さてと、厄介な装飾について書くか。何が厄介かというと、音楽って、結局殆どが装飾から成り立っているから。狭義の装飾音には、トリル、モルデント、ターンなどの記号によって表されるものがある。さらに、小さな音符として書き込まれたもの、すなわち本来の小節内の拍数に含まれない音符が挙げられる。広義の装飾音はそれ以外の、譜面上に通常の大きさの音符として書き表されたもの、すなわち、拍数に含まれたものがある。BACHなんかに多いけれど、装飾の形が既に、通常の拍の中で、大きい音符として書き込まれている事がある。それだけではない、和声外の音には、それぞれ、それらしい名前が付けられている。経過音、刺繍音、倚音・・・名前が付けられているだけあって、それぞれ特徴を持っているが、いずれにしてもこれらも装飾音の一種だ。
さらに、「装飾音」ではなく「装飾」という概念で考えれば、スラーやスタカート、クレシェンド、ディミヌエンド、ディナーミク(フォルテ、ピアノ)ヴィヴラートもこれに含まれてくるだろう。そう、宝飾品や、衣装、靴だけでなく、お化粧もあれば、お肌の手入れ、髪型、髪の色、瞳の色、性格、教養、・・・血統、遺伝子とまでは言わんが、魅力を形作る要素は数えきれないくらいあり、その組み合わせは無限だ。おや、なんか脱線しそうだぞ。
小さい装飾音から、大きな概念の装飾について書いたが、これは別の意味で、点に施された装飾から、より大きな「歌う」という行為へ繋がっていく要素であるのが、お分かりいただけるだろう。胸元のダイヤモンドは魅力的にその人をも輝かせるが、それひとつでその人の魅力が完成するわけではない。だから、「ダイヤモンドの選び方」は、必要な情報ではあっても、「魅力の研究」には、まだまだ不十分だ。
「魅力の研究」つまり、「どう歌うか」こそが、本来、我々の興味の中心のはずだ。「トリルの付け方」「ヴィヴラートのかけ方」「バロック音楽の装飾法」等、一見、別個の情報も、すべて「どう歌うか」という文脈の中で解釈された時、本当に役立つといえる。
手始めにこれだけ書いておく。
「装飾は、強調点に付けられる。装飾が付けられたところは強調点となる。強調点は緊張であり、緊張は不協和音によって導かれる。」
音楽がそういった装飾に囲まれた魅力ある存在だとすれば、綺麗に飾ったお姉さんと、綺麗に飾ったお姉さんが大好きな・・と、さて、音楽が得意なのはどっちだろ?
ほらね、脱線した。
きょうはここまでだ。