「本番」カテゴリーアーカイブ

フルートの吹き方 本番(1)

「本番で上がらない方法」って、キャッチーなタイトル付けても良かったんだが、「本番」ってそれだけじゃないしな。でも、「あがる、あがらない」が大方の興味のようだし、ありがたい御指南を授けてくれるサイトも沢山訪ねさせていただいた。何回かに分けて書いていくが、最後まで読んでいただければ、自ずと「あがらない」方法は明らかになると思う。ぞ。そもそも、「上がらなきゃいいの?」って、別に喧嘩売ってるわけじゃないけど、そっちの方も考えていかないとな。対症療法ばかりでは薬代がかかってしょうがない。

実は、ドイツ語で「あがる」に相当する言葉は無いといっていい。確かに、Lampenfieberって単語はあるけど、直訳すりゃランプの熱だからなぁ。さらに、和独辞典で調べると、「常軌を逸する」とか、「取り乱す」ってな意味になって、我々音楽家の「あがる」感とはちょっと違う。日本語では、「あがる」という明らかな負の意味を持つ単語があって、本番前にその単語を思い浮かべるだけで、もう「あがっちゃう」位だもん。ほとんど負の自己暗示だ。で、じゃぁドイツ人は何と言っていたか。何度となく聞いたのは、「きょうは、緊張して、集中できなかった」だ。「おぉ!」と思わんか?こう言えば、なんとなく解決できそうじゃないか?

だから、きょうは集中力の話だ。集中力は高いに越した事は無いが、単に「集中!」って思っても駄目だ。猿じゃないんだから。今、あなたの集中力は平均すると50のレヴェルを保てるとしようか。で、それで例えば難度が60の曲(例えばの話だ)を吹きとおすことができるだろうか? そのままじゃ無理です。イチかパチかにかけるか、エイヤッて気合でいくか、なんかが降りてくるのに期待するか・・・そんな事考えるからあがっちまうんだよな。そうです。集中力を波立てて、山・谷を作り平均を50にしてやればいいのです。集中力30の谷で吹けるところがあれば、上は集中力70で通過できるはずだ。日頃から、そのコントロールを練習するんだよ。自分の練習をするときでも、レッスンでも、集中力をコントロールする事を訓練するんだ。具体的には、いくら難度60の曲といっても最初から最後まで60ってことはない。どこかは30で吹ける所があるはずだ。そこを集中力50で通過したら全くの無駄といっていい。そして難しいところは誰が吹いても難しく、何回練習しても難しい。だから、「難しいと感じなくなるまで練習」して、集中力50で通過しようと思うのも馬鹿馬鹿しい。第一そんなことしたら、音楽は腐るぞ。生ものだからな、音楽は

だから、今自分が吹こうとしている曲で、「どこが、どのように難しく」、「そのためにはどのような集中が必要か」を分かっていなければならない。それが、頭に入っていないうちはまだ練習が足りないといっていい。頭に入れば、それに合わせて集中力をコントロールできるようにする。もう一度言う。曲に自分の集中力の山・谷を合わせることを練習するんだ。「すっごく難しい」曲を、「なぁんとなく怖い」思いで吹いていたら、楽しくないよな? ついでに言うと、難所はできるだけ範囲を小さく特定しておくこと、できれば音符の場合、二つ無いし四つまで位に特定しておくと良いだろう。前にも書いたが、人間が一度に目で認識できる数は4までというからな。そして、その難所を通過するにあたっての必要な技術も整理しておこう。難所と言えば、指回りのことが多くなると思うが、それだけじゃないぞ。

本当に難しい曲というのは、「集中力のコントロールが難しい」曲だ。

きょうはここまでだ。

フルートの吹き方 本番(2)

昨日は「上がる」を「緊張して集中できない」と置き換えて、対処の方法を書いた。きょうは、その前段、「緊張する」ということについて考えてみたい。まず、緊張した時の結果は、緊張しなかった時の結果よりも常に悪いのだろうか。そんなことはないよな。それを知っていて、なぜそれでも緊張しないで演奏することを望むのか? 不可解だよな。そこで、きょうは「緊張ぐらいしようよ」って話だ。それでも、緊張のあまり、足がや唇や指が震えたり、テンポや音程が分からなくなったり、呼吸が浅くなってしまったらどうしようと、不安は尽きないよな。わたしゃ、何十年もフルートを吹いているがね、未だにそんな不安から解放されて、本番を「楽しく」やったなんて経験は無いな。凄い上がるんだよ、いっつも。本番前に、気がつくと、今逃げ出したらどうなるんだろ、ってマジに考えてることがあるくらい、私は上がる。自慢したいくらい上がる。

だが経験を積んで、今では、こんな風に考えることにしている。
演奏を聴きに来る人々は、「音楽から何らかの示唆を得られる」ことを期待して、わざわざ、貴重な時間を使おうとしている。一生に一度のかけがいのない時間を、そこで費やそうとしている。それに答えようとするなら、緊張して当ったり前、たとえ聴衆が一人でも、当たり前じゃないだろうか。でも、ここで重要なのは、「音楽からの示唆」であって、「私からの示唆」ではないということだ。それは教会の礼拝のようなもんだ。会衆は、司祭を拝みに来たのではなく、その向こうのキリストを拝みに来たのだ。そう思えば、聴衆の目や耳の圧力を全部「自分」で受け止める必要はない。その圧力は自分の体を通して、後ろのモーツァルト(例えばだ)に引き受けてもらえば良い。そう考えることで、ほんとに楽になったぞ。数日前に良い音楽とは、「そこから暖かい風が吹いてくること」と書いた。(1月2日)モーツァルトから流れてくるその暖かい風を、そのまま客席まで届ければいいのだと。

もっと大げさに言う、音楽は人を助け、勇気づける力を持っている。今、川に溺れている子供がいるとしよう。あなたは飛び込む。今、何を着ているかなんて考えない。泳ぎが上手いかなんて考えない。何泳ぎで泳ぐかなんて考えない。見物人が集まって来たから、かこよく泳いで見せようなんて、もちろん考えない。リラックスしようなんて考えない・・・貴方から吹いてくる暖かい風が、いま、誰かの助けになるとしたら、暖かい風のことを考えるだけでもう精一杯じゃないか。

今一度、私たちが「上がる」ことによって何を恐れているのかを考えてみよう。
せっかく練習したのに成果を披露できない。期待を裏切りたくない。うまく吹けなかったら恥ずかしい。笑われたくない。恥をかきたくない。自分が一番下手だったら恥ずかしい・・・なんだか貧しい話だな。 もしかするとそんな貧しさを知られることを恐れているのかもしれない。「フルートは腕自慢の道具ではない」って書いたけど、(1月1日)本番で出てくるよ。恐怖となって自分の身に降りかかってくる。

私はまだ初心者でそんなレヴェルじゃないって、思っていたら、それは違うと思うぞ。選ばれて、フルートを手にした瞬間から、暖かい風を吹かせる力も、使命も持たされていると思って欲しいんだ。今日なのか、明日になるのか、きっと、みんながその風を待っている。

音楽、上手い、下手じゃない。

明日は、上がらないためのもう一つの具体策を書くよ。

今日はここまでだ。

フルートの吹き方 本番(3)

どうしても若い頃は、自分を中心に考えてしまうので、演奏においても自分を中心に置いて考えがちだ。しかし、一歩下がって眺めてみよう。どんなに演奏家がその能力を誇示しようとも、音楽は、作曲家や、聴衆や、音楽の歴史や、伝統や、諸々の助けがあって初めて成立するものであることが分かる。(1月19日)もちろん共演者、スタッフのことも忘れてはいけない。だから、大きな仕事に携わっている一員、しかし重要な一員だと、そのくらいの意識でいいと思う。

理念や、精神論書いても嫌われるから、もっと実践的なことを書こうか。
演奏会が近づいてきたら、不安で眠れないこともあるだろう。そのとき、冷静になってシミュレーションをしてみる。舞台に上がるところから、お辞儀をして曲を始める。曲は全部テンポ通りに正確に最後まで思い浮かべるんだ。途中で眠っちまったら、まだ恐れが足りないな、次の日にやり直せ。で、曲を最後まで正確に思い出すことができて、お辞儀までして、舞台袖に消えるまで。それを「一度も間違えないで」吹けたら、本番でも絶対大丈夫だ。でもね、不思議なんだよな。間違えるんだよ。自分で、自分のことを想像しているだけなのに、間違えるんだな、これが。そこが、怪しいところだ。次に日の、練習の重点におこう。何日やっても間違えるよ。ほんと不思議。このシミュレーションで間違えなくなったらOKだ。大丈夫だ。どうしても、途中で寝ちゃうんです、ってか? いい性格だな。いや、マジで。きっと人気者だろう。じゃ、起きてやるか。その時、本番の衣装着てみるのもアリだな。そうそう、本番の二日前になって、「どうしよう!ドレスの背中閉まら・・・」なんてのがたまに居るからな。男はその辺ごまかせるからいいな。でも、初めてタキシードを着るとか、燕尾服を着るとかの場合は、演奏会自体相当プレッシャーのかかるもののはずだから、やっておいた方がいい。どんな世界でもそうだと思うが、仕事のできる奴はみんな例外なく臆病だ。できない奴に限って、皆がびっくりするほど大胆なんだよな。勇気とは、臆病を恐れないことだな。うん。

あとな、本番前の楽屋でガンガン練習するなよ。大体、楽屋というのは響きすぎるところが多い。舞台に出たとたんに、「あれっ! 鳴らない!」って、気を失っても知らんぞ。耳が響きに慣れちゃってるんだよ。舞台は空間的にも広いから、音が反射して帰ってくるまでの時間が、かなり違う。だから、チューニングやってるふりして、反射音を耳で捉えておくんだよ。だから、チューニングするんなら、ちゃんと音をだしといたほうがいい。コソコソ、適当に合わせたふりするのは無意味。そんなんで、上手そうに見せることもないだろ。私は、チューニングの音が嫌いで、よほどのことが無い限りチューニングはしない。だって、皆、シーンとして、曲始まるの待ってんだろ。楽器の角度が正確で、大体の気温が感じられてりゃ、自分のフルートのピッチ位わかるもんな。ついでに言うけど、イベント会場の音響屋さんのマイクテスト、あれ、気分が悪くなるくらい嫌い。「ッテ! ッテ! ッテスト! ッツ! ッツ! ット!」って永遠にやってる。いかにも、「微妙な仕事してます!」みたいで。プロなら3秒とは言わん、10秒で決めろって言いたいね。なんか突っ込み入りそうだから・・・

あ、それから、出待ちの暗がりで、ジジイ達が(サマジイとも言う)、とんでもない馬鹿話をしていても、とんがるな。あれ、集中力の波作ってんだから。

きょうはここまでだ。

フルートの吹き方 本番(4)

本番で音を間違えるのって、嫌だよな。何をいまさらって言われるかもしれないが、間違いって、音だけじゃない。でも、他の間違いはバレないから、ま、いいや。って、もし、考えるなら、それは演奏自体が間違っている、と言うしかない。音なんか、間違えるよ、人間がやってんだから。それがそんなに重大な事なら、機械に任せりゃいいのよ。打ち込みでいくらでも、「それっぽい」のはできるんだから、今の時代。CDなんか継ぎ接ぎでいくらでも訂正したものを作成できる。俺のパソコンでだって、全くわからないくらいに継ぎ接ぎできる。でも、そんな事、何百年も我々は理想としてきたのか? 明らかに違うよな。我々は、人間でしかできない事を追求してきた、いまさら、私が言うまでもないが。

ひとつの音の間違いで、演奏自体が台無しになってしまうことは絶対に無い。だが、登場したとたんに、台無しな演奏はある。聴衆を馬鹿にしないほうがいいい。聴衆は常に自分が思っているよりも暖かく、しかし遥かに厳しいものだ。これは、実はオーケストラと指揮者との関係にも存在する。新しい指揮者が来たとき、最初の棒が振られる前に、殆ど関係は出来上がる。敏感で神経質になっているオケマンにはわかるんだ、その指揮者が何を考えているかが。人々が、「この人の言うことに耳を傾けよう」という気持ちになるかどうかは、話し始める前に、棒が振られる前に、演奏が始まる前にほとんど決まっている。それが、そのまま最終判断に結びつくわけではないけれど、スタートのその差はものすごく大きい。重いはずみ車の回転を止めて、逆に回し始めるには、大変なエネルギーを必要とするだろう。余談だが、そういった思いで政治家の顔を思い浮かべるといい。そんなに居ないだろ? 政治家って、それが命のはずなのにな。

演奏途中で、間違いをやらかし、「うっ!やっちまった」と考えているときに、聴衆は、「とっくに聴いていない」か、「うん、うん、それで次を聴かせて!」って考えているか、どっちかだよ。彼女に、「好きだ!」って言おうとして、噛んじゃった時に、彼女は「困るぅ~」と思っているか「嬉しい!」と思っているかどっちかで、「あ、この人噛んだ!」って考えているようなのとは、付き合わんほうがよろしい。だから、試験でも、オーディションでも、コンクールでも、ひとつの間違いが何らかの減点に繋がるとすれば、そんなもの長い音楽人生の中でたいした価値は無いと思おう。そんな審査員や試験官が居るような所とは、「付き合ってもほどほどに」だ。

演奏会で、私は、間違えるよ。いつも間違える。でも、幸いにも、それで命を奪われた事は無いし、いまだにフルート奏者を名乗ってる。フルートでやりたいことが、まだまだあるからな。

きょうはここまでだ。