音の高さは通常、周波数によって表される。空気の粗密のサイクルが1秒間に440回行われれば、真ん中のAというのはご存知の通り。人間の可聴域は下は20Hzから上は20,000Hzと言われてきた。上に20,000Hzと言っても、楽器的にはせいぜい5000Hz位が精一杯で、それ以上は聴こえないというのではなく、出せる楽器が無いだけだ。低い方は、楽器的には20Hzよりももっと低い音を出せるオルガンがある。でもね、そんな低音聴いたって、音程なんか分かんねぇよ。いうなればビリビリ音だな。この周波数とは別に、人間が1秒間にいくつの音を認識できるかという指標があって、これが大体1秒間に18個と言われている。この数は、周波数の下可聴域の数字と大体一致する。ビリビリ音と書いたのは、そのビリビリが1秒間に18個になると、これは音程としてではなく、ビートあるいはパルスとして感じられる領域に達するという事でもある。つまり、音の周波数をどんどん下げていくと、最初は音程が下がっていくが、しまいには音程が分からなくなり、ビートとして認識されるようになる。旋律は音程の変化であり、リズムはビートの変化と考えれば、ここにおいて、音程とリズムは連続したひとつの要素と考えることができるのではないだろうか。あれ? 巷で有名な音楽の3要素ってこの二つを全く別の概念として捉えてなかったか? ついでに、言っておくと、もっと周波数を落としてやると、数秒間に1回というビートになる。これを「形式」と考えると、さらには「様式」そして「時代」、「歴史」にまで想像を発展せることができる。先に、「楽譜」の項目で、楽譜から離れると、曲全体から、人生までが見通せるというようなことを書いた。何を血迷ったことを言っているのかと思ったかもしれないが、別の視点から音楽の領域を広く見渡そうとしても同様に、私たちの存在の根源に行きつくことができる。
話を元に戻す。ではハーモニーとは何か。メロディーが多層化して進行している状態としようか。いや待てよ、リズムとメロディーの両立だって既に多層化の現れじゃないのか?そこで、多層化という可能性を、可聴域よりももっと下の周波数にも広げれば、ここにポリフォニーに対するポリリズムが成立する。このポリリズムの考え方は結構古くからあったのだが、しかし、まだ未開の分野と言っていいかもしれない。まだ、多層化と言えるほど持続的なエネルギーを持ったものが出現していないんじゃないかと思う。あ、また話がそれちゃった。そこで、私には巷の音楽の3要素とやらも、どうも怪しい考え方じゃないかと思えてならない。単純に考えて、メロディーとリズムは時間に規定されるが、ハーモニーは時間に規定されない概念だろ。音楽の特質が、時間という基礎の上に成り立つことを考えれば、ハーモニーという概念は、時間に規定されるいくつかの要素の重なり合いの状態を表しているに過ぎない。それなら、ここでハーモニーの概念をまっとうな大きさに広げてやろうじゃないか。多層化だ。このことによって、今こそ全く別の音楽の概念を提示しようじゃないか。これまで挙げてきたすべての要素、音程、リズム、形式、様式、時代、歴史、そして楽譜、フレーズ、楽章、曲、練習、演奏、人生、命、それらを多層化し、ある調和を目指して進行させること、それが音楽ではないだろうか。
いやぁ、ついに、書いちまったな。
きょうはここまでだ。