8)真似をするな
真似したっていいんだけどさ、真似ることができるのは大抵悪い所だから。尊敬するフルート奏者の隅から隅まで真似できたとしても、出来上がるのは上手くいってそのミニチュアだ。本家が偉大であればあるほどミニがつけられると惨めだ。ミニフルトヴェングラー、ミニカラヤン、ミニゴールウェイ、ミニパユ全部ちょっと恥ずかしい。ミニスカート、ミニパトぐらいだと本家がたいしたことないから平気だけど。ミニチュアダックスが自分をどう考えてるか聞いてみたいもんだ。私が、ほんとうの私自身でなければならない状況、虚飾を捨て、過不足なくほんとうの私を知ってもらわなければならない状況。告白するときか? プロポーズのときか? どちらでも構わんが、演奏する時もまったく同じだ。ぎりぎりの勝負をいつもしなきゃならないのが音楽だ、余裕なんかあったら途端につまらなくなる。「他人の真似なんかしてられるかぃ!」ってのが正解だ。
シュミッツ博士は、30代で現役引退。ベルリンの教授の頃は鞄ひとつでレッスンにやって来た。だから、真似のしようもなかった。そのことはかえって、学生同士、多様な個性を聴きあうことになり、とても豊かな経験をしたと思っている。少なくとも、誰が一番先生に似ているかなんて競争はまったく無かったのは幸いであった。ちなみに、教授の鞄の中身は手帳とバナナだったな。毎日、午前10時から午後2時まで、4人のレッスンを休みなく、絶対座らず、立ったままでやっていた。
9)練習を他人に聴かせるな
練習は恥ずかしい。だって、出来ないところをあからさまにするんだから。しかし、これは逆説で、恥ずかしい練習をしよう、という事でもある。細部を磨き、全体を光り輝かせるためには、音にしたって、息取りにしたって、指の練習にしたって、自分の中にある「初心者」をあぶり出し、克服していく作業が必須だ。フルトヴェングラーは何百回振ったかわからないベートーヴェンの5番でさえ、本番直前までスコアを読んでいたという。オーケストラの練習というと、奏者にとっては指揮者に甚だ不名誉な指摘をされることがある。厳しい場面だ。ある指揮者が語っていたが、オーケストラの中に出来上がったカップルがいるとやりにくいという。ある奏者に厳しい指摘すると、全く関係ないところに座っている彼女だか彼氏だかが、ふくれっ面をしているんだそうな。夫婦になると、どうでもいいというオチがついていたから、たぶん冗談だろうけどね。男に限るというオーケストラは無くなったようだが、男女平等という思想だけでこれを否定した結果だとしたら、ちょっと残念だ。誰だって、オーケストラの中で自分の彼女が指揮者にイビられてたら、気分悪くするだろ? いずれにしても、オーケストラのゲネプロに客を入れるなんて全く信じられない。オーケストラや音楽をナメとるとしか思えない。
きょうはここまでだ。