「フルートの吹き方」カテゴリーアーカイブ

フルートの吹き方 本番(1)

「本番で上がらない方法」って、キャッチーなタイトル付けても良かったんだが、「本番」ってそれだけじゃないしな。でも、「あがる、あがらない」が大方の興味のようだし、ありがたい御指南を授けてくれるサイトも沢山訪ねさせていただいた。何回かに分けて書いていくが、最後まで読んでいただければ、自ずと「あがらない」方法は明らかになると思う。ぞ。そもそも、「上がらなきゃいいの?」って、別に喧嘩売ってるわけじゃないけど、そっちの方も考えていかないとな。対症療法ばかりでは薬代がかかってしょうがない。

実は、ドイツ語で「あがる」に相当する言葉は無いといっていい。確かに、Lampenfieberって単語はあるけど、直訳すりゃランプの熱だからなぁ。さらに、和独辞典で調べると、「常軌を逸する」とか、「取り乱す」ってな意味になって、我々音楽家の「あがる」感とはちょっと違う。日本語では、「あがる」という明らかな負の意味を持つ単語があって、本番前にその単語を思い浮かべるだけで、もう「あがっちゃう」位だもん。ほとんど負の自己暗示だ。で、じゃぁドイツ人は何と言っていたか。何度となく聞いたのは、「きょうは、緊張して、集中できなかった」だ。「おぉ!」と思わんか?こう言えば、なんとなく解決できそうじゃないか?

だから、きょうは集中力の話だ。集中力は高いに越した事は無いが、単に「集中!」って思っても駄目だ。猿じゃないんだから。今、あなたの集中力は平均すると50のレヴェルを保てるとしようか。で、それで例えば難度が60の曲(例えばの話だ)を吹きとおすことができるだろうか? そのままじゃ無理です。イチかパチかにかけるか、エイヤッて気合でいくか、なんかが降りてくるのに期待するか・・・そんな事考えるからあがっちまうんだよな。そうです。集中力を波立てて、山・谷を作り平均を50にしてやればいいのです。集中力30の谷で吹けるところがあれば、上は集中力70で通過できるはずだ。日頃から、そのコントロールを練習するんだよ。自分の練習をするときでも、レッスンでも、集中力をコントロールする事を訓練するんだ。具体的には、いくら難度60の曲といっても最初から最後まで60ってことはない。どこかは30で吹ける所があるはずだ。そこを集中力50で通過したら全くの無駄といっていい。そして難しいところは誰が吹いても難しく、何回練習しても難しい。だから、「難しいと感じなくなるまで練習」して、集中力50で通過しようと思うのも馬鹿馬鹿しい。第一そんなことしたら、音楽は腐るぞ。生ものだからな、音楽は

だから、今自分が吹こうとしている曲で、「どこが、どのように難しく」、「そのためにはどのような集中が必要か」を分かっていなければならない。それが、頭に入っていないうちはまだ練習が足りないといっていい。頭に入れば、それに合わせて集中力をコントロールできるようにする。もう一度言う。曲に自分の集中力の山・谷を合わせることを練習するんだ。「すっごく難しい」曲を、「なぁんとなく怖い」思いで吹いていたら、楽しくないよな? ついでに言うと、難所はできるだけ範囲を小さく特定しておくこと、できれば音符の場合、二つ無いし四つまで位に特定しておくと良いだろう。前にも書いたが、人間が一度に目で認識できる数は4までというからな。そして、その難所を通過するにあたっての必要な技術も整理しておこう。難所と言えば、指回りのことが多くなると思うが、それだけじゃないぞ。

本当に難しい曲というのは、「集中力のコントロールが難しい」曲だ。

きょうはここまでだ。

フルートの吹き方 本番(2)

昨日は「上がる」を「緊張して集中できない」と置き換えて、対処の方法を書いた。きょうは、その前段、「緊張する」ということについて考えてみたい。まず、緊張した時の結果は、緊張しなかった時の結果よりも常に悪いのだろうか。そんなことはないよな。それを知っていて、なぜそれでも緊張しないで演奏することを望むのか? 不可解だよな。そこで、きょうは「緊張ぐらいしようよ」って話だ。それでも、緊張のあまり、足がや唇や指が震えたり、テンポや音程が分からなくなったり、呼吸が浅くなってしまったらどうしようと、不安は尽きないよな。わたしゃ、何十年もフルートを吹いているがね、未だにそんな不安から解放されて、本番を「楽しく」やったなんて経験は無いな。凄い上がるんだよ、いっつも。本番前に、気がつくと、今逃げ出したらどうなるんだろ、ってマジに考えてることがあるくらい、私は上がる。自慢したいくらい上がる。

だが経験を積んで、今では、こんな風に考えることにしている。
演奏を聴きに来る人々は、「音楽から何らかの示唆を得られる」ことを期待して、わざわざ、貴重な時間を使おうとしている。一生に一度のかけがいのない時間を、そこで費やそうとしている。それに答えようとするなら、緊張して当ったり前、たとえ聴衆が一人でも、当たり前じゃないだろうか。でも、ここで重要なのは、「音楽からの示唆」であって、「私からの示唆」ではないということだ。それは教会の礼拝のようなもんだ。会衆は、司祭を拝みに来たのではなく、その向こうのキリストを拝みに来たのだ。そう思えば、聴衆の目や耳の圧力を全部「自分」で受け止める必要はない。その圧力は自分の体を通して、後ろのモーツァルト(例えばだ)に引き受けてもらえば良い。そう考えることで、ほんとに楽になったぞ。数日前に良い音楽とは、「そこから暖かい風が吹いてくること」と書いた。(1月2日)モーツァルトから流れてくるその暖かい風を、そのまま客席まで届ければいいのだと。

もっと大げさに言う、音楽は人を助け、勇気づける力を持っている。今、川に溺れている子供がいるとしよう。あなたは飛び込む。今、何を着ているかなんて考えない。泳ぎが上手いかなんて考えない。何泳ぎで泳ぐかなんて考えない。見物人が集まって来たから、かこよく泳いで見せようなんて、もちろん考えない。リラックスしようなんて考えない・・・貴方から吹いてくる暖かい風が、いま、誰かの助けになるとしたら、暖かい風のことを考えるだけでもう精一杯じゃないか。

今一度、私たちが「上がる」ことによって何を恐れているのかを考えてみよう。
せっかく練習したのに成果を披露できない。期待を裏切りたくない。うまく吹けなかったら恥ずかしい。笑われたくない。恥をかきたくない。自分が一番下手だったら恥ずかしい・・・なんだか貧しい話だな。 もしかするとそんな貧しさを知られることを恐れているのかもしれない。「フルートは腕自慢の道具ではない」って書いたけど、(1月1日)本番で出てくるよ。恐怖となって自分の身に降りかかってくる。

私はまだ初心者でそんなレヴェルじゃないって、思っていたら、それは違うと思うぞ。選ばれて、フルートを手にした瞬間から、暖かい風を吹かせる力も、使命も持たされていると思って欲しいんだ。今日なのか、明日になるのか、きっと、みんながその風を待っている。

音楽、上手い、下手じゃない。

明日は、上がらないためのもう一つの具体策を書くよ。

今日はここまでだ。

フルートの吹き方 本番(3)

どうしても若い頃は、自分を中心に考えてしまうので、演奏においても自分を中心に置いて考えがちだ。しかし、一歩下がって眺めてみよう。どんなに演奏家がその能力を誇示しようとも、音楽は、作曲家や、聴衆や、音楽の歴史や、伝統や、諸々の助けがあって初めて成立するものであることが分かる。(1月19日)もちろん共演者、スタッフのことも忘れてはいけない。だから、大きな仕事に携わっている一員、しかし重要な一員だと、そのくらいの意識でいいと思う。

理念や、精神論書いても嫌われるから、もっと実践的なことを書こうか。
演奏会が近づいてきたら、不安で眠れないこともあるだろう。そのとき、冷静になってシミュレーションをしてみる。舞台に上がるところから、お辞儀をして曲を始める。曲は全部テンポ通りに正確に最後まで思い浮かべるんだ。途中で眠っちまったら、まだ恐れが足りないな、次の日にやり直せ。で、曲を最後まで正確に思い出すことができて、お辞儀までして、舞台袖に消えるまで。それを「一度も間違えないで」吹けたら、本番でも絶対大丈夫だ。でもね、不思議なんだよな。間違えるんだよ。自分で、自分のことを想像しているだけなのに、間違えるんだな、これが。そこが、怪しいところだ。次に日の、練習の重点におこう。何日やっても間違えるよ。ほんと不思議。このシミュレーションで間違えなくなったらOKだ。大丈夫だ。どうしても、途中で寝ちゃうんです、ってか? いい性格だな。いや、マジで。きっと人気者だろう。じゃ、起きてやるか。その時、本番の衣装着てみるのもアリだな。そうそう、本番の二日前になって、「どうしよう!ドレスの背中閉まら・・・」なんてのがたまに居るからな。男はその辺ごまかせるからいいな。でも、初めてタキシードを着るとか、燕尾服を着るとかの場合は、演奏会自体相当プレッシャーのかかるもののはずだから、やっておいた方がいい。どんな世界でもそうだと思うが、仕事のできる奴はみんな例外なく臆病だ。できない奴に限って、皆がびっくりするほど大胆なんだよな。勇気とは、臆病を恐れないことだな。うん。

あとな、本番前の楽屋でガンガン練習するなよ。大体、楽屋というのは響きすぎるところが多い。舞台に出たとたんに、「あれっ! 鳴らない!」って、気を失っても知らんぞ。耳が響きに慣れちゃってるんだよ。舞台は空間的にも広いから、音が反射して帰ってくるまでの時間が、かなり違う。だから、チューニングやってるふりして、反射音を耳で捉えておくんだよ。だから、チューニングするんなら、ちゃんと音をだしといたほうがいい。コソコソ、適当に合わせたふりするのは無意味。そんなんで、上手そうに見せることもないだろ。私は、チューニングの音が嫌いで、よほどのことが無い限りチューニングはしない。だって、皆、シーンとして、曲始まるの待ってんだろ。楽器の角度が正確で、大体の気温が感じられてりゃ、自分のフルートのピッチ位わかるもんな。ついでに言うけど、イベント会場の音響屋さんのマイクテスト、あれ、気分が悪くなるくらい嫌い。「ッテ! ッテ! ッテスト! ッツ! ッツ! ット!」って永遠にやってる。いかにも、「微妙な仕事してます!」みたいで。プロなら3秒とは言わん、10秒で決めろって言いたいね。なんか突っ込み入りそうだから・・・

あ、それから、出待ちの暗がりで、ジジイ達が(サマジイとも言う)、とんでもない馬鹿話をしていても、とんがるな。あれ、集中力の波作ってんだから。

きょうはここまでだ。

フルートの吹き方 本番(4)

本番で音を間違えるのって、嫌だよな。何をいまさらって言われるかもしれないが、間違いって、音だけじゃない。でも、他の間違いはバレないから、ま、いいや。って、もし、考えるなら、それは演奏自体が間違っている、と言うしかない。音なんか、間違えるよ、人間がやってんだから。それがそんなに重大な事なら、機械に任せりゃいいのよ。打ち込みでいくらでも、「それっぽい」のはできるんだから、今の時代。CDなんか継ぎ接ぎでいくらでも訂正したものを作成できる。俺のパソコンでだって、全くわからないくらいに継ぎ接ぎできる。でも、そんな事、何百年も我々は理想としてきたのか? 明らかに違うよな。我々は、人間でしかできない事を追求してきた、いまさら、私が言うまでもないが。

ひとつの音の間違いで、演奏自体が台無しになってしまうことは絶対に無い。だが、登場したとたんに、台無しな演奏はある。聴衆を馬鹿にしないほうがいいい。聴衆は常に自分が思っているよりも暖かく、しかし遥かに厳しいものだ。これは、実はオーケストラと指揮者との関係にも存在する。新しい指揮者が来たとき、最初の棒が振られる前に、殆ど関係は出来上がる。敏感で神経質になっているオケマンにはわかるんだ、その指揮者が何を考えているかが。人々が、「この人の言うことに耳を傾けよう」という気持ちになるかどうかは、話し始める前に、棒が振られる前に、演奏が始まる前にほとんど決まっている。それが、そのまま最終判断に結びつくわけではないけれど、スタートのその差はものすごく大きい。重いはずみ車の回転を止めて、逆に回し始めるには、大変なエネルギーを必要とするだろう。余談だが、そういった思いで政治家の顔を思い浮かべるといい。そんなに居ないだろ? 政治家って、それが命のはずなのにな。

演奏途中で、間違いをやらかし、「うっ!やっちまった」と考えているときに、聴衆は、「とっくに聴いていない」か、「うん、うん、それで次を聴かせて!」って考えているか、どっちかだよ。彼女に、「好きだ!」って言おうとして、噛んじゃった時に、彼女は「困るぅ~」と思っているか「嬉しい!」と思っているかどっちかで、「あ、この人噛んだ!」って考えているようなのとは、付き合わんほうがよろしい。だから、試験でも、オーディションでも、コンクールでも、ひとつの間違いが何らかの減点に繋がるとすれば、そんなもの長い音楽人生の中でたいした価値は無いと思おう。そんな審査員や試験官が居るような所とは、「付き合ってもほどほどに」だ。

演奏会で、私は、間違えるよ。いつも間違える。でも、幸いにも、それで命を奪われた事は無いし、いまだにフルート奏者を名乗ってる。フルートでやりたいことが、まだまだあるからな。

きょうはここまでだ。

フルートの吹き方 音程(1)

問題を切り分けておくぞ。ひとつは、奏法としての音程の高低について、次に楽器の持つ音程の特性について、そして、「音程」とは何かという問題だ。今回はこの一番厄介な「音程とは何か」についてから始めようと思う。

都内のある所に、信号機のついていない五差路があった。いつもロードバイクで走っているところだ。ちなみにな、ロードバイク乗るの大好きなんだが、去年の9月にコケてな、大腿骨折れて1か月入院しとった。で、いまだに「おかあちゃん」の再乗車許可が下りない。関係無い話ですまん。で、その五差路に、ある日信号機が付いたんだ。そしたら、怖いのよ。以前は、皆、一時停止して、相手の様子を伺い、目を見て安全の確認をしていた。ところが、信号機が付いたとたんに、それをしなくなった。何しろ五差路だから、どっちへ行くのが直進か、右折か、左折か、解釈が一定でない。でも、自分の信号が青だと、「こっちが青だもんね」って、皆、突っ込んでくるようになった。もう、相手の目なんか見ちゃぁいないのね。

信号機をチューナーに置き換えてみてくれ。ある日、皆がチューナーを持ってきた。誰も人の音を聴かなくなった・・・恐ろしい話だろ? そもそも、音程は皆で決めるものであって、チューナーが決めるものではない。チューナは持っていても良いが、あんなもん家でこっそり使うもんだぞ。楽器の調整が狂っていないか、吹き方に偏りが出ていないか、ちょと調べてみるには確かに使える。しかし、レッスンやアンサンブルに堂々と持ってくるのはいただけない。耳で合わせようぜ。それが、ゆくゆくは自分のためであり、アンサンブルの向上になるんだから。だいたい、最初に皆がチューナーで、ぴたっとAに合わせられたとしようか、でも、曲が始まった次の瞬間グシャグシャにならないか? その時、チューナー見えるか? 見えたとしてだ、それで、たまたま自分の音がチューナーの真ん中を示していたからと言って、「私は合ってるもんね」って知らん顔できるか? できたら凄い度胸だな。しかし、その性格直さないと友達無くすぞ。

そもそも、音程が合うというのは、振動数が一致するという事で間違いない。そして、その振動数の比が単純な整数比であればあるほど協和する。オクターブは1:2だし、完全五度は2:3だ。完全4度は3:4で、長三度は4:5だ。こんな事を試して欲しい。最低音のC(ド)を吹く。指はそのままで、倍音を出してみてくれ。息のスピードを速めればいいんだ。第一倍音はオクターブ上のC(ド)だ。振動数が倍になるからだ。次に出るのは、2オクターブ目のG(ソ)だ。振動数は3倍になっている。次の倍音は2オクターブ上のC(ド)だ、振動数は4倍で、それは2倍の2倍だからな。次は振動数が5倍、これはE(ミ)が鳴るはずだ。次は6倍で(3倍の2倍)G(ソ)、7倍は何だと思う?B(シ♭)だ。8倍はそうまたC(ド)だ。そうやって、奇数の倍音が出てくると次々に新しい音が獲得される。実は、これ、もう少し続けていると、すっごい矛盾が生じてくる。詳しくは改めて「音階」または「平均律」という項目を立てて書くつもりだ。

今、問題にしたいのは、その協和する音を、協和していると感じる我々の耳だ。耳は鼓膜で音を感じるのは知っての通りだ。その鼓膜は、フルートの倍音と同じように整数倍の振動に協和する構造のはずだ。膜だからな。だから、それを感じられるような習慣を身に付ければ良いのであって、チューナーを見ながらの、「もう少し上」「もう少し下」というような問題では無い。だから「貴方の鼓膜の倍音はちょっと低い」という事は普通はあり得ない。「倍音を感じる習慣ができていない」だけのはずだ。まずはオクターブを、次は完全五度を感じる習慣を付けたらいい。歌ってみるのも凄く効果的だ。なぜなら、声帯も同じような構造のものだから、3倍の倍音を出す感覚によって、完全五度が取れるようになる。我々が音楽に用いる道具、器官、すべてこの構造から成り立っている。その構造に沿って「感じる」ことができれば、それが音感だ。

実は、話はまだまだ長い。後々書くが、我々には、純粋な「協和」を心地良いと感じる一方で、「平均律」という妥協の産物に、自らの耳を屈服させてきた歴史がある。しかし、それによってこそ、音楽は偉大な発展を遂げることができた。その長い葛藤の歴史を思わずして、チューナーの指し示す目盛りに盲目的に従うなら、それは我々の器官を退化に導き、いずれ音楽は崩壊するだろう。

今日はここまでだ。

フルートの吹き方 音程(2)

昨日、チューナーの使い道として、楽器の調整、吹き方の偏りと挙げておいた。チューナーが信用できるのは、オクターブを測る時だけだからだ。奏法においても、楽器の調整においても、オクターブはしっかり振動数2倍の音程として保たれなければならないだろう。ついでに言っておくと、オクターブの次に協和するはずの完全五度でさえ、チューナーは正確に示すことができない。純正調を示すアプリもあるけど、それはそれでかなり面倒な使い方になる。

留学中にベルリンフィルを何十回も聞いた。興奮してくるとピッチが確実に高くなる。それは、あのオーケストラにとって改めねばならぬことなのだろうか? 「いや、ベルリンフィルだから許される」というかもしれない。しかし、それはもっと違うと私は思う。音楽とは、命そのものだと私は言い続けてきた。だから、呼吸があり、鼓動があり、体温がある。美しい人、あるいはハンサムな男性に見つめられたら、呼吸は浅くなり、鼓動は早くなり、体温は上がる。はずだ。そんな事は無い、というのなら、フルートの練習より、おしゃれでもして街に出たほうが、よほど充実した人生になるだろう。ピッチは変動する。私見だが、いや、偏見だが、ピアニストによく「興奮したフリ」をして弾く人がいる。髪振り乱して、鍵盤に腕をたたきつけるようにして、「臭っさぁ」ってのが「よく」居る。演奏にとって、視覚的要素も重要なんだが、あの過剰な動作はきっと、「いくら興奮しても体温が上がらない」フラストレーションのせいじゃないかと勝手に思っている。ま、オーケストラだって、どんどんピッチが変わっていいわけでなく、音程を変えられない打楽器系の楽器(グロッケン、チャイムetc)が出てくるところでは配慮が必要だけど。(大抵低く聴こえるよな。)

ヴィブラートについて考えてみよう。ヴィブラートというのは、音の強弱の揺れと、高低の揺れによって行われる。美しいヴィブラートの振幅は、通常の音域ではあるべき音高の6~8%、振動数においても6~8ヘルツと言われている。(ハンス・ペーター・シュミッツ「演奏の原理」)これ、かなりデカいぞ。デカいと同時に、それぐらいの幅は、必要な幅として許されているという事である。だから、フルートでハーモニーを形成する場合、ヴィブラートをかけるだけでかなり調和して聴こえるようになる。(この意味において、ヴィブラートは必須の技術である。)

さらに、音に含まれる倍音の多寡、質によって測られた音程よりも、低く聴こえたり、高く聴こえたりするし、会場の残響も一定の音程を保っては聴こえない。そして、こういった事情の中で音楽が行われている以上、「音程」とは、ある瞬間に定まった正しい音程が想定できるわけではなく、常に、「高いのか、低いのか」という疑問、調整、妥協の中でそれぞれの奏者によってきめられていく。としか言いようがない。だから、「音程に自信がない」というのは、ある意味で正しい意識だ。しかし、それをチューナーの針で解決してしまうのは、「最悪の解決方法」ではないだろうか。

疑問、調整、妥協と書いたが、それこそ我々が練習によって獲得すべきものであり、経験が大きな役割を果たす。では、どんな訓練が効果的か。ある音と同度の音を重ねて歌う、出す。オクターブ上下を重ねて歌う、出す。完全五度上を重ねて歌う、出す。その時、「合っているか」なんて考えなくていいんだ。「気持ち良くなるまでやってみる」だけでいい。きっと、「これだっ」っていうポイントを見つけられる。だって、鼓膜は膜だから。なるべく一定の音程を保てる楽器の音とともにやってみるのが簡単で良いのだが、えてしてこの種の楽器は電子楽器だったりする。それでもいいけど、私的には、電子楽器の音はちょっとやり難いと感じている。フルート2本でやるともっと勉強になる。相手が下がりゃこっちも下げるしかないしね。慣れてきたらフルート3本で三和音を耳で作ってみようか。きっと、ほんとに美しい和音が聴こえてくるぞ。保証する。ま、それでもチューナーは踏みつぶさないで家に置いとこうな。

きょうはここまでだ。

フルートの吹き方 音程(3)

昨日までの話で、疑問を持たれた方はいないだろうか。「絶対音感」なんじゃそれ? である。ま、絶対音感にも色々あるようで、基準音なしに音高を言い当てられるというレヴェルのものから、1ヘルツの単位で音を言い当てられるという、人間チューナーみたいなものまで存在する。音高を言い当てられる位のレヴェルなら、ガキをちょいと鍛えりゃすぐにできるようになる。それ位だったら、全く罪は無い、「いいんじゃね」くらいのもんだ。しかし、人間チューナーになると、悪いけど、音楽できません。たぶん、演奏の途中で気が狂うと思う。転調したとたんに、メロディーわかんなくなると思う。昨日書いたように、音程は、疑問・修正・妥協で決めていくしかない。妥協というのは、耳の欲求をなだめて、その音を新たな基準に置き換えるという作業だ。それは、音を「相対化」するという仕事であって、音楽という行為の中で最重要な要素だ。それは、明らかに「絶対音」よりも、上位に位置する。

もし、高レヴェルの絶対音感を持っていると主張し、尚且つ自称音楽家であるなら、倍音の原理には反応しないという、よほど、鈍感な耳を持っているのか、そもそも「絶対音感」自体「眉唾」なんじゃないか。物理的と言おうか、生理学的と言おうか、「倍音」という概念自体、「相対」から成り立っているんだから。

そもそも、絶対音感なんて自慢したり、羨ましがられたりするのは日本くらいのもんだぞ。もとはと言えば、帝国海軍が、敵機来襲をいち早く知らせるために、国民に普及させようとしたことに始まる。馬鹿馬鹿しいんで、途中で止めちゃったらしいけどね。

そういうわけで、諸君! 絶対音なんか羨ましがるんじゃない。はっきり言っておくが、音楽には不必要だ。同じ「絶対」を自慢するなら、なぜ、「絶対テンポ」という概念が出てこないのか不思議だと思わんか? そう、人間メトロノームだ。こっちの方がはるかに便利だし、害も少ないんじゃないかと思うんだけどなぁ。昨日は音楽を、呼吸や、鼓動や、体温にたとえたが、いずれにしても、それらは、変化することが特質であり、そのことによって「命」を守る役割を果たしている。

我々は命を尊び守りつつ、しかしいつの日かそれを失う。その潜在的な悲しみの中にあって、絶対的な価値観を求めるのは人間として至極当然の欲求だろう。だが、永遠に吐き続けられる息は無いし、微動だにしない楽器の保持も無い。絶対的な音程も無いし、変化しないテンポも無い。言い換えれば、生きている限り自由であるし、そのことがまた、生きる難しさでもある。楽しいじゃないか!

きょうはここまでだ。

フルートの吹き方 音程(4)

音の高さは通常、周波数によって表される。空気の粗密のサイクルが1秒間に440回行われれば、真ん中のAというのはご存知の通り。人間の可聴域は下は20Hzから上は20,000Hzと言われてきた。上に20,000Hzと言っても、楽器的にはせいぜい5000Hz位が精一杯で、それ以上は聴こえないというのではなく、出せる楽器が無いだけだ。低い方は、楽器的には20Hzよりももっと低い音を出せるオルガンがある。でもね、そんな低音聴いたって、音程なんか分かんねぇよ。いうなればビリビリ音だな。この周波数とは別に、人間が1秒間にいくつの音を認識できるかという指標があって、これが大体1秒間に18個と言われている。この数は、周波数の下可聴域の数字と大体一致する。ビリビリ音と書いたのは、そのビリビリが1秒間に18個になると、これは音程としてではなく、ビートあるいはパルスとして感じられる領域に達するという事でもある。つまり、音の周波数をどんどん下げていくと、最初は音程が下がっていくが、しまいには音程が分からなくなり、ビートとして認識されるようになる。旋律は音程の変化であり、リズムはビートの変化と考えれば、ここにおいて、音程とリズムは連続したひとつの要素と考えることができるのではないだろうか。あれ? 巷で有名な音楽の3要素ってこの二つを全く別の概念として捉えてなかったか? ついでに、言っておくと、もっと周波数を落としてやると、数秒間に1回というビートになる。これを「形式」と考えると、さらには「様式」そして「時代」、「歴史」にまで想像を発展せることができる。先に、「楽譜」の項目で、楽譜から離れると、曲全体から、人生までが見通せるというようなことを書いた。何を血迷ったことを言っているのかと思ったかもしれないが、別の視点から音楽の領域を広く見渡そうとしても同様に、私たちの存在の根源に行きつくことができる。

話を元に戻す。ではハーモニーとは何か。メロディーが多層化して進行している状態としようか。いや待てよ、リズムとメロディーの両立だって既に多層化の現れじゃないのか?そこで、多層化という可能性を、可聴域よりももっと下の周波数にも広げれば、ここにポリフォニーに対するポリリズムが成立する。このポリリズムの考え方は結構古くからあったのだが、しかし、まだ未開の分野と言っていいかもしれない。まだ、多層化と言えるほど持続的なエネルギーを持ったものが出現していないんじゃないかと思う。あ、また話がそれちゃった。そこで、私には巷の音楽の3要素とやらも、どうも怪しい考え方じゃないかと思えてならない。単純に考えて、メロディーとリズムは時間に規定されるが、ハーモニーは時間に規定されない概念だろ。音楽の特質が、時間という基礎の上に成り立つことを考えれば、ハーモニーという概念は、時間に規定されるいくつかの要素の重なり合いの状態を表しているに過ぎない。それなら、ここでハーモニーの概念をまっとうな大きさに広げてやろうじゃないか。多層化だ。このことによって、今こそ全く別の音楽の概念を提示しようじゃないか。これまで挙げてきたすべての要素、音程、リズム、形式、様式、時代、歴史、そして楽譜、フレーズ、楽章、曲、練習、演奏、人生、命、それらを多層化し、ある調和を目指して進行させること、それが音楽ではないだろうか。

いやぁ、ついに、書いちまったな。

きょうはここまでだ。

フルートの吹き方 音程(5)

きょうは、フルートという楽器自体が持っている音程の問題について書く。3オクターブ目の音程が上ずって困っていないか? 「強く吹きすぎだから」とか「もっと唇の力抜いて」とか言われるだろ? ま、間違いではないんだが、その前にもっと重要なことがある。フルートの管ってどんな形状しているか、よく見たことあるか? 胴体は同じ太さだが、頭部管は先のほうにいくにしたがって細くなっている(絞り)だろ? 「今、気が付いた」なんて言うなよ、悲しくなるからな。この絞りが、3オクターブ目の音程に重要な役割を果たしている。

面倒だが、説明するわ。フルートの3オクターブ目の音程は、第1オクターブにある基音の第3倍音と第4倍音の組み合わせの運指によって出す。「あ~、もう分かんね」って言うなよ。大事な所だから。例えば、3オクターブ目のF(ファ)の運指と、キイの開閉の状態を見てくれ。F(ファ)【この音の第4倍音が3オクターブ目のF(ファの指使いと、B(シ♭)【この音の第3倍音が3オクターブ目のF(ファ)】の指使いが組み合わさってるだろ? 詳しく言うとF(ファ)と、B(シ♭)の指使いの間のキイ1個が開いてる。A(ラ)のキイだ。これが、3オクターブ目の指使いの基本。ついでに言うと、Eメカの付いていない楽器のE(ミ)、それからFis(ファ#)は、この間のキイが2個空いてしまうだろ? だ・か・ら、ちょと出しにくいの。昔、楽器メーカーで開発されたFisメカ付き楽器を吹いたことがある。なんだか、訳の分からん機械が付いていて重かった記憶がある。結局、実用化されなかったんだな。Eメカついてると、G-Aトリルに困難が生じるように、なんかその辺で問題が生じたのかもしれない。単に、馬鹿臭かったのかも知れんが。

話を元に戻し、さらに面倒になる。この頭部管の絞りだが、これは先ほど述べた第3倍音の高さに影響する。絞りが強ければ、第3倍音は高くなると覚えてくれ。おっ! 察しのいい人は分かったみたいだな? 絞りの強弱というのは、当然、楽器全体に対する比率だから、「頭部管を胴体に深く差し込んで」楽器全体が短い状態になると、絞りを強くしたことになる。すると、第3倍音は高めになり、第3オクターブの音程が上ずる。だろ? つまり、吹き方自体が低く、頭部管を胴体に突っ込みすぎて吹いていると、3オクターブ目は高くなってしまう。 頭部管を内側に回して、歌口を半分くらい覆って、唇に力入れて吹いてると、際限なく上ずるぞ。

チューナー、まだ踏みつぶさないで持ってるだろ? ぜひ実験してみてくれ。頭部管を1センチくらい抜いて、Aを合わせる。そのまま第3オクターブ目を吹いてみてくれ。な? 楽勝だろ? 音程だけじゃなくて、高音が出しやすくなっただろ?

先ほど述べた、第3オクターブのEメカのついていないEとFisだが、キイが2つ空いてしまっていることによって、音程がやや上ずる。これは、絞りとは関係ない。だから、私はEメカ付きを強く推奨するね。G-Aトリルはどうするって? 左の、2.3.4を押さえて、2.4を同時に上下してトリルするんだよ。難しいけどな。

楽器自体の音程の問題は、まだ続くぞ。

きょうはここまでだ。

フルートの吹き方 音程(6)

昨日もちょっと触れたが、我々はフルートのチューニングの際に、頭部管と胴部管の抜き差しによってその調整をする。だがしかし、考えてみよう。もし、何らかの事情によって、自分の楽器全体の音程が低い場合、本当は「全体が小さい(短い)」楽器を必要とするはずである。単に頭部と胴体の距離を縮めるのではなく、キイ同士の間隔を僅かずつ少なくしていかなければならないはずだ。だから、頭部管を押し込んでいると右手の音域で、相対的に音程はぶら下がり気味になる。逆に、抜きすぎていると右手の音域は上ずり気味になる。

何度も言うが、最初にAをチューナーで合わせたとしても、このことを考慮しなければ、チューニングは何の役にも立たない。結局のところ、一番誤差を少なくして吹くためには、「設計通り」に吹くのが一番ストレスが少ないのだが、さてさて、各メーカーで、どんな考えと計算のもとに設計されているかまでは、なかなか教えてもらえない。それに、作る方だって、倍音という純粋な物理現象に従おうとする「管の物理的特性」を、平均律に合わせられるように、工夫と妥協を重ねて作っているわけだ。如何ともし難い音程の癖が出現するのは当たり前だし、奏者はそのことを熟知していなければならない。

楽器自体の持つ音程の癖を知る前に、まず楽器の調整をしっかりしておこう。特に音程に影響があるのは、頭部管内の反射板の位置だ。これは、オクターブの広さにかなりな影響を与える。だからと言って、自分の吹き方に合わせて調整してはいけない。こればっかりは、歌口部分の直径と等距離(17ミリ)に合わせておかなければ、響きや音色など、音の根幹部分に影響が及ぶ。掃除棒のしっぽにあるマークも、数本比べるとえらく誤差がある、きちんと17ミリの位置にマークがあるかも要チェックだぞ。その調整をしてもなお、1オクターブ目と2オクターブ目のE(ミ)からH(し)位の間でオクターブが狂うようだと、吹き方が正しくない可能性が高い。

さて、楽器の調整もOK、吹き方も悪くないという前提で、ごく一般的な現代フルートの音程の癖について整理しておこう。以下に述べるのは、あくまでも平均律の音程を基準にしているから、実際の演奏では必ず修正しなければならないというものではない。まず、一番癖が出やすいのがD(レ)だ。第1オクターブのDは大体低めだ。これは、吹き方によることが大きい、低音を出すために、必要以上に息を下向きに入れていると、当然低すぎることになる。また、正しく吹いても、第3オクターブのDは明らかに低い。これは、常に修正が必要だ。第2オクターブは、やや高めの傾向がある。ただし、先に述べた頭部管の抜き差しの量で、高くない場合もある。Cis(ド#)も厄介な音程だ。1オクターブ目は低く、2オクターブ目は高く、3オクターブ目は低い。1オクターブ目は、D(レ)と同じ理由。2オクターブ目は、指使いから分かるように、管が最短の状態で、吹いたときの管からの抵抗が最も少ない。それによって、息が腹で正しくコントロールされていないと、息が入りすぎて高くなる。3オクターブ目は正しく吹いていると低めになる筈だ。これが高いと、2オクターブ目はどえらく高いはずだ。

3オクターブ目が全部高くなるようなら、昨日書いたように、吹き方を疑ってみるべきだろう。正しく吹いても、Es(ミ♭)とFis(ファ#)はやや高く、A(ラ)はかなり低いはずだ。B(シ♭)とH(シ)が低くなるのは右手の小指を離せば、いくらか修正できる。というか、離すのが正しい指使いだ。

一般論として書いたが、実践では音程はもっと上下するから、あんまり役立たないかもな。
明日は、吹き手に起因する音程の問題を扱おうと思う。

きょうはここまでだ。