鳴っているねえ」というのは奏者の間での誉め言葉のひとつであった。それは単に大きい音が出ているという意味ではなく、「豊かな」「充実した」「輝かしい」「深みのある」音の事を指していた。その意味から、優れた奏者と言われるためには、小さい音であっても「鳴っている」ことが、必須であった。そして、「鳴っているねえ」と、奏者を主語にせず、楽器を主語にして自動詞を用いるのは、ただ勝手に鳴ってくれる楽器を褒めているのではなく、いくらかでもその評価に客観性を加味しようとしたにすぎない。
ベームは明らかに大きな音を望み、それまでの木製の円錐管だったフルートから、金属の円筒管のフルートを発明した。それ以降、いったいいつの時代に、どんな音楽的欲求から、さらに大きな音をするフルートが求められてきたのだろうか。
翻って、ヴィオラという楽器についてちょっと考えてみよう。そういっちゃなんだが、オーケストラの中でその重要な役割に比して、目立たない楽器の筆頭格である。ごめんよ。ヴァイオリンの完全五度下に調弦されるのだが、「鳴り」を保つために、弦の張力をヴァイオリンと同等にして完全五度下を鳴らすためには、楽器をデカくしなけりゃならない。ヴァイオリンが約36センチだから、完全五度下にするためには約1.5倍54センチが必要なはずだ。フルートだって、たったの4度下げるだけのアルトフルートがあの大きさだ。バスフルートに至っては、たったの1オクターブ下げるだけのために、あのばかばかしい大きさだ。だから、ヴィオラをその大きさで作ったら、はい、手が届きません。現在のヴィオラは大体40センチちょっとだ。つまりなぁ、可哀想に「鳴らねえ」楽器なんだよ。ごめんよ。言い訳しとくと、最近のヴィオラは飛躍的に鳴るようになったな。こういった事情があるなら、「大きな音」を求める動機には充分なり得ると思う。しかし、それでも突飛なアイデアが出てこないのは、ヴィオラが「弦楽器」という共通した構造を持ち、音楽的にも同じ目的を持つ楽器群から離れることができないからだ。
フルートに話を戻そう。フルートが木管楽器セクションにあって、ひとり金属管でやってこられたのは、音の出る原理が他の木管楽器と大きく異なっていたからだ。それでも、「木管楽器」という音楽的目的から抜け出すわけにはいかないのは明らかだ。あの木製の楽器でリードの振動を響かせている他の木管楽器と調和する音とはどんな音なのか真剣に考えてみれば、キャンキャン鳴る楽器で「楽器の潜在能力が増した」なんて喜んでいられないと思うんだがなぁ。一昨日の歌口の問題も、昨日のタンポの問題も同根なんだが、いったいいつから「でかい音」競争が始まったのだろう。
だまされたと思って、音程下がらないようにして、雑音乗らないようにして、ピアニッシモの練習を1時間やってみな。ひとりでにフォルティシモの「潜在能力が増して」るから。
ちょいと話は飛ぶが、フルートの低音のフォルテでむやみに倍音の多い、(たぶん誰かの真似だと思うが)、ビヤァっと、ギラギラしてべっとりとした音が、フルート奏者の間で持ち上げられることが多い。あんな音、他楽器の奏者で評価する奴は殆どいない。そんな奏者に限って、ピアノでボォーっと情けない音を出す。ピアノではなるべく多くの倍音が乗るようにする、フォルテはその逆だ。そうしないと、ピアノとフォルテで音色が違いすぎてしまう。例えば、楽器を選ぶなら、そういうことが容易にできる楽器を選べということだよ。
文句、悪口ばかり書いてきたが、楽器選びの視点がいくらかでも変わってくれたらと思う。また、高い楽器は多くの割合で精度が高く作られていて、狂いが少ないという事もお分かりいただけたらと思う。まさか、新素材の値段とか、特許料の値段で高くなっているとは思いたくもないがね。
きょうはここまでだ。