昨日は、曲中に現れる終止形について書いたが、今日は楽章の最後の終止について書こうと思う。ずっと例に挙げているヘンデルのソナタの第1楽章、第2楽章、第3楽章の終結部分を抜き出してみた。
第1楽章は、Gdur(ト長調)で始まり、終わりの3小節前でe-moll(ホ短調)に転調し、その(ホ短調)のドミナント(属和音)のh-dis-fis(シ・レ#・ファ#)で終わっている。このドミナントで終わる終止を「半終止」と言い、聴いてみれば分かるが、終わっていない。なんとなく、モヤモヤとしている。だから、ここには終止線(右側が太い二縦線)ではなく複縦線(小節線と同じ太さの二縦線)が用いられており、次の楽章へ休みなく進む。アタッカ(結合)と言う。発表会なんかで、簡単だからという理由で、こういった半終止の楽章一つだけを演奏するのを見かける。頑張って次の楽章もやろうよ、セットになってるんだからさ。
第2楽章は、完全終止だ。もう見事な定形。四六の和音からドミナント、トニカのト長調で終わってる。バスのD(レ)に挟まっているC(ド)はご愛敬の刺繍音だな。ここで興味深いのは、フルートの動き。
終わりから3小節前の後半から、十六分音符が続き、終わりから2小節前の後半で八分音符。最後の小節の前半は付点音符で書かれているけど、十六分音符は次の音符を先取りした装飾音なので、実質は四分音符だ。つまり、音価が倍々に大きくなっていって終わる。これ、リタルダンドもしくはアラルガンドと同じ効果をもたらす。だから、こういう場合は、リタルダンドまたはアラルガンドをあまりしないほうが良い。こういったパターンは18世紀の音楽だけでなく、かなり多く見られるので、注意して欲しい。壮大なら良いが、冗長な終わりは避けたい。ついでに、アレグロは基本フォルテの音楽。フォルテで始まり、フォルテで吹き切って終わる。だから、最後はあまり音域が下がらないようにして、派手派手しく終わりたい・・って思うなら、これもアリだ。
第3楽章はe-moll(ホ短調)四分の三拍子、Adagioだ。
この終わりも半終止で、アタッカで演奏されるが、ここで重要なのはヘミオラ(Hemiola)だ。譜で示したように、これは、2小節にわたって二分の三拍子になっている。18世紀の音楽の3拍子系には頻繁に現れる。特に終止の部分に多くあらわれるが、この例のように曲の途中や、あるいは連続して現れることもある。これは、しっかり二分の三拍子として認識し、そのように演奏されるべきだ。慣れちゃうと、四分の三拍子では気持悪くて演奏できなくなるよ。このヘミオラも、実は第2楽章と同じ拍子拡大の一種で、やはりリタルダンドは避けたほうが良い。そして、Adagioなので、第2楽章とは反対にピアノで始まり、ディミヌエンドで終わる。しかし、チェンバロという楽器の特性で音を長く保持できない。だから、チェンバリストは最後の音にアルペジオなどの装飾を付ける。このアルペジオの頂点に合わせてフルートもクレシェンドし、チェンバロの音の減衰に合わせて、消え入るように終わるのが、素敵だ。
ヘミオラは18世紀以外でも沢山出現する。シューマンのピアノコンチェルト(第3楽章)なんざ、ずう~っとだもんな。でもこの曲、指揮者は二分の三拍子には普通振らない。二分の三で振っちゃえば超簡単なんだけど、四分の三で振ると、旋律に惑わされて難しい。昔、芸大の学生オケで、指揮科の某教授がこれ振れなくてね。いきなり「これ二分の三で振りますから!」って言っちゃって、失笑を買った。挙句、何年も語り継がれてしまった。あ! 俺も語り継いでるな。40年以上も前の話だ。この手の失敗話、一杯あって、忘れられない。本番で音が出なかったとか、ピアノコンチェルトで暗譜忘れて彷徨った教授とかね。「他人の不幸は蜜の味」なんて全く思えないね。「あぁ、俺じゃなくて良かった」感のほうが強い。明日は我が身。
なんだか怖くなってきたんで・・・
きょうはここまでだ。