フルートの吹き方 大切な話をしよう(1)

 どうだ?そっちの方は年は明けたか?黙ってりゃ、年は明けるもんな。だから、「おめでとう」って言えない、苦しんでいる人たちの痛みを、今こそ、感じようじゃないか。

 せっかくの元旦に、アンブシュアがどうの、指使いがどうのって、あんまりチマチマした話もなんだから、ちょっとだいじな話をしようと思う。

 なぁ、「人を斬りたくて」剣術の稽古をしても、とても達人にはなれんよな?弟子入りするとき、達人に念押されただろ?「抜かぬと約束するなら教えてやろう」って。あぁ、弟子入りしてないのか。達人は抜かずとも、敵は逃げていくのよ。じゃ、なんで稽古すんの?なんで、いつも刀差してるの?って話さ。守るため?何を?自分を?そうか?もっと何かあんだろ?

 フルートを稽古するとき、「上手くなりたい」ってのは、モチベーションとしては極当たり前だ。だけど、「人より上手くなりたい」、「~さんより上手くなりたい」っていうのは、ちょっと違うぞ。だいたい、「上手い」って何なのよ。きれいな音で、正確に指が回って、表現力に優れていて・・・で、それがどうしたの?

 フルートの究極の音色は、息をつまりは命を全部音に替えることだと、言ってきた。いったい何のためだったらそれができるのか?競争に勝つためか?賞賛を浴びるためにか?一生の伴侶として求める彼(女)にプロポーズをするとしよう。どうしたら、自分の思いを相手に伝えられるか、考え、苦しむだろう。その時に、参考書買うか?ネットで探すか?発声練習するか?本番で、相手の胸を打つのは、美辞麗句でもなく、美しい声でもないんだ。声なんか、裏返ったって、掠れたっていい。舌がもつれたっていいんだ。真実を話すことだ。つくった美しい声で、立て板に水のようなプロポーズは、かえって信用できないんじゃないか?サプライズだってあってもいいけど、あんまり過剰な演出だったら、引くよな。「このひと、真面目じゃない!」って。音楽も同様に、価値を持つためにはここが大切なポイントだ。あらゆる音楽は、それが奏でられる時間と場所、何のために、誰が、誰に向かって奏でるのか、その情況(それは、二度と訪れることのない瞬間でもある)によって、価値は定まる。想像してくれ。孤独なお年寄りたちを慰めようと、あるホームに慰問に行くとしよう。まだ、覚えたてかもしれぬが、子供たちの熱心な演奏は感動を与え、きっと大喜びされるに違いない。もし、私が、こんな経歴ですって、何かを引っ提げて、「上手い」演奏しようとしたら、まったく喜ばれることはないだろう。拍手ぐらいはしてもらえるかもしれないけどね。音楽の価値ってのは、そういうもんだ。

 なぁ、世の中には、自分よりもほんとはもっともっと才能があるのに、楽器に触れることさえできない人だっているんだよ。「ああ、一度でいいからあんな風にフルートで音を奏でてみたい」って、思っている人はたくさんいるんだ。フルートを持っているという事実で、既にすごい事だし、まして音を出せるなんて、ものすごいことだ。すでに私たちは、選ばれた人達なんだ、だったらそれぞれの立場で何らかの責務があるだろうってことを言いたいんだ。上手いも下手も無いんだ、ほんとうは。

 留学先をたたんで帰国したとき、本当に仕事がなかった。まじ、止めようと思った。心が折れそうだった。ある演奏会のあとで、手紙をもらった。そこにはこう書いてあった。「素晴らしい音楽でした。帰宅してから知らず知らずのうちに、いつもより優しく子供に接している自分に気が付きました。」泣いたよ。何日も読み返しては泣いた。そのとき、絶対止めないと決心したんだ。

フルートを腕自慢の道具にしてはならない!

それだけ言いたい。

今日はここまでだ。