非円盤主義・・・(2)

マエストロは1989年4月ベルリン・フィルの芸術監督と終身指揮者を辞任した。そして、7月死去。一般的には、ザビーネ・マイヤーの一件(1983年)からベルリンフィルとの仲が疎遠になり、ウィーンフィルとの関係を強めたと言われている。

実は、この1989年前後に世界の体制は大きく変わる。11月にベルリンの壁が崩壊し、1990年統一ドイツ成立。それは1991年、ソビエト連邦崩壊につながった。戦後の冷戦体制が崩壊したのだ。社会主義の崩壊は、それまでの西ベルリンの役割を大きく変えた。資本主義のあだ花と言われた存在から、統一ドイツの首都になったのだから。

ベルリンフィルでの演奏が少なくなり、疎遠になり、辞任に至る。それが単にあの一件に起因すると考えても良いのだろうか。背景としての時代を考えると、マエストロの胸の中で、西ベルリン的なものからの訣別が意識されていたのではないだろうか。いや、もっとはっきり言おう、冷戦構造が東側で行き詰っていたと同じように、西ベルリン的価値に組み上げられたマエストロの音楽も、終焉を迎えつつあったのだ。

彼はまぎれもなく20世紀の大指揮者であった。しかし、音楽家として、指揮者として、いったい何をしたかったのだろうと考えると、私には決して成功した音楽家とは思えない。どうせなら、もっともっと突っ走ってくれたらよかった。今、映画を舞台演劇の別表現とは誰も考えないように、それくらいの別の可能性を円盤に示してくれたら良かったのにと思う。

彼の死後、30年近くが経とうとしているけれど、その間音楽は変わったのか? フルトヴェングラーの死後、30年経った時のカラヤンが、いかに音楽界に君臨していたかを考えて見よう。残念なことに、未だに次なる巨匠の現れる気配は無い。

インターネット、ダウンロード、そしてYoutube。ここから、誰も次の可能性を見いだせていない。流されているだけだろう。どうだ? 諸君! 俺の「非円盤主義」に一票入れてみないか?

今日はここまでだ。