問題を切り分けておくぞ。ひとつは、奏法としての音程の高低について、次に楽器の持つ音程の特性について、そして、「音程」とは何かという問題だ。今回はこの一番厄介な「音程とは何か」についてから始めようと思う。
都内のある所に、信号機のついていない五差路があった。いつもロードバイクで走っているところだ。ちなみにな、ロードバイク乗るの大好きなんだが、去年の9月にコケてな、大腿骨折れて1か月入院しとった。で、いまだに「おかあちゃん」の再乗車許可が下りない。関係無い話ですまん。で、その五差路に、ある日信号機が付いたんだ。そしたら、怖いのよ。以前は、皆、一時停止して、相手の様子を伺い、目を見て安全の確認をしていた。ところが、信号機が付いたとたんに、それをしなくなった。何しろ五差路だから、どっちへ行くのが直進か、右折か、左折か、解釈が一定でない。でも、自分の信号が青だと、「こっちが青だもんね」って、皆、突っ込んでくるようになった。もう、相手の目なんか見ちゃぁいないのね。
信号機をチューナーに置き換えてみてくれ。ある日、皆がチューナーを持ってきた。誰も人の音を聴かなくなった・・・恐ろしい話だろ? そもそも、音程は皆で決めるものであって、チューナーが決めるものではない。チューナは持っていても良いが、あんなもん家でこっそり使うもんだぞ。楽器の調整が狂っていないか、吹き方に偏りが出ていないか、ちょと調べてみるには確かに使える。しかし、レッスンやアンサンブルに堂々と持ってくるのはいただけない。耳で合わせようぜ。それが、ゆくゆくは自分のためであり、アンサンブルの向上になるんだから。だいたい、最初に皆がチューナーで、ぴたっとAに合わせられたとしようか、でも、曲が始まった次の瞬間グシャグシャにならないか? その時、チューナー見えるか? 見えたとしてだ、それで、たまたま自分の音がチューナーの真ん中を示していたからと言って、「私は合ってるもんね」って知らん顔できるか? できたら凄い度胸だな。しかし、その性格直さないと友達無くすぞ。
そもそも、音程が合うというのは、振動数が一致するという事で間違いない。そして、その振動数の比が単純な整数比であればあるほど協和する。オクターブは1:2だし、完全五度は2:3だ。完全4度は3:4で、長三度は4:5だ。こんな事を試して欲しい。最低音のC(ド)を吹く。指はそのままで、倍音を出してみてくれ。息のスピードを速めればいいんだ。第一倍音はオクターブ上のC(ド)だ。振動数が倍になるからだ。次に出るのは、2オクターブ目のG(ソ)だ。振動数は3倍になっている。次の倍音は2オクターブ上のC(ド)だ、振動数は4倍で、それは2倍の2倍だからな。次は振動数が5倍、これはE(ミ)が鳴るはずだ。次は6倍で(3倍の2倍)G(ソ)、7倍は何だと思う?B(シ♭)だ。8倍はそうまたC(ド)だ。そうやって、奇数の倍音が出てくると次々に新しい音が獲得される。実は、これ、もう少し続けていると、すっごい矛盾が生じてくる。詳しくは改めて「音階」または「平均律」という項目を立てて書くつもりだ。
今、問題にしたいのは、その協和する音を、協和していると感じる我々の耳だ。耳は鼓膜で音を感じるのは知っての通りだ。その鼓膜は、フルートの倍音と同じように整数倍の振動に協和する構造のはずだ。膜だからな。だから、それを感じられるような習慣を身に付ければ良いのであって、チューナーを見ながらの、「もう少し上」「もう少し下」というような問題では無い。だから「貴方の鼓膜の倍音はちょっと低い」という事は普通はあり得ない。「倍音を感じる習慣ができていない」だけのはずだ。まずはオクターブを、次は完全五度を感じる習慣を付けたらいい。歌ってみるのも凄く効果的だ。なぜなら、声帯も同じような構造のものだから、3倍の倍音を出す感覚によって、完全五度が取れるようになる。我々が音楽に用いる道具、器官、すべてこの構造から成り立っている。その構造に沿って「感じる」ことができれば、それが音感だ。
実は、話はまだまだ長い。後々書くが、我々には、純粋な「協和」を心地良いと感じる一方で、「平均律」という妥協の産物に、自らの耳を屈服させてきた歴史がある。しかし、それによってこそ、音楽は偉大な発展を遂げることができた。その長い葛藤の歴史を思わずして、チューナーの指し示す目盛りに盲目的に従うなら、それは我々の器官を退化に導き、いずれ音楽は崩壊するだろう。
今日はここまでだ。