「音楽の話」カテゴリーアーカイブ

フルートの選び方・・・(3)

フルートという楽器の最大の弱点は、タンポ調整が必要であり、かつそれが極度にシビアであるという事だ。ただ塞がっていれば良いというわけではなく、調整する技術者の腕によって鳴りが大きく変わる。フルートの材質や構造が大きく問題にされるけれども、タンポ調整の技術による鳴り方の差は、これらの比ではない。良い技術者を知っているという事は、フルート吹きにとって一生の宝物だ。

だから、フルート吹きにとっても、技術者にとっても、「狂わない」「調整しやすい」構造をもつフルートは長年の夢であった。きょうは、「タンポはなぜ狂うのか」という話をしよう。

本来の伝統的なタンポは、厚紙の台紙の上に2mm程度のフェルトを置き、その上をフィッシュスキン(現在では羊の腸)で2重に覆ったものだ。フィッシュスキンはフェルトをくるみ、台紙の裏側に回って糊付けされている。逆に、トーンホール側から見ると、2重のフィッシュスキン、フェルト、紙の台紙、調整紙、台紙、カップ(キイ)という順番になる。このタンポの真ん中に2mm程度の穴をあけ、ワッシャをかませてネジでカップに止める。以上の構造を理解したうえで、「狂い」に繋がるそれぞれの問題点を挙げてみる。

まず、フィッシュスキンだが、これ自体余程の粗悪品でない限り狂いが生じることは無いと言っていい。ただ、トーンホールの金属部分と絶えず接触しているので使っているうちに破れる。2重になっているというのがいいねぇ。フィッシュスキンが破れれば目視で分かるので、外側のフィッシュスキンが破れた時点でタンポ交換、またはスキンの貼り直しだ。2枚とも破れていなければちゃんと音は出る。フェルトは水分を含んだり、乾燥したりを繰り返すうちに硬くなってくる。硬くなると音もやや硬質になる。そして柔軟性を失うという事は、調整も難しくなってくる。さらに、均質に硬くなったり、縮んだりすればまだ良いのだが、天然由来の素材だから当然若干の狂いが出る。台紙になる紙も同様に、だんだんと狂いが出て来る。いちばん外側のフィッシュスキンを張るとき、外周方向に均等な張力で貼られていないと強く張られた方が縮む。タンポ自身はこれらの要素で狂いを生む。天然由来の素材を手仕事で作るわけだから、均質に、均等の厚さで、変形しないようにするのはまず不可能だろう。

次にカップだが、これは2mm位の深さのカップに外側にはアームが、内側にはネジ台座が溶接されて作られている。このカップの内底の形状にタンポは大きく影響される。さらに、上記の溶接の際、温度によって微妙な変形が起きるので、金属だからいつも真っ平らと安心するわけにはいかない。ネジの台座だって、カップ底面に対して正確に垂直に溶接されていなければ、タンポを取り付けた際に力が一方向にかかってしまい、調整が困難になったり、後々の変形に繋がる。タンポはネジで、真ん中でしか止められないのだから、台座やワッシャの構造、形状が正しくなければ、最重要なタンポの外側に確実に影響が出るだろう。

さらに、フルートの構造からくる抗いようのない要素がある。キイとトーンホールはできればその円周上で、均一な力がかかっているのが望ましい。つまり、キイが平行移動してトーンホールを塞ぐことができれば理想だ。しかし、そんなことは無理で、アームを支点にテコのような仕組みでキイが降りて来るので、アームに近い部分と遠い部分では、かかる力に差が出てしまう。同じ理屈で、タンポが硬化して薄くなれば当然アームに近い方に隙間ができる。

これらが、フルートのタンポに狂いが出て来る要因と、タンポ調整が必要な理由だ。

そこで、みんな考えるわけだな。なんとかもっと楽にできないかと。で、やらかしちゃうわけだ。どんなことが「盛大にやらかされちゃったか」を続きで書く。楽器屋さんに行くのはもう一週間待て。

きょうはここまでだ。

フルートの選び方・・・(2)

今日は中級レヴェルの楽器選びの要点だ。
性能のよい楽器、つまり、「鳴る楽器」だと思ってないか? 鳴るって言ったって、大きい音、豊かな音、うるさい音といろいろだ。楽器屋さんの店頭で、ヒャァーって吹いて、「うん、これ鳴るわ」位の判断で高い楽器買うと、つまらないことが起きるぞ。まあ、楽器メーカーにしてみれば、パッと取って、ヒャァーって吹いて、でかい音が出りゃ、買ってもらえるだろうって思うだろうな。いまは、そんな楽器ばかりだな。

「ヘルムート・ハンミヒ氏のこと」で書いたけど、いい楽器は吹き方を教えてくれる。これは言い換えると、吹き方が少しでも正しい方向へ変化すれば、その分だけちゃんと良い音が鳴ってくれるということだ。良い音がどんな音かは、ここを読んでくれ。この将来の可能性を、楽器屋さんの店頭で判断しなきゃならない。まず、楽器屋さんの店頭でのこっちのコンディションを考えてみようか。誰でも、最初は息が広がり気味だ。だから普段でも、練習の初めには皆ウォーミングアップやロングトーンしなきゃならないわけだ。楽器選びの際、このウォーミングアップの状態で、でヒャァーって吹いちゃうと、楽器の本当の性能は分からなくなるよ。でもね、この広がり気味の息で、ウォーミングアップみたいな吹き方をした時に鳴るような楽器が、店頭に並んでるんだ。最近の歌口は、サイドが大きくカットされている。歌口の楕円の長軸方向の両側が、角を落としたように斜めに削られている。これなぁ、製作者の本当の考えは分からんが、広がった息をまとめる役割がある。だから、ヒャァーって吹くと・・・鳴る! 初心者も息は広がっているから、それはそれで助けにはなるんだけれど、そういう楽器、息がまとめられるようになっても、一向に音が充実してこない。中級レヴェルになったら、どんどん吹き方を研究し、自分の音を創っていかなくちゃならない。そんな時、これでは決して良い楽器とは言えない。

「工夫されている」歌口はこれだけじゃない。穴が殆ど四角だったり、リッププレートの向こう側がカクンと曲がっていて、穴を真上にすると断崖絶壁のようになっているのがある。これらの楽器は、演奏者の自由度を確実に奪うはずだ。頭部管を内側に回したり、歌口を下唇でたくさん覆うと、歌口の向こう側のエッジは唇に近付き、広がる前の息をにエッジに到達させる事が出来て一見有利だ。しかし、こうすると息の入るスペースが狭くなるので「大きい音」は出ない。その欠点を補うため、四角い穴は、歌口を下唇で塞ぎ過ぎても、息が入っていくスペースを確保するための仕掛けだし、断崖絶壁は歌口をかなり内側に傾けて吹いても息が通って行く仕掛けだ。これじゃ、ママチャリで自転車乗れるようになって、自転車好きになって、今度は本格的に自転車乗りたいと思った時、電動自転車に、補助輪付いたのを買うようなもんだ。競輪用の自転車は無理かもしれないが、スポーツバイクくらいは手に入れたいよな。

では具体的にはどう選べば良いか。まず、変わった形をしてたら避ける。(歪んでいるのは論外)。参考までにヘルムート・ハンミヒの歌口の写真を載せておく。これがベストとは言わない。だが、これが伝統の中で培われてきたオーソドックスな形だ。いま、楽器屋さんの店頭に、滅多に見られないからな。次に、充分にコントロールされた細い息で、小さな音を吹いてみる。なるべく少ない息で、楽器の反応を見るんだ。この時、頭部管を内側に回し過ぎないこと、そして、歌口を塞ぎ過ぎないこと。雑音が増えてくるのはここで失格だ。大きい音なんて試さなくていい、反応が良ければ大きい音は必ず出るようになる。最後に、反射板の距離を正しく調整して、第1オクターブと第2オクターブのオクターブの音程が正確かどうかチェックしよう。(有名メーカーのものならたぶん大丈夫だとは思うが)第1オクターブのD(レ)の指使いで、第3倍音のA(ラ)を出し、正しい指使いの第2オクターブの(ラ)と音程が同じに取れるかどうかもチェックできるといいが、そもそもの吹き方が正しくないと厄介だ。

早まるなよ、まだ頭部管の話しかしてないからな。

きょうはここまでだ。

フルートの選び方・・・(1)

4月になったからな、新たにフルートを始める人、あるいはステップアップで、もうちょいいい楽器を手に入れようとしている人・・・結構たくさんいると思うのでちょっと書いておく。

これから色々詳しく書いていくつもりだけど、これだけは最初にはっきり言ってしまう。フレンチモデル(リングキイ)は絶対に止めとけ。現代音楽を沢山やるつもりなの?四分音吹かなきゃならないの?グリッサンドやりたいの?そうじゃないなら止めとけって。四分音にしたって、グリッサンドにしたって全部の音域でできるわけじゃないぞ。いや、できる音の方が少ない。作曲家だって、その辺のことを知っていて、使えるから、使えるところに、使っているだけだ。純粋に音楽的な動機、必然的な欲求で四分音やグリッサンドを書いているわけじゃない。作曲家からの、そもそも、その程度の要求なんだから、これらの四分音やグリッサンドは、カバードキイでも技術を駆使すれば演奏可能な範囲だ。

とある大メーカーのHPにこんな記述を見つけた。「キイの真ん中の穴をきちんと押さえないと音が出ないから、フルートを綺麗に持つようになり、指が早く回るようになります」だって? 大嘘! フレンチモデルの高価なフルートを持って、私のところにレッスン受けに来た何人ものフルート愛好家のうち、正しくフルートを持てていた人は、10人にひとりもいなかった。殆どの人は、薬指のキイがうまく押さえられずに詰め物をして使っていたか、あるいは使わざるを得なかった。無理して押さえているために、右手の薬指や中指がトリルキイに触れてしまったり、右手小指の動作が全く自由にならずに苦しんでいた。そうまでしてリングキイを使わなくちゃならない理由は何なの? 詰め物すると音程も鳴りも確実に悪くなるんだぞ。それから、シリコンなんかの詰め物してると、安っぽい音になってしまう。

今、シリコンの詰め物している人が居たら、コルクに変えてごらん。音が変わるから。コルクが無いって? ワイン飲めよ、高級なやつな。安物だとコルクの質も悪いからな。音が良くなって、うまいワインが飲めるんならいい話じゃないか。そのコルクをカミソリで3~5ミリ厚に切って、穴の大きさに合わせて丁寧に切るんだ。酔っぱらってやると手を切るぞ、醒めてからやるんだ。

多くの場合、フレンチモデルにするのは、初心者用のフルートを使っていて、ある程度上達して、じゃあってんで、2本目は総銀かなんかで、フレンチモデルを選択なんてことが多いと思う。せっかく、せっかく、いい音も出せるようになって、吹き方も安定してきて、指の練習もこれからは捗るだろうという時に、フレンチモデルにして行き詰ってしまう。もったいないねぇ。高い楽器だから、「あ、しまった!」と思ってもそうそう買い替えられないよな。上手くいかない可能性が高いのに、それを先生が薦めたとしたらこれは罪が多いと思うね。先生も詰め物して吹いてたらそれこそ笑い話だ。

非難だけじゃどっかの野党みたいだから、カヴァードキイの利点を書いておく。
きちんと調整されていれば、リングキイよりも良く鳴る、しかも均質の音色でだ。だって、穴の開いているキイや開いてないキイが混ざっているわけじゃないからね。それは、美しいレガートに繋がる。3オクターブ目での音が安定しているので、足部管をH管にする必要がない。つまり、楽器全体は軽くなるし、持った時に右手の方が重くて下がってしまうことがない。これは、歌口を必要以上に唇に押し付けることを防ぐことにもなる。考えてみてくれ、バランスの悪い楽器で1時間練習した後の疲労度を。それを続けたときの悪影響を。某メーカーは一時期、リングキイーのタンポ抑えの金具が使っているうちに落ちてしまうという、重大な欠陥商品を作っていた。こんなの車なら即リコールもんだが。カヴァードキイはほとんど全部ネジ止めなんでそういう心配は無いだろう。よく言われるフレンチモデルでの「音の抜け」は、別の見方をすれば「放散する音」でもある。しっとりと、安定した、暖かい、柔らかい音を求めるなら、カヴァードの方が上だ。

繰り返し言っておこう。「カッコいいから」くらいの理由でフレンチモデルにしたら後悔するぞ。フレンチモデル持ってたって、上級者には見えない。特に、指の細い女性には、私は絶対勧めない。どーーーーしても、欲しいって言うんなら、1か月くらい貸してくれる人を探すんだ。高い買い物をするなら、その前にそれだけの労力をかけるのはあたり前だろ?

きょうはここまでだ。

やってはいけない・・・(4)

10)腕自慢はつまらないよ
腕自慢ていっても、ピンキリでね。演奏会自体が腕自慢のピンから、楽器屋さんの店頭で聞こえよがしに大きい音出して吹いてるキリまで、色々あるわな。まぁ、人の自慢話をどれくらい聞いていられるかにもよるけど、あんまり面白いもんじゃないよなあ。でも、よく居るんだわ、自己顕示欲のみでつい吹いてしまう方が。人が聴いてると思うと張り切っちゃうの、傍から聞いてるとすごく良くわかってしまう。どうせなら、もっと大きな欲を持ったらいいと思う。つまり、もっと良いフルート吹きになりたい、いや、もっと良い音楽家になりたい、いや、人間としてもっと立派になりたい。という風にね。 「良い演奏とは」というタイトルで、前に書いたから、読んでくれるとありがたい。で、きょうはその「自己顕示欲」は、少しでも本番に役に立つのかって話だ。

恐らく、モチベーションを高く保つためにはある程度役に立つと思う。だけど、「上がらずに吹ける」かというと、自己顕示欲は「失敗が怖い」という恐怖にも繋がるので、たぶん上手くいかない。で、上手くいかなかったとき、内容が無いと致命傷だ。「致命傷で済んで良かった」っていう冗談で誤魔化せれば次もあるけど。やっぱり、スタート地点を間違えないようにしないとね。しかしだ・・・

オーケストラの1番フルート吹き、大ソロを吹かなくちゃならない・・・オーケストラって嫌なんだよ、ほかのプレーヤーがソロの時、こっちを見ないようにして、耳だけをこっちに集中させてるのすごくよくわかる。聴衆よりも何倍も性質の悪い奴等だからな、結構すごいプレッシャーがかかる。私は、リサイタルで独奏曲吹く時の方が余程楽しい。どんなに上がったって、どんなに上手くいかなくたって、自分の音楽だもん。このオーケストラの大ソロに臨む時、要求される資質って何だろうと考える。覚悟を決めて、腹をくくるしか無い。でも、独奏曲なら「究極の謙虚さをもって音楽の陰に恐怖を隠す」離れ業もできるけど、オーケストラだとそうはいかない。結構、自己顕示欲が助けになったりするんだな。変に考えをこねくりまわすより、「ええい、目立ってやれ!」ってスケベ心で臨んだ方が楽な場合が多い。それがどうしてもできないナイーブなプレーヤーもいて、これはオーケストラのソロ奏者には絶対向かない。「上がる」という恐怖心を抑えるために、本番前にきつい酒をクッとやるのが習慣になって、そのうち指が震えるようになって、それを抑えるためにまたクッとやる、で、アル中になってしまって・・・というプレーヤーを知っている。あんなに上手かったのに、という奏者だった。彼も可哀そうだが、神が与え給うた才能があんな風に朽ちていくのか・・・と見ると、いたたまれない、ひどく胸が痛む。

なんだか悲しくなってきた。

きょうはここまでだ。

やってはいけない!・・・(3)

8)真似をするな
真似したっていいんだけどさ、真似ることができるのは大抵悪い所だから。尊敬するフルート奏者の隅から隅まで真似できたとしても、出来上がるのは上手くいってそのミニチュアだ。本家が偉大であればあるほどミニがつけられると惨めだ。ミニフルトヴェングラー、ミニカラヤン、ミニゴールウェイ、ミニパユ全部ちょっと恥ずかしい。ミニスカート、ミニパトぐらいだと本家がたいしたことないから平気だけど。ミニチュアダックスが自分をどう考えてるか聞いてみたいもんだ。私が、ほんとうの私自身でなければならない状況、虚飾を捨て、過不足なくほんとうの私を知ってもらわなければならない状況。告白するときか? プロポーズのときか? どちらでも構わんが、演奏する時もまったく同じだ。ぎりぎりの勝負をいつもしなきゃならないのが音楽だ、余裕なんかあったら途端につまらなくなる。「他人の真似なんかしてられるかぃ!」ってのが正解だ。
シュミッツ博士は、30代で現役引退。ベルリンの教授の頃は鞄ひとつでレッスンにやって来た。だから、真似のしようもなかった。そのことはかえって、学生同士、多様な個性を聴きあうことになり、とても豊かな経験をしたと思っている。少なくとも、誰が一番先生に似ているかなんて競争はまったく無かったのは幸いであった。ちなみに、教授の鞄の中身は手帳とバナナだったな。毎日、午前10時から午後2時まで、4人のレッスンを休みなく、絶対座らず、立ったままでやっていた。

9)練習を他人に聴かせるな
練習は恥ずかしい。だって、出来ないところをあからさまにするんだから。しかし、これは逆説で、恥ずかしい練習をしよう、という事でもある。細部を磨き、全体を光り輝かせるためには、音にしたって、息取りにしたって、指の練習にしたって、自分の中にある「初心者」をあぶり出し、克服していく作業が必須だ。フルトヴェングラーは何百回振ったかわからないベートーヴェンの5番でさえ、本番直前までスコアを読んでいたという。オーケストラの練習というと、奏者にとっては指揮者に甚だ不名誉な指摘をされることがある。厳しい場面だ。ある指揮者が語っていたが、オーケストラの中に出来上がったカップルがいるとやりにくいという。ある奏者に厳しい指摘すると、全く関係ないところに座っている彼女だか彼氏だかが、ふくれっ面をしているんだそうな。夫婦になると、どうでもいいというオチがついていたから、たぶん冗談だろうけどね。男に限るというオーケストラは無くなったようだが、男女平等という思想だけでこれを否定した結果だとしたら、ちょっと残念だ。誰だって、オーケストラの中で自分の彼女が指揮者にイビられてたら、気分悪くするだろ? いずれにしても、オーケストラのゲネプロに客を入れるなんて全く信じられない。オーケストラや音楽をナメとるとしか思えない。

きょうはここまでだ。

桜の開花時期の調整が可能に・・・

凄いな、知ってるか? 桜の開花時期が簡単に調整できるようになったらしいぞ。温度と日照時間の調整、そしてある種の成長ホルモンとの併用で、任意の時期に開花させる。前年の初冬から桜の樹を簡易テントで覆い、温度管理をする。そして、どういうやり方かは知らないが、成長ホルモンも必要なんだとか。

これによって、お花見目当ての訪日客に、ピンポイントで満開の桜を見てもらえるようになるので、観光業界としてはもろ手を挙げての大歓迎だそうな。訪日客、2030年4000万人を目標に掲げる観光庁もこれにはかなり期待しているらしい。まずは各自治体で協議して、開花の時期をずらして日本全国3月の中旬から5月まで桜を楽しむことができるようにする。桜の咲いていない、あるいは終わってしまった時の「桜祭り」見たいな恥ずかしいイベントは無くなるわけだな。それから、小学校や中学校は、入学式に合わせて満開の桜にすることができるようになるらしい。

けれどもこのやり方だと、花の付き具合が約2割減って少し見栄えが悪いので、桜のトンネルみたいな名物にするには、その分、樹の本数を増やさなければならない。また、色づきも今までのように今年は白いのかな、ピンクが濃いのかななんて楽しみは無く、毎回ほとんど白に咲くんだそうな。

科学の力は未だ絶大で、向かうところ敵なしのようだな。そもそも、科学と対極を成すものの概念自体が無くなってしまった。絶対にして唯一の価値観になりつつある。フルトヴェングラーのように宗教とまでは言わないけどね。

でも、これで皆黙ってるのかなぁ。桜って、微妙な気温変化で、いつ咲くかぎりぎりまでわからない。そして咲く時はその地域で一斉に咲く。それがイイんじゃないのか? 満開の桜に期待して計画した旅行、外れるのもまた楽しからずやじゃないのか? あるいは、偶然通りがかった満開の桜に、思わず足を止めるのも、幸運を得たようで楽しいはず。花の色にしても、何時だって、どこへ行ったって同じじゃ、そのうち誰も桜にワクワクしなくなると思うんだが。

この話、考えようによっちゃ、円盤主義のマエストロによく似てるよな。何時でも好きな時に楽しめる桜。見栄えを良くするために増やされた樹の数。何時でも同じ色の桜、こちらの都合に合わせて咲かせることができる桜。ワクワクしない桜。

俺は嫌だね。

きょうはここまでだ。

やってはいけない!・・・(2)

4)指のせいにするな
指が早く動かないっていうけど、日常生活を普通にこなしている指なら、充分にして結構、速く動く。電車の中でスマホのゲームやってる指、みんな早いじゃん。あぁ、あれ右手の親指か。早いパッセージがうまく吹けないのは、指が原因というよりは、音がちゃんと出ていないからというのが正解だろう。そして、立ち方、持ち方、構え方の順だ。そして、指は脳味噌持って無いから、本物の脳みそで補ってやるんだ。そして、やさーしく教えてやる。大体、指は誰でも早く動く。昔、爺が若者の頃、パチンコは玉一個ずつ台の穴に左手で入れてたんだ。ガッと左手で球をつかみ、上にした手のひらから親指で一個ずつ流し込んでいき、タイミングを合わせて右手で打つんだ。すっげえ名人が居て、思わず見とれていたことがある。盤面に一度に15個は玉が舞ってたな。もうチューリップが開きっぱなしで、ラッシュアワーの人波のように、球が吸い込まれるなんてもんじゃない、押し込まれていくんだ。あれは美しかった。技術が物を言う遊びだったのだよ。関係ないか。

5)「耐える」を美徳にするな
指の練習でもそうだが、「苦しい練習を克服した暁に勝利を得る」なんてドMじゃないかぎり止めだ。いかに練習を楽しく変えていくかに知恵を絞ろう。「楽しいからできるんだ」に考えを改める。苦労したかどうかの評価は、後々の事、自分だけで収めよう。他人に不寛容になる程苦労しちゃいけない。何時も楽しく練習だ。俺、物を作るのは大好きなんだが、片付けるの苦手。一人暮らしをしていた頃はすぐに部屋がぐちゃぐちゃだ。そういう時は、1パッセージさらう毎に1個物を片付ける。一日やってりゃ客も呼べるようになる。瞬間的に集中する訓練にもなるぞ。メトロノームで1メモリさらう毎に楽譜に点で絵を描いていくってのもやったことがあるな。それで楽譜に綺麗なピアノの絵が描けてね、シュミッツ博士がレッスンの時に、老眼鏡で覗き込んで、「なんじゃこりゃ?」って言ってたな。リズムを変えたり、アーティキュレーションを変えたりなんて当たり前よ。1パッセージさらう毎にポテチ1枚なんてのは止めとけ。楽器の内も外も悲惨だし、それより体が目も当てられなくなる。

6)教わった通りでいいと思うな
上手く吹けるようになるというお呪い(おまじない)があったら信じるか? 教わったことを形だけで考え無しに続けていたら、それはお呪いと一緒だ。とある中学校のブラスバンドを見たことがある。みんなが音を出しまくっている騒音の中で、フルートセクションの何人かが、「せーの」でヒャアーっとロングトーンまがいの事やってた。それ、どうしてそんなことしてるの?って聞いたら、先輩にそうしろって教わったって言う。いつから始まったのかはきっと、誰も知らないんだろうな。可哀そうだよな。そこまで酷くないにしても、ロングトーンなんか、モイーズのソノリテを「音を綺麗にするお呪い」みたいにやってる人多い。いや、モイーズの作だって知っているだけましかも。「指が回るようになるお呪い」はタファネル&ゴーベールだろ? 効果が全然無いとは言わない。だってお呪いだから。お呪いにしたくなかったら、ちょっとだけ考えて取り組んでみよう。

7)勝手に納得するな
大人って始末に負えない。何か問題点を分かりやすく説明すると、「解った解った」ってすぐに納得する。頭でな。で、何にもしないで次に行こうとする。いや、だから「やってみな!」って、「できるまでやってみな!」って。子供は説明なんて聞いちゃいないからね。だけど、興味を持ったり、悔しかったり、楽しかったりすれば、できるまで夢中になってやる。小さな脳味噌フル回転でな。ついでだが、そんな時、子供に、勉強しろとか、飯食えとか、風呂入れなんて絶対言うなよ。

まだ続くぞ。

きょうはここまでだ。

やってはいけない!・・・(1)

「買ってはいけない」という本が一時期売れていたようなんで、フルート「やってはいけない!」シリーズだ。ま、話半分で呼んでくれ。とんがるなよ。尤も、『「買ってはいけない」は嘘である』って本もあって、こっちはAmazonで1円で売ってたから、とんがると負けだよ。

1)心の核に傷をつけないこと
いきなりすごいこと書いちゃう。「どんなに心配事や悩み事があっても、その苦しみを心の核に届かせてはなりません。」 これはハンス・ペーター・シュミッツ博士が最初のレッスンで、最初に私に教えてくれたことだ。そのまま皆さんにお伝えしておく。多感な若者を抱える教授としては、折角の才能が、自分の手の届かないところでひん曲がっちゃうことを心配していたのだろう。親身になって学生のプライベートな心配事の相談にのってくれた。演奏とは、精神と魂と肉体の共同作業だとその著書にも書いてある。厳格で、強面だったけど、優しくて熱い人だった。

2)人の演奏を聴くな
俺、人の演奏ほとんど聴かない。だって、それ、上手いと腹立つし、下手糞だともっと腹が立つんだもん。まぁ、冗談だよ。今、CDやDVDだけじゃなく、Youtubeのようなのがあって、どんな曲でもたいてい見つかっちゃう。発表会なんかで曲を決めると、さっそく探して聴いちゃうんだよな。「あぁ、こんなテンポなのね」とか、「ここで息とればいいんだ」とかね。それ、止めようぜ。いいじゃないの、自分で最善と思ったテンポが他人の半分であたとしても、それで自分の音楽ができるなら。息取りの場所だって、音楽と密接な関係にあるのだから、自分の音楽をしようと思うなら、自分の息取りを考え出さなきゃ意味がない。一度曲を決めたら、以後、完成するまで人のを聴くのは禁止だ。マイナスワンのCDも遊びには面白いが、音大の学生がみんなおんなじテンポでコンチェルト吹いたら、世も終わりだろ。昔、ベルリンで指揮者希望の日本人学生が、練習室でカラヤンのカセットかけながら指揮の練習しているの、偶然目にしてしまった。赤面したよ。なぁ、そいつが、大指揮者になれるなんて誰も思わんだろ? どうせ踊るならエアロビクスの方が、健康になれる分だけ、よほどましだろ。さらに、ネットで手に入るものなんて、俺のブログをはじめとして、ほんといい加減なもので溢れてるから気を付けたほうがいい。

3)楽器のせいにするな
どうしてこんな「やってはいけない!」を思いついたかというと、昨日までのヘルムート・ハンミヒ師の頭部管の話を書いていたからだ。良い楽器に巡り合うことは、フルート吹きにとってものすごく幸運なことだ。良い伴侶に巡り合うのと同じだな。ブランドや金額で評価できないのは、人と同じだ。ただ、結婚しちゃったからといって「釣った魚にエサはやらない」と、面倒見ないのはいかんぞ。メンテはちゃんとやろう、たまには一緒に旅行にでも行こか。俺、明日から温泉に行く。関係ないか。昨日も書いたが、楽器が変わるのと、人間が変わっていくのと、どちらが大きいかと言えば、人間の方がはるかに不安定で変わっていく。不調だと思ったら、謙虚に楽器に聞いてみるのも必要だ。楽器店で、ちょこちょこっと吹いて、「低音が楽に鳴るから」くらいの理由で、浮気してはいけない。たいてい数日たてば、性格が悪いのがすぐにバレる。だいたい、楽器店の店頭で売れる楽器を作ろうと思えば、パッと取って、ちょこちょこっと吹いて、「鳴る」楽器がいいに決まってる。愛想のいい、イカニモ美人だ。でもな・・・、止めとくわ。そのうち、「楽器の選び方」を書くよ。

やってはいけないシリーズ、炸裂させるからな。俺、悪態ついてると活き活きしてくる!

きょうはここまでだ。

続々・ヘルムート・ハンミヒ氏のこと

その巨匠ヘルムート・ハンミヒの頭部管なんだが・・・
イイんだ、ほんとに。見たところは、なぁんにも変わったところがない。一時期流行った、絶壁リッププレートでもなければ、サイドのカットもほとんどない。でもね、いい音するんだよ。そして、何よりなのは、「吹き方を教えてくれる」んだ。つまり、吹き方が正しくなればなるだけ、いい音になってくれる。だから、正しい吹き方の方向が分かるし、その結果がすぐに音になって現れる。

この頭部管にフルートの吹き方を教わったと思っているし、あのヘルムートさんの工房や、温かい人柄、穏やかな表情を思い出すと、これ以上の楽器はないと思っている。たとえあったとしても、私には必要ない。ついでに言うと、胴体の方は、TAKUMIという、もう今では存在しないフルートだ。これも、ヤシマフルート・田中さんにじかに頼んで作ってもらった。これを、友人にして敬愛する田村フルート・田村氏にチューンアップしてもらっている。

これらの楽器を手に入れられたことによって、そして何よりもまず、楽器つくりに情熱を持っている人たちを知り得たことによって、私の音は存在し、命を持つことができる。だから、私はこの35年あまり、自分の楽器について1秒も悩んだことがない。いい音が出なかったら、全部自分のせい。これ以上の楽器があるなんて想像もつかない。これって、フルート吹きにとっては、最高の幸せだと思う。加齢によって、若い頃とはできることと、できないことが違ってくる。その違いも、ずっと1本の楽器を使っていれば、正確に把握することができる。加齢だけじゃない、見えないうちに、気が付かないうちに徐々に自分の肉体は、変化していっている。しかし、その変化が自分の出す音の変化になって感じられるのは、大抵ある日突然だ。それを楽器のせいにして、さんざん悩み、製作者に迷惑をかけ、莫大な時間を無駄にしてしまった奏者を私は何人か知っている。

こと楽器に関して、私がいかに幸運であったかをおわかりいただけると思う。今の時代では、どこそこのメーカーのフルートの、ナントカモデルで・・・しか判らないから、片っ端から吹いてみて、なんとなく気に入ったり、なんとなく妥協したりして、もっといい楽器、もっといい楽器は無いかって何時でも考えている。止むを得ないことかもしれないが、楽器はそれ自身、命も情熱も持っていると考えられたら、また新しい取り組みが生まれて来るのではないだろうか。

話が4日前に戻るが、フルトヴェングラーが「作品と直接に対決せよ」と語ったのは、楽器の場合と同じように、曲の背後に存在する作曲家の命と情熱に結びつけという意味ではないかと思う。そのことによって、曲に対するほんとうの敬意が生まれるから。

きょうはここまでだ。

続・ヘルムート・ハンミヒ氏のこと

フルートの内側に隠してもダメなので、頭部管のヘッドコルクをばらす。コルクを引き抜いてコルクの代わりに紙幣をぐるぐる巻いてやる。前後は金属板なので、ヘッドスクリューをとっても、その中のネジまで引き抜かなければばれない。(フルートの構造はここを見てくれ)巻ける紙幣には限りがあるが、西ドイツマルクには当時、500マルク札、1000マルク札というのがあって、大体5万円札、10万円札だ。だから、まぁ、やろうと思えば20~30万円は隠せるわけだ。高額紙幣は、世界的に廃止の流れになっている。高額紙幣を便利に使えるのは悪いことするときだけだからな。ユーロは500ユーロ札を廃止にするらしい、そのほとんどが地下からロシアに流れているという話だ。

で、だ。まず教えられた住所を頼りに、東ベルリンのハンミヒ巨匠の家を訪ねた。この時は、お金持っていかない。電話もしない。手紙も出さない。盗聴なんか当たり前の国だったから。でも、ほんとに貧しい国で、慎ましやかな生活をしていた巨匠だから、まず在宅しているという話だった。訪ねると、奥様が出てきて、今散歩に行っているから1時間後にまた来てくれという。こういった時間の流れが、今の時代にはあり得ないゆったりした人間味を感じるね。1時間後に尋ねると、ちゃんと巨匠が待っていてくれた。温厚で、優しそうな、どこにでもいそうなドイツのおじさんだった。工房といっても、3畳くらいの暗い部屋で、しかし、使い込んだらしい道具類はものすごくきれいに整頓されていた。日本人で、シュミッツ博士の生徒で、私のために頭部管を作って欲しいと言うと、二つ返事でOKしてくれた。金額は西の500マルクで良いと言ってくれた。そして、半年たったらまた訪ねて来いと。

貧乏学生だったので、500マルクの捻出には結構苦労した。日本人の音楽学生の面倒をよく見てくれた「京都」というレストランがあって、アルバイトさせてもらった。このレストランのご主人「しんちゃん」とママには本当にお世話になった。ありがとう。いつか機会があったらこのことを書くつもりだ。結局、再訪問できたのは8か月後になってしまった。もちろん、この間手紙も電話も無しだった。でもね、ヘルムートさんちゃんと取っておいてくれた。そして、引き取りが遅れたことを詫び、ほんの軽い気持ちで事情を話したら、50マルクのお釣りをくれたんだ。お前、学生だろって。この時、ほんとうにすまない事をしたと思った。だって、貧乏学生とはいえ当時の東ベルリンの状況からすれば、はるかに贅沢な暮らしをしていたのだから。

ヘルムートさんの工房の事を書いていたら、思い出した。ムラマツフルートの創始者、村松孝一氏にも会ったことがある。新宿・柏木に小さな工房があった。あそこも、小さな、「きれいとは言えない」家だったなぁ。(誰だか知らんが、新宿の地名も勝手に変えちまいやがってね、柏木という地名はもう無い。西新宿だってさ。)実は、名器は、特に楽器はものすごく小さな工房で作られていた、フルートだけじゃなくね。綺麗に飾られた楽器店のショウケースのなかで見る楽器は、輝いていて、ワクワクするものだけど、匠たちが真っ黒になって作ってるんだ。ブランド名や金額で楽器を見てしまうけど、その後ろに名匠の顔を思い浮かべてみよう。ヘルムートさんや村松さんの顔を知っているというのは、幸せだな、ジジイならではだろ。匠の顔を思い浮かべると、楽器の買い替えなんてそんなにできるもんじゃない。楽器で悩むのも、すごく申し訳ないような気がする。

きょうはここまでだ。