フルートの選び方・・・(4)

フルートのタンポの構造が良くわからなかったら、もう一度昨日のところを読んでみてくれ。まず誰でも考え付くのは、フェルトや紙は変質・変形するから、ぴったりトーンホールを塞ぐような別の素材でタンポを作ろうという事だよな。たぶん色々試されたんだと思う。確かにどんな素材であれ、密着して空気が漏れ無ければ音は出る。しかも、新素材で密封すると、全く空気漏れがないから、ばかデカい音が出る。でもなぁ、楽器なんだからどんな音が出るかが第一の問題。第1回目に書いたが、大きい音、うるさい音、豊かな音とある。色々なメーカーや個人が新素材を使って「狂いません!」「大きい音が出ます!」って宣伝してるけど、俺に言わせりゃ、はっきり言って、全部アウトだ。音がひどすぎる。キャンキャン鳴るだけで、ものすごく神経が苛立つ。1時間レッスンしてるとぐったり疲れてしまうんだ。音だけで、音楽が聴こえてこない。前回、「良い楽器は吹き方を教えてくれる」と書いたが、その真逆で、これは確実に奏者の音楽性を奪う代物だ。音大に入って、これらの「いい」楽器を買ってもらって、音楽ができなくなってしまった学生の話を知っている。一人や二人ではない。

新素材の宣伝をしているHPでこんな記述があった。「この響きの強さ、音量などは、広い見方でとらえて音色の相違と解釈することもできますが、実質的には表現する上での潜在能力が向上したということもできるでしょう。」ちょっと待ってくれ。楽器の潜在能力って、音の強さや音量なのか?車の性能と間違えてないか?サーキットでスピード競争をするように、フルートで果し合いでもするんなら、他を圧倒する音量や、強さは武器にはなるだろう。そうすればいい。しかし私達の本当の目的は、今まで散々書いてきたように、フルートの音を用いて音楽をし、ハンス・ペーター・シュミッツ博士の言うところの「あらゆる人間の生の精神物理学的根源の暗闇に休息しているこの核・・・」において、互いに結びつこうとしているのだ。そこは暖かい風の吹く情熱の世界であって、絶叫や悲鳴やアジテーションの響く世界ではない。もし、楽器に潜在能力があるとしたら、それは私たち人間と同じく、「どれだけの困難な局面にあっても、どこまで優しくなれるのか」といったような能力のはずだ。

ついつい興奮しちまったな。でね、素材をフェルトのままにして、狂いを無くそうという工夫も色々試みられた。ものすごく薄いフェルトにして、それを金属製の台座や、カップ形状のものに入れてそれをカップに入れるような工夫だ。これも、失敗に終わったはずだ。音、硬すぎ。時期の前後は不明だが、某メーカーは、カップの中にまず金属板を入れた。底が平らになるもんな。その上にうっすいフェルトのタンポを入れた。音が固いだけじゃなくて、キイがものすごく重くなった。大リーフ養成ギプスだな。(古い例えですまんな)。でもな、大リーグ養成ギプス付けたまま試合に出ちゃまずいでしょ。そこで、その金属板に穴をあけて軽くしたんだよ。するとどうなったと思う?半年たったら、タンポの表面にその穴のポコポコが浮き出てきたんだ。笑い話だよ。こんなの試作以前の話で、売っちゃまずいでしょ。車だったらリコールどころか、発売前に陸運局でアウトだ。命にかかわらないからイイとは言わせない。今でも多くのフルートはカップの中にプラスチックの台座が入っている。開けてみなきゃわからないんだが、もしそうなら、オーバーホールして自然素材に替えることをお勧めする。お金はかかるけど、自分の楽器が暖かく、優しくなって帰ってくる。その価値はあると思う。

以前、カップの大きさが、トーンホールに比べて小さめに作られた楽器に出会った。有名メーカーの高級フルートだ。カップが小さめという事は、タンポの外周近くでトーンホールに接するので、こいつの調整はどえらく大変だった。こういう所もチェックポイントになるぞ。

良い楽器は、良い職人と良いフルート奏者が出会うことによって創られる。すべての良いものは、いつの時代でも、どこにあっても、良心的で、意欲に満ちた人々の出会いによって創られる。それは、どんな天才の思い付きよりも優れたものだ。改良が音楽的欲求から生まれたものなら素晴らしいことだが、単に技術的、合理的、あるいは生産性の向上を目指して生まれたものなら、奏者の拒否にもあうだろう。メーカーの論理と奏者の論理は違う。だから私は文句を言う。

きょうはここまでだ。