フルートの吹き方 癖(6)

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この「癖」の項目で最初は、各々の「たぶん良くないと考えられる」吹き方の特徴について述べた。なぜ「たぶん」という断りを入れるかと言えば、それらは他人が(先生といえども)「100%直すべき」と断言できない質のものだからだ。結果に至らなければ、それが間違っていたのかの証明はできない。しかしな、結果が出てからの後戻りもできない。人生と同じだな。親や先生の話をどこまで聞くかって話だ。俺は、ほとんど聞かなかった。だから・・・

さて、その「癖」は個別のものだけではなく、人間の持つある種の特性としても存在する。演奏者として、あるいは学習者として、それを意識に上らせることは、全体の発展に与することになるだろう。その一部として、リズムについて例を挙げた。きょうはまとめとして、まずいくつかの注意すべき点を挙げてみよう。

★長い音符はより長く、短い音符はより短くなる傾向がある。例えば、小さい音価で構成されたパッセージに続く大きい音価によるパッセージは、確実にテンポが落ちてしまう。
★「歌う」とテンポは遅くなる。「歌う」という事についてはいずれ項目を立てて書くつもりだが、そもそも「歌う」ことに内包されている要素、「立ち止まる」「訴える」などによって、推進力は失われる。

ふたつを思いつくままに書いたが、ハンス・ペーター・シュミッツ博士はその著書「演奏の原理」の中で、これらを明快に解説している。氏はその中で演奏上の様々な要素を、二つのグループに分ける。右のグループは、「明」のグループだ。例えば、速い、強い、短い、高い、固い、だんだん早く、だんだん強く等だ。左のグループは、「暗」で、遅い、弱い、長い、低い、柔らかい、だんだん遅く、だんだん弱く等だ。これらの要素は、互いにそれぞれのグループの中で、影響しあっている。例えば、「下降の音階はだんだん遅くなったり、弱くなったりする傾向がある」、あるいは「ディミヌエンドはだんだん遅くなる傾向がある」と解釈できる。しかしそこで、単純に「だから気を付けろ」と氏は言っていない。「ある局面で現れる弱点を、反対のグループの長所によって補完させる」事が、「演奏の原理」だと述べている。・・・先生!許して!まとめちゃいましたから。

例えば、下降の旋律は、クレシェンドと組み合わせると、弱くなっていく印象を防ぐことができるだろう。(もちろん必要なら、だ。)同時に、下降の旋律にディミヌエンドを組み合わせれば、その印象はより強いものとなるだろう。高音域で「歌う」なら、音は大きくないほうが良いだろう。印象が台無しになるからな。

こうしてみると「個性」とか「創造性」は究極の「癖」に他ならないと考えられる。「癖」は単純に直すべきものではなく、「人間」そのもの、「音楽」そのものと考えたほうがいいかもしれない。それに気が付きさえすれば、直すのも楽しく、利用するのもまた楽しいものだ。

モーツァルトのモーツァルトたる要素は、器楽的なアレグロの楽章に「歌う」要素を採り入れた、(Singen des Allegro)と言われる。うん。

きょうはここまでだ。