無駄を省く

 つまるところ、奏法においても、あるいは日常のフルートにかける時間においても、無駄を省くことが上達の秘訣だ。呼吸の量は限られているのだから、「最も優れた効率でそれを音に変えた時、最高のパフォーマンスを得られるだろう」という前提で奏法を研究してきた。同時に、私たちの使える時間にも限りがあるのだから、上達の秘訣の最も重要なポイントは、「時間をどう使うか」だ。仕事もあるし、家事もある、子育てだって最重要課題だ。その中で、フルートにどれだけの時間を割けるかを研究することは、もしかすると、奏法の研究より上達への効果は大きいかもしれない。「息が足りなくなったら取る」のではなく、息取りそのものを(その音、時間)音楽表現にに含めるように言ってきた。同様に、「時間が空いたから」練習するのではなく、練習そのものが、人生の喜びであるように計画されなければならない。そして、練習そのものがどのように計画されたものであるかが非常に重要だ。その日、楽器を組み立てるまで何を吹こうか考えられていなかったとしたら、時間を無駄遣いしてしまう。何も、はいロングトーン、はい音階、はいエチュード、はい曲という練習をしろとは言わない。ほんとうに重要なのは、フルートを吹いていない時間に、「あぁ、今度フルートを吹く時には、ああやって吹いてみよう」とか「今度フルートを持ったら、あんな音で吹いてみよう」「あんな持ち方をしてみよう」「あの曲のあそこを吹いてみよう」というように、想像を働かせ、何らかの目標や、期待や、喜びを持ってフルートを持つことだ。この想像にかける時間はいくらでもあるだろう。電車の中、退屈な会議、風呂に入っている時、洗濯物を干している時、包丁を持っていてもできる。
 もし、練習時間が何分しか取れなかったとか、フルートを何日も持っていないなどと、自責の念に駆られている人がいたら、どうか、この考えている時間も練習時間に加えて欲しい。ね、これだけで健康的だし、フルートの世界が明るくなるだろ?恋人だって、会っている時間だけじゃなくて、会えない時間に、自分の事をどれだけ考えていてくれるかが上手くいくかどうかの分かれ目だな。知らんけど。
 さらに付け加えれば、アンブシュアの練習とか、呼吸の練習とか、歩きながらだってできる。唇に力が入りすぎる人は、力を抜いて両唇を閉じて、唇の真ん中にポツンと小さな穴を作るにはどうしたら良いか、マスクの下なら何時でもできる。電車で立っているなら姿勢の練習だ。足を肩幅くらいに開いて、両肩をすっと落として、首を高くして、すくっと遠くを見るような姿勢で立ってみよう。吊り革なんか持たなくても安定して立つことができる。PCの画面と睨めっこしてるなら、両手で椅子の座面を下から持ち上げるように持って、大きく呼吸をしてみると良い。肩が上がらずに呼吸できるだろう。こういった、フルートを持たずにできる練習は実は沢山ある。ご紹介したいところだが、なかなか文章で表すのは困難だ。動画を撮る余裕ができたら少しずつご紹介したいと思う。
 個々の情念や、音楽表現そのものを合理化することはできない、だからこそ合理化できるところは極限まで追求し、残った部分を解放する、その「解放される」部分こそ音楽の本質であることは言うを待たないことであろう。平均律というとてつもない合理化を果たした西洋音楽が、その事によってどれだけの果実を得ることができたか、それを想起する時、個々人の内部では、どのように合理化ができるか考えるのはきっと楽しいことだろう。

今日はここまでだ。 更新が1週間も空いてしまった。ごめんなさい。🙏

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