ヘルムート・ハンミヒ氏のこと

ここから以下の話は、たぶんもう時効だから書く。
1980年頃、ヘルムート・ハンミヒ(Helmuth Hammig)氏は東ベルリンに住んでいた。奥様と二人住まいの小さな、簡素な家で修理を中心に仕事をされていた。息子さんを亡くされて、フルート全体の製作はもうできないということだった。人づてに、頭部管だけは作っているらしいと聞き、訪ねて行った。もっと正直に書くと、西ドイツマルクで支払えば、密かに頭部管を作ってくれると聞いていた。

これは完全な違法行為で、当時の東側の体制では、このような行為には恐ろしい厳罰が待っていた。今の人にはほとんど分からないだろうから、ちょっと詳しく書く。東側の庶民にはドルや西ドイツマルクは手に入れることが困難だった。さらに、ドルや西ドイツマルクでしか買い物ができないインターショップというのがあって、旅行者や、エライ人たちに西側の高級品を売っていた。ではなぜ、巨匠はそうまでして西ドイツマルクを必要としたか。「奥さんの好きなコーヒーが、インターショップでしか手に入らなかった」。 当時の東側のコーヒーはほんと酷かった。あれ、たぶんコーヒー豆じゃない。何度か乗ったアエロフロート(ソビエト航空)なんか、食後にコーヒー注文したはずなのに、紅茶が出てきて、キャビンアテンダント(当時はスチュワーデスだ)に聞いたら、「それコーヒーだけど!」ってムカツかれた。そのうち、何度飲んでも、最後まで、コーヒーなんだか紅茶なんだか解らなくなった。最終的に、どちらも好きな人にとってはたまらない、優れた飲み物だということが解った。

話、元に戻す。東西に分断されたドイツ、西ドイツは西ドイツマルク、東ドイツは東ドイツマルクを使っていた。公の交換レートは1対1。つまり、西ドイツマルクを東ドイツに持っていけば、東ドイツ内の両替所で、等価に交換してくれる。しかし、あらかじめ西ドイツの両替所で西ドイツマルクを東ドイツマルクに交換すると、1対4から1対5くらいで両替できる。闇金だ。ヤミキンじゃないぞ。ヤミガネだ。公のレートとこの闇レートの違いは、まあ、国力の違いだ。「んじゃぁ、それ持ってけばいいじゃん」と思うだろ? ところが国境で、有り金全部チェックされる。ここで、東ドイツマルクなんぞ持っていようものなら、没収、裸にされて、◎ん中まで調べられて、何年間か入国禁止だ。上手く隠して東ドイツに持って入ると、ええ、ただでさえ安い物価の東ドイツで豪遊できる。しかしこれ、闇で入ってくるお金ほっとくと、国がぶっ飛ぶからね。豪遊って言っても、まあ、ホテルで食事したり、飲んだりするくらいしか無いけどね、何しろ物資が無いんだもん。ホテルで、ビールが一杯60円くらいの感じで飲めたな。腹いっぱい食って2000円だ。

ベルリンからだと、たいていチェックポイント・チャーリーを通って東ベルリンに入る。怖いんだよ、ここが。東ドイツの警官なんて、ニコリともしないからね。靴のかかとを回したり、鞄のベルトを丁寧にしごいたり、まあ、スパイ映画みたいな感じだ。たまに別室に連れて行かれる。すると、まぁ、ズボンは脱がされるね。西ドイツのマルクで500円程度を支払って、1日のビザをもらう。これは東ベルリン内だけで有効だから、ちょいとライプツィヒまでなんて許されない。東ベルリンに入る時に、持っている西ドイツマルクの額も申告しなければならない。それで帰る時に、東ベルリン内で正当に1対1のレートでお金を使ったかチェックされる仕組みだ。

そういうわけで、豪遊するなら闇の東ドイツマルクを、巨匠の頭部管を手に入れるなら西ドイツマルクを、どこかに隠して入国しなきゃならない。どうする? 楽器の中? イイ線いってるけど、甘いよ。ちゃんと筒の中まで見るからね。ケースの内側もちゃんと押して調べる。 どうする?

今日はここまでだ。