勇者
いくら自らが望んだこととはいえ、10歳そこそこの少年にとって二年から三年先の目標に向かって進んでいくのは並大抵のことではないだろう。当時、「勇者たちの中学受験」というノンフィクションが評判だった。確かに、彼らは勇者と呼ぶに相応しかった。学校では情報を交換し、親に対する愚痴を語り合い、そうして自らを奮い立たせていたのだから。「子供はのびのびと育てるべき」とか「子供が可哀想」なんていう意見も聞くけれど、いやいや、子供はもっとちゃんと「自分を生きている」のです。
五年生の頃の成績は上がったり下がったりで、真ん中よりちょっと上くらいが居心地の良い場所だったようだ。でもね、泣きながら勉強してた。「勉強しろ!」なんてもう誰も言わないのに。ある時、向かい合って座って算数の問題を解いていた。なんだかぐすっ、ぐすって泣いているようなんで、「おい!なんで泣く!お前の夢だろ!みんなで頑張ってるんだ!勇気をだせ!」って怒ったさ。説教したのは後にも先にもこれっきりだよ。五年生も後期になると、算数の問題でオイラが付いていけなくなった。単純な計算問題だってスピードだけで完敗。少しずつ、半歩ずつ後退していってついに伴奏はやめた。そのせいとは思いたくはないけれど、〜つまりだいぶ反抗期っぽくなった来ていたから〜成績が伸び悩んだ。少年も鬱々とした表情を続けていた。ある日、「大丈夫か?」「・・・」「気分転換でもするか?」「・・・」会話が成立しない。だが、次にこう言ったんだよ。「お前のこと信じてていいか?」次の瞬間、少年の顔がぱあっと明るくなって、すっごい元気な声で「うん!」
泣けてきたね。この歳になってまだ子育てに学ぶことがあるとはなぁ。教えたり、励ましたり、なだめたり、褒めたりって実は簡単なんだと気付かされたわ。一番難しい、「信じる」を要求されるとはなぁ。
それ以後、もう何にも言わなかったな。黙々と美味しいもの作ってた。六年生の秋、最後のクラス分けテストで一番上に上がれた。今年に入って最後の1ヶ月、凄かったね。圧巻のラストスパート。もはや少年でもなく孫でもなく、一人の人間として尊敬したわ。で、入ったよ、志望校にさ。
これが二年以上サボった言い訳。次からちゃんと音楽の話をするよ。
今日はこれまで。だ。
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