フルートの吹き方 大切な話をしよう(2)

 現代人にとってイエス・キリストの伝説を、すべてを信じるのは、難しい事かもしれない。しかし、実在はしたようである。奇跡をおこない、病を治し、多くの民衆が彼に従った。なぜか。トリック、心理操作、巧みな弁舌によって、これらが成されたと片付けてもよいけれど、しかし、音楽においても、メロディーと、ハーモニーと、リズムだけでは、決して説明できない何か、それこそを常に求め続けている我々にとっては、想いを巡らせてみる価値は十二分にあるだろう。

 イエスはとてつもなく魅力に満ちた人間だったのだろう。その魅力はたぶん、何かを成し、語り始めるよりも前に、多くの人々を惹きつけていたに違いない。原因があって、結果が生じるというのはごく当たり前の考え方だが、この場合、奇跡を重ねることによって、人々が集まったのではなく、人々が集まることによって奇跡が起こった、信じる人々が集まることによって、病を治癒することができたと、考えられないだろうか。では、その人々が集まってくる原因は何だったのか。

 「いつも、彼の方から、暖かい風が吹いてきた」

 素晴らしい演奏とはどんな演奏なのか。まさに「暖かい風が吹いてくる」演奏ではないのか。私は昨日、「腕自慢の道具ではない」と書いた。考えてみてほしい、腕自慢のフルートから暖かい風など吹いてくるだろうか。他人の演奏を聴いて、音がきれいとか、指が回るとか、表現が豊かだとかを聴き取ることは結構なことだが、そんなことに耳を奪われてしまってはいけない。最後に「その演奏からは、暖かい風が吹いてきたか?」と、問おうじゃないか。自分に対しても同じだ。あがったとか、音を間違えたとか、上手く音が出なかったとか、当たり前なんだ、人間のやっていることだから。その人間だから、暖かい風も吹かせることができるのだし、そんなことで、終わった本番を悔やむ必要はない。「きょう、自分から暖かい風は流れただろうか?」と、問うてみれば良いのだ。皆が互いにそうすれば、きっと音楽は力を増す。そのとき、何らかの奇跡が起こったとしても、私たちは驚きはしないだろう。

 私たちは、いつも様々な事情や、思慮を失った感情によってどれだけ冷たい風を吹かせてしまっていることか。でも、イエスじゃないのだから、せめて、このフルートを持った時だけは、誰にも負けないほどに、暖かい風を吹かせることができる、と自分のフルートに約束しようじゃないか。

 でもなぁ、難しいよなぁ。
暖かい風がいつも外に流れていくためには、いつも心に火の玉を持っていなければならないのかもしれないね。
今日はここまでだ。

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