思い出話・・・あの頃のベルリンフィル(2)

あの事件。そう、ザビーネ・マイヤーの一件だ。カラヤンがソロクラリネット奏者にザビーネ・マイヤー嬢をゴリ押しで入団させようとし、オーケストラが反対し・・・という事件だ。どこから、どんな経緯でリークがあったのか、ある日突然、世界のニュースになった。ドイツのテレビでもトップニュースだった。やれカラヤンの彼女だとか、オーケストラは女だから拒否したんだとか、ろくでもない下種の勘繰りみたいな話が、まことしやかに語られていた。その、大騒ぎの日、ベルリンフィルの定期演奏会があり、指揮者はカラヤンだった。

凄かった。カラヤンが舞台袖に姿を現した途端、ものすごいブーの嵐。あのでかい体のドイツ人のブーは、半端ないからね。しかし、今度はそれに対抗して、被さるようにまたすごい拍手。これが鳴りやまないんだ、怒号も飛んで、これはいったいどうなるんだろうと思ったよ。その間、カラヤンは指揮台の前で、やや下を向いたままじっとしている。まったく表情は動かなかった。どれくらい続いただろうか、数分だろう、次の瞬間、カラヤンがくるっと後ろの指揮台に上った。カラヤンの背中が客席に向いたその瞬間、今まで体験したことのないような静寂がホールを支配した。まるで、ブレーカーが落ちた時のように、不意を衝く静寂だった。きっと誰もがその静寂にびっくりしていたと思う。そして、何事もなかったかのように、いつものように、音楽が始まった。その日、ブーを聴くことは二度と無かった。

カラヤンは背中で聴衆を黙らせた。ブーにしろ拍手にしろ、あの帝王には何の意味もなかった。ただ皆が、彼の音楽の前にひれ伏すことを求め、そして、それができる指揮者だった。その指揮はオーケストラだけではなく、2000人の聴衆にも及ぶことを証明した。

でね、その時の曲が何だったか、全く思い出せないんだな。でも、あの背中だけははっきり覚えてる。カラヤンという指揮者は私にとってはベストではないんだが、しかし、あんな指揮者はもう出ないだろうなぁと思うね。個人の音楽性や、カリスマ性だけでなく、今の時代、情報の伝わり方も全く異なってしまったからね。あの夜の演奏会を体験した2千人余のリアルの重みが、今の時代に再現され得るとは思えない。今は、リアルの重みが無くなって、世の中が動いていくような気がするね。思いがけなく、重みのあるリアルを目の前にすると、みっともなく右往左往するんだが。

音楽はリアルを捨てちゃいけない。本当に怒り、本当に泣く。

で、ザビーネ・マイヤーは本当のところどうだったのか? 明日書くよ。

きょうはここまでだ。