眼を開けて答えてみよ!

私たちは今、CDやDVDを聴いたり見たりする、あるいはダウンロードして聴いたり、YouTubeもある。音楽をそうして、それが当たり前のように受け取っている。

それでいいのか? それで音楽は充分に役目を果たせるのか?私は若いころからずっとそのことばかりを考えてきた。

もし音楽が録音も再生もできない、大昔の状態のままだったら、思い悩むことは無かったのだが・・・音楽は、まさにそこに存在し消えてゆくという、現実そのものでいられたのに。録音と再生ができるようになったばっかりに、音楽がもたらしてくれるはずの物を、空想の、仮想の領域へ追いやってしまったのではないか?

音楽によってもっと泣き、笑い、怒り、喜び、勇気づけられたはずなのに、消えゆく音にもっと敏感になれたのに。そして、新しい音楽が生まれることを、計り知れぬほどの期待と喜びを持って待ち望むことができたのに。

かつて音楽と私たちは、もっと近くに、肌も触れんばかりの近くに互いを感じていたはずだ。愛する人のように。その愛する人が、一枚の写真を残して去ったとしても、それでもまだ幸せだというのか。違う、常にそこにあって、私を新しくしてくれたからこそ、愛したのではなかったか?

昨日も、今日も、円盤を機械にかければ、同じ音楽がスピーカーから流れてくる。スピーカーったっつて、どんな高級品だって紙じゃないか。マイクロフォンだって紙だろ。録音だって、何百か所も継ぎ接ぎしてあるんだ。音だけじゃなく、奏者の気持も繋げられるというのか? 奏者だって似たようなもんだな。聴衆の代わりに林立するマイクロフォンに向かって、ほんとうに音楽が出来るのか? おい、2楽章と3楽章の間に昼飯喰わなかったか? 自分と聴衆を熱狂させることよりも、早く仕事を終えられるほうを選択しなかったか?

いったい、いつから音楽は平気でこんなに不誠実な態度を取れるようになったのか。いつから、そんな安っぽい愛人で我慢していられるようになったのか!

帝王カラヤンよ! 眼を開けて答えてみよ!

ああ、もう居ないのか。

今日はここまでだ。