「装飾」カテゴリーアーカイブ

フルートの吹き方 装飾(10)

音楽が、それを聴く人に巻き起こす感情について、古くから多くの考察や議論が行われてきた。これほどまでに自然科学の発達した現代においても、「音楽」が解明されることはない。「音楽」への理解を助けるためにあらゆる「たとえ」を駆使しても、音楽そのものが示す一瞬の説得力を超えることはできない。我が師ハンス・ペーター・シュミッツ博士はその著書の中で、ショーペンハウアーを引いた。「音楽だけが意志そのものの模写である」と。そして、音楽に特別の地位を与え、それが私達に巻き起こす現象についてこう表現した・・・「あらゆる人間の生の精神物理学的根源の暗闇に休息しているこの核・・・」

この暗闇を覗こうとする努力は、音楽家の興味を超えて、古代ギリシャから多くの哲学者によって為されてきた。ショーペンハウアーだけではなく、マックス・ウェーバーも音楽に対して、社会学的アプローチを試みた。こういったヨーロッパ精神による「音楽」に対する分析の試みによって、音楽の伝統の中に、日本人の想像をはるかに超えた厚みが存在する。シュミッツ博士の博士号は哲学博士で、代表的な著書は「演奏の原理」だ。彼は、途方もないこの暗闇を、演奏を原理化しようとする精神によって照らそうとした。甚だ不出来であった私ではあるけれど、師のその情熱を今も背後に感じることができる。

さて、話をフルートに戻そうか。私たちの精神の欲求も、「確かなもの」と「意外なもの」の間で揺れ動く。「意外なもの」を受け入れる喜びは、「確かなもの」を確認する安心感よりも大きい。その差こそが、私たちを新しくしてきたからだ。で、きょうは「意外な音」の処理だ。「意外なもの」は、「受け入れられる形」を伴って初めて価値を持つ。旋律でも和声でも、意外な進行の際には「受け入れられる」形に演奏されなければならない。しかし、充分すぎる予備を持って演奏すれば意外性は低くなるし、その逆であれば受け入れられないだろう。ここに、センス、個性が出てくる。「音楽性」という言葉は嫌いだが、もし使うとすれば、こういった場面だろう。例を挙げる。最初がヘンデルのフルートと通奏低音のためのソナタ・ホ短調・第2楽章(G.F.Händel-Sonate e moll)、次がJ.S.バッハ・フルートと通奏低音のためのソナタ・ホ短調・第2楽章(J.S.Bach-Sonate e moll B.W.V.1034)から採った。

この背景を赤にした部分のF(ファ)の音は意外な音だ。このふたつは「ナポリの6度」という進行で、短調の主音の短2度(半音)上に成立する長3和音だ。(バスにはその第3音を持ってくるのが普通)こういった旋律を吹くときには、意外性を持つ音に十分なアクセントを付けるだけではなく、その直前の音にも十分に配慮しなければならない。「ちょっと注意して! びっくりしないでね! 音間違えたんじゃないからね!」って、吹くんだよ。その必死の思いが「音楽性」だな。

これもちょっと意外な進行、変終止だ。ヘンデルがバスを休止符にしているのが憎いね。美味しいところはフルートに、だ。(ヘンデル・ソナタ・ハ長調・第3楽章から)

昔、指がムチャクチャ回るだけの後輩がいた。そいつが、俺の演奏を聴いて「楽章間の緊張が素晴らしい」って言いやがった。血気盛んだった俺が、そいつの首絞めなかったのが不思議だ。受け入れられてこその意外性であって、受け入れられない意外性を「変態」と言う。

変なこと思い出したんで、きょうは変終止だ。

きょうはここまでだ。

フルートの吹き方 装飾(9)

終止形について書いてきたので、もう少し我慢してくれ。装飾というより、「歌い方」って言ったほうがいいような気がするけど、「歌い方」なんて、言葉にしたらあっという間に色褪せるだろうし、第一「余計なお世話」だ。だって、喜び方や泣き方を教えるようなもんだろ? 怒られ方とか、喧嘩の仕方とかはあるけどな。

ヘンデルのソナタで示したように、18世紀の音楽は、幾つかの終止形の集合体だ。この終止がどんな形をしており、どんな気配を持ち、どんな感情をもたらすかを意識しておくことは、演奏の基本と言っていい。まず完全終止。ある音階の5度の和音から主和音に解決するのだが、この5度の和音に先行して四六の和音(主和音の第二転回型=ドミソ→ミソド→ソドミで、ドミソの和音のソがバスに来る和音)が用いられることが多い。譜例を挙げる。

当たり前の形だ。で、例えば協奏曲では、この四六の和音でオーケストラが演奏を止め、独奏者のカデンツァに入る。つまり、カデンツァ部分全体は5度の和音の代理とみなす。だからカデンツァの終結部分はドミナントのトリルで終わるのが普通だ。いうまでもなく、カデンツァ後のオーケストラは主和音から始まる。ここで、モーツァルトのフルート協奏曲第1番ト長調第3楽章164小節目を見てみよう。フェルマータが付いているところだ。

ここは、譜例に示すように四六の和音ではない。(ドミナント)。だから、ここはカデンツァではなくアインガングと呼ばれる。即興的なパッセージが挿入されるが、短く、和声的にもドミナントから出ないほうが良い。参考までに、フルート協奏曲第2番ニ長調の第3楽章カデンツァ部分を挙げておく。

完全に四六の和音、カデンツァだ。これ、確かPeter版だったかな、ピアノ伴奏譜が間違っていたと記憶している。今、手元に無いので確認してから書く。

シュミッツ博士のクラスでは、カデンツァは自前のものを書かされた。苦労したな。博士の教則本にも出てるんだが、そんなの持ってったら、どえらい目に合うし。「どこかで聴いたみたいだな」って思うと、それ以上先へ進めない。今なら、気楽に「ナントカ風」見たいのが書けるような気がするけど・・・

書こうと思ってたのと全く違う話になっちまったぜ。あはは、今日は悪い夢見そうだ・・・

きようはここまでだ。

 

フルートの吹き方 装飾(8)

昨日は、曲中に現れる終止形について書いたが、今日は楽章の最後の終止について書こうと思う。ずっと例に挙げているヘンデルのソナタの第1楽章、第2楽章、第3楽章の終結部分を抜き出してみた。

第1楽章は、Gdur(ト長調)で始まり、終わりの3小節前でe-moll(ホ短調)に転調し、その(ホ短調)のドミナント(属和音)のh-dis-fis(シ・レ#・ファ#)で終わっている。このドミナントで終わる終止を「半終止」と言い、聴いてみれば分かるが、終わっていない。なんとなく、モヤモヤとしている。だから、ここには終止線(右側が太い二縦線)ではなく複縦線(小節線と同じ太さの二縦線)が用いられており、次の楽章へ休みなく進む。アタッカ(結合)と言う。発表会なんかで、簡単だからという理由で、こういった半終止の楽章一つだけを演奏するのを見かける。頑張って次の楽章もやろうよ、セットになってるんだからさ。

第2楽章は、完全終止だ。もう見事な定形。四六の和音からドミナント、トニカのト長調で終わってる。バスのD(レ)に挟まっているC(ド)はご愛敬の刺繍音だな。ここで興味深いのは、フルートの動き。

終わりから3小節前の後半から、十六分音符が続き、終わりから2小節前の後半で八分音符。最後の小節の前半は付点音符で書かれているけど、十六分音符は次の音符を先取りした装飾音なので、実質は四分音符だ。つまり、音価が倍々に大きくなっていって終わる。これ、リタルダンドもしくはアラルガンドと同じ効果をもたらす。だから、こういう場合は、リタルダンドまたはアラルガンドをあまりしないほうが良い。こういったパターンは18世紀の音楽だけでなく、かなり多く見られるので、注意して欲しい。壮大なら良いが、冗長な終わりは避けたい。ついでに、アレグロは基本フォルテの音楽。フォルテで始まり、フォルテで吹き切って終わる。だから、最後はあまり音域が下がらないようにして、派手派手しく終わりたい・・って思うなら、これもアリだ。

第3楽章はe-moll(ホ短調)四分の三拍子、Adagioだ。

この終わりも半終止で、アタッカで演奏されるが、ここで重要なのはヘミオラ(Hemiola)だ。譜で示したように、これは、2小節にわたって二分の三拍子になっている。18世紀の音楽の3拍子系には頻繁に現れる。特に終止の部分に多くあらわれるが、この例のように曲の途中や、あるいは連続して現れることもある。これは、しっかり二分の三拍子として認識し、そのように演奏されるべきだ。慣れちゃうと、四分の三拍子では気持悪くて演奏できなくなるよ。このヘミオラも、実は第2楽章と同じ拍子拡大の一種で、やはりリタルダンドは避けたほうが良い。そして、Adagioなので、第2楽章とは反対にピアノで始まり、ディミヌエンドで終わる。しかし、チェンバロという楽器の特性で音を長く保持できない。だから、チェンバリストは最後の音にアルペジオなどの装飾を付ける。このアルペジオの頂点に合わせてフルートもクレシェンドし、チェンバロの音の減衰に合わせて、消え入るように終わるのが、素敵だ。

ヘミオラは18世紀以外でも沢山出現する。シューマンのピアノコンチェルト(第3楽章)なんざ、ずう~っとだもんな。でもこの曲、指揮者は二分の三拍子には普通振らない。二分の三で振っちゃえば超簡単なんだけど、四分の三で振ると、旋律に惑わされて難しい。昔、芸大の学生オケで、指揮科の某教授がこれ振れなくてね。いきなり「これ二分の三で振りますから!」って言っちゃって、失笑を買った。挙句、何年も語り継がれてしまった。あ! 俺も語り継いでるな。40年以上も前の話だ。この手の失敗話、一杯あって、忘れられない。本番で音が出なかったとか、ピアノコンチェルトで暗譜忘れて彷徨った教授とかね。「他人の不幸は蜜の味」なんて全く思えないね。「あぁ、俺じゃなくて良かった」感のほうが強い。明日は我が身。

なんだか怖くなってきたんで・・・

きょうはここまでだ。

フルートの吹き方 装飾(7)

昨日の続き。昨日は、オクターブの下降から、4度上に進行と書いた。 しかし「音階上の5度のオクターブから主音へ解決」と書いた方が解りやすい。そして、この5度のオクターブは、しばしば同音であったり、長い音符で書かれていたりする。ま、七面倒臭い事を書いているんだが、昨日、今日の話の範囲では「聴きゃ判るさ」だよな。ただ、何調に転調したかは、これではっきり判る。昨日の譜例でいえば、
1はト長調のまま
2はハ長調へ
3はト長調へ
5はニ長調へ
6はホ短調へ
(4は偽終止)だ。
「だからどうした」って言われても困るけどな。何かイタリア風の変奏を考える時に役立つんじゃないの。ホ短調に転調したんだから前打音にdis(レ#)を使おうとかね。こんな感じかね。

順番が逆になったけど、トリルを入れるとしたらどう入れるかの例を書いとく。ただ、これ、八分音符に4個入れろなんて言ってないし、同じ音価だからといって同じ長さに吹かないでね。そう、カッコ良く吹けるかどうかは自己責任だから。

どれも、バスに対して同度や5度や3度からはトリルを始めていない。2番目と3番目は、先行音に上の音を先取りされちゃった時の処理だ。4番目はこれしか思いつかなかったが、この場合のトリルは絶対下からだ。バロックは上からなんて、決めたらあかん。

きょうはここまでだ

フルートの吹き方 装飾(6)

18世紀の音楽を演奏するにあたって、ゲネラルバス(Generalbass、Basso continuo通奏低音)を読めたほうが何かと便利だ。でも、それは、装飾、フレージング、楽章の終わり方、あるいは楽章の受け渡しとか、そんなことの助けになれば便利だ、というだけにしておこう。勉強すればするほど、窮屈になる。「ああしてはいけない」、「こうしなくてはならない」ばかりが頭に入ってくると、身動きが取れなくなる。もちろん、それを乗り越えてさらに自分の音楽を見いだせれば最高だろう。前にも述べたが、私たちは19世紀の音楽も20世紀の音楽も知ってしまった。ジャズや、ポップスや、演歌も知っている。もちろん聞いている人だって同じだ。その経験を抜きにして、自分の音楽と言い張れるだろうか? 「そんなのバロックじゃない」って、笑われてもいいじゃないか。吐き気がするならどうぞご勝手にだ。

その上で、少しだけ書いてみようと思う。ヘンデル(Georg Friedrich Händel 1685-1759)のフルートと通奏低音のためのソナタ、ト長調(G-dur)を例に採った。

まず、ざっとゲネラルバスの読み方だ。最初の音符G(ソ)に何も書いてない。これはそのまま3度と5度を重ねればよい。ま、ト長調のドミソだな。じゃ、次のA(ラ)にも同じようにするかというと、これを含めて3つ、経過音=非和声音だからほっておく。ま、バスにも遊ばせてやれよってことだ。次、これはD(レ)に4だな、これは、4度と5度を重ねる。次のC(ド)は刺繍音=非和声音だからほっとく。ああ、面倒くせぇ、つまり、テキトウに非和声音を除外して、数字のついた音符は、その指示に従えってことだ。数字の6は、3度と6度を重ねる。上の段にその和音を書いてみたけど、わかりやすく書いただけで、別にこのように各声部として進行するわけじゃない。突っ込まないでね。俺、和声の成績悪かったから。

で、今日の注目してほしい所は、何か所かある「オクターブの下降からその4度上に進行するところ」だ。この楽章中6箇所ある。このうち、4番目以外は、最後の音の上に3度、5度が乗った形で、これが終止形だ。終止にはこれ以外にもいろいろあるが、とにかくゲネラルバスで、この形が出てきたら、終止として意識した方が良いだろう。息取りや、フレージング、そしてトリルの付け方などの指針になるはずだ。何調に転調したかもわかる。特に、3番目、5番目、6番目の形は頻繁に見ることができ、多くの場合、主和音に解決する前にトリルを選択できる。(四六の和音—属和音—主和音)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

楽譜つくるのに時間がかかってしまったよ。

きょうはここまでだ。

フルートの吹き方 装飾(5)

18世紀の音楽には大別して、フランス風の装飾法と、イタリア風の装飾法があった。フランス風の装飾とは、主に、前打音や後打音、そして、トリルやモルデント、ターンなどによって、表現された。イタリア風の装飾はこれにとどまらず、まったく別の自由な変奏という形をとる。特にゆっくりとした曲では、しばしば原型を留めないほどに変奏される。譜例を挙げる。まず、フランス風装飾の例だ。曲は クープラン(François Couperin 1688-1733)の王宮のコンセール(Concerts royaux)から。

次がイタリア風装飾の例。コレッリ(Arcangelo Corelli 1653-1713)のヴァイオリンソナタをジェミニアーニ(Francesco Geminiani 1687-1762)が演奏したもの。

上段がジェミニアーニの弾いたもの。中段がコレッリの原型だ。あえて、通奏低音譜も付けておいた。違いは一目瞭然でしょ。

ここで面白いのは、当時のこんなセリフだ。「イタリア風の作品がフランス風に、フランス風の作品がイタリア風に、あるいは両方の作品がひとつの様式で、歌い演奏されるのを聞いて、ひどい吐き気を催した」(ヨハン・アドルフ・シャイベ、ハンス・ペーター・シュミッツ著「バロック音楽の装飾法」)あはは、面白いね。誰だよ、「八代亜紀のジャズ」なんて言ってるのは。昔、あるオペラ歌手が、まんまの歌い方でナツメロ歌って、顰蹙買ってたな。

だけど、当然湧く疑問。ドイツは何してたの? クヴァンツとか、C.P.E.バッハなんかのベルリン楽派は、イタリア様式とフランス様式の混合が目標だったらしい。吐き気、我慢してたんだな。でも、その努力が、19世紀のドイツ古典派の発展に結びついたという。う~ん。奥が深いな、歴史は。

フランス様式はそれほどでもないのだが、イタリア様式の装飾を試みようとすると、通奏低音の知識が必要になってくる。チェンバリストになるわけじゃないので、数字の読み方と、終止の定型くらい知っておけばいいんじゃないかな。次回は、このへんの事についてチラッと述べるつもりだ。

きょうはここまでだ。

フルートの吹き方 装飾(4)

前回の装飾(3)で、アーティキュレイションについて「自由にやろうぜ!」って書いたんだけど、私なりに大事にしている基準というものはある。例えば次の音型だ。

これはモーツァルトアーティキュレイションと言われるものだ。モーツァルト以前にはほとんど出てこない。モーツァルトのアレグロの楽章にしばしば用いられる。モーツァルトの革新的な特徴は”Singen des Allegro”すなわち「歌うアレグロ」にあった。その重要な要素がこのアーティキュレイションにある。だから、これは敬愛するモーツァルトのために取っておきたい。私は、モーツァルト以前の音楽に、このアーティキュレイションを意識して用いない。ついでに、この四つの音符がどのように演奏されるべきかを述べておく。いや、「べき」って自分に言ってるだけだからさ。あまり窮屈に考えないでね、みなさん、自分のスタイルを開発してください。

1)最初の十六分音符はスラーの頭なのでタンギングはde。やや丁寧に目立たぬわずかのアクセントが付く。あるいはやや長め。

2)二番目の十六分音符は、スタカートの直前なので当然短く切る。ただし、「短く切りすぎ」に要注意、鳴りきる前に切れないように、僅かに意識して鳴らしてから切る。特に前の音符より低い場合には、この傾向が出やすいので注意を要する。

3)三番目と四番目の十六分音符は、玉のように艶やかで、はっきりと分離していること。そして、次の音符へのアウフタクトとしての役割を持っていること。つまり、三番目に比べて四番目がしょぼくならないこと。スタカートの技術が問われる場面でもある。

「うるせえよ!」と思うだろ? でも、これ、ちゃんとできるとモーツァルトが見違えるような高級車になる。いや、もともと高級車なんだから、綺麗にしとかないとかえってみっともない。コンクールやオーディションの最後に、モーツァルトのコンチェルトが課される理由に納得がいく。

へえ、モーツァルトだけかい? って、上手いね、怒らせるの。んじゃ、バッハだ。

これ、J.S.Bachが好んだ。特に、なんとなく悲しい場面とか、激情の場面でね。
上(1段目)が、e-moll(ホ短調)のソナタB.W.V.1034.。下(2~4段目)が、マタイ受難曲から”O Mensch, bewein’ dein’ Sünde groß” 「人よ、汝の大いなる罪を悲しめ」から。

これらは、スラーの最初の音符を長く、つまり、スラーで結ばれた二つの音符は不均等に演奏される。クヴァンツだったかな、7対5って言ったのは。「適当に言うなよ!」だよな。ちなみに、バッハだけでなく他の作曲家でも、二つずつのスラーが続く場合、ゆっくりの楽章では不均等に、早い楽章では二番目の音を短く切るようにすると良い。

きょうはここまでだ。

フルートの吹き方 装飾(3)

例えば何か工芸品に装飾を施そうと考えたとき、どんなことが思い浮かぶだろう。滑らかにする。際立たせる。優美な曲線にする。磨く。文様を描く。これ、全て音楽にも当てはまる。例えば、スラーは単に「タンギングをしないで一息で吹く」記号ではなく、「レガート=結ばれた」記号なのだから、スラーをかけるときは「もっと滑らかに繋がらないものか」と考えるべきだろう。トリルと後打音を優美な曲線を描くように、あるいは美しい文様を描くように吹かなくてはならない。これが、装飾音に対する考え方だ。「素早く入れる」ことにはあまり労力を割かないほうが良い。

昨日書いたように、装飾は自分でつけることに慣れたほうが良い。楽譜に書いてある通りに吹くことが第一の目的なら、そうすればよいのだが、バロック期の曲など、全くスラーもスタカートも書かれていない。J.S.Bachの Partita a moll(フルートソロのためのパルティータ、イ短調 BWV1013)第一楽章、Allemandeには、スラーもスタカートも書かれていない。

これを演奏する時、「何も書かれていないから」そのまま何もせずに演奏したら、これは明らかに間違いと言える。そもそも、「スラーでもスタカートでも無い旋律」は存在しないと考えたほうが良い。基本的に、ゆっくりの楽章はスラーが多用され、速い楽章ではそれぞれの音符は短く演奏された。原則だ。だが、その中に在って、輝く装飾を施そうとするなら、自分のセンスに従ってスラーやスタカートを付けなくてはならない。いくらクヴァンツが「下品な装飾を付けるなら、そのまま吹いた方がまし」と言っても、そんなもん、余計なお世話だ。気にする事は無い。どんどん、付けてみないことには先に進めない。

バロック期の音楽にスラーを付けるヒントをいくつか挙げておこう。
1)装飾は強調点に付けられるので、強勢に好んで付けられる。この場合強勢とは、1拍目とアウフタクトだ。(すげぇ大雑把だが)。
2)書き込まれた装飾型はスラーで結ぶ。トリルや、ターンや、モルデントの音型がある場合、これを一つのスラーに収める。
3)跳躍よりは順次進行に好んで付けられる。
4)どちらかと言えば上行よりは下降を好む。

この条件で、例えばこんなスラーが描けたとしよう。

最初の二つはモルデントだ。3つ目と5つ目は前打音、4つ目と6つ目はアウフタクト・下降の順次進行だ。しかしこれでいいのだろうか? 他には無いのだろうか? 1小節目の前半と後半は繰り返しだ。2小節目と3小節目も繰り返しだ。これを、どう変化させるか。アーティキュレイションを変えるのか、強弱の変化をつけるのか。ね、スラーを付けるためのTIPを少しばかり知っていたとしても、答えは出ない。これから先はセンスだ。そして、有難いことに、私たちは、バッハ以後の、モーツァルトも、ベートーヴェンも、ブラームスも、ドビュッシーも、ヒンデミットも、現代音楽も、ジャズも、演歌も知っている。それらを聴いたこともないようなフリをして、「あの時代はこうだった」なんてカビ臭いきまりに、縛られる必要は微塵もないんじゃないか?

自由にやろうぜ。感じること、やってみること、勇気を持つこと、それが音楽を我々のものにする。

きょうはここまでだ。

フルートの吹き方 装飾(2)

前にも述べたように、音楽はふたつの相対する要素の間を、振り子のように運動する存在だ。本番の項目で、集中力のコントロールを考えたように、和声も緊張と弛緩とを繰り返す。緊張とは不協和音であり、弛緩とは和声的に解決された協和音のことだ。そして、この不協和音こそ、音楽の魅力の最大の功労者だ。さらに、和声的には協和音の中にあっても、様々な一瞬の不協和、刺激は旋律の魅力を増すだろう。音楽をするにあたって、この一瞬の不協和をいかに敏感に感じられるかというのは、とても重要なことだ。「不協和」という単語には、「不快」であるとか、「異質」であるとかのイメージが付きまとう。しかし、これを「刺激」であり「出会い」であり「進歩」であると捉えるなら、より身近な存在として感じられる。あるいは、不協和は「現実」であり、「協和」は理想であるかもしれない。

このような考えを元にすれば、「トリルは上からか下からか」などという些細な問題には、容易に答えが出る。「不協和音から始めよ」が答えだ。(厳密にはバスに対して不協和)「バロック時代は上から」なんて書き込みを見たことがあるが、「馬鹿はよせ!」と言いたい。答えは簡単だが、実際には工夫が必要になるだろう。先行音が3度上なら、間を埋める形で2度上から始めるのは簡単だ。しかし、先行音がトリルを始める音と同度だったらどうするのか。先行音が、2度下だったら、3度下だったらどうするのか。これらの場合、工夫が必要だし、解決法もひとつではない。改めて、譜例を示して書くつもりだが、これとて便利な字引のような働きはしないだろう。最後は耳とセンスだ。「一瞬の不協和をいかに敏感に感じられるか」という事だ。

クレシェンド、ディミヌエンドについて考えてみよう。このふたつは、対立する概念だが、しかし刺激という意味では同じだ。しばしば、クレシェンドは強い表現として意識されるが、ディミヌエンドは単に減衰する音として処理されやすい。でもディミヌエンドも強い緊張として表現されることもあるはずだ。恋人と出会うのも感動的だが、恋人に去られるのも感動的だ。たまったもんじゃ無いがね。あるフレーズのディミヌエンドを、あたかも去っていく恋人を目で追うように吹いてみよう。そんな気持ちで吹いたら、きっと最後はどんな小さな音になっても、まだ吹き続けたいだろう、見えなくなっても、それでも何らかの音を出し続ける・・・

曲の終わりの長い音、ビブラートをどうするのか。自分の死を、安らかに息を引き取るように終えようと思うなら、そう簡単にビブラートをゼロにはできないだろう。永遠の別れだ。このような状況では、最後の音が消え去る時こそ、緊張の最高点だ。曲が終わって、初めて弛緩が訪れる。

なぜこれほどまでに、装飾について、しつこいまでにその概念について書くかというと、それは「装飾は指示されて付けるものではなく、最終的には自分でつけるもの」だからだ。記号に従って、決まりに従って付けるものでは無く、「止むに止まれぬ」感情によって付けるものだ。そのことに慣れなければならない。バロック音楽において、奏者による装飾は必須だ。それは、作曲家の我々に対する敬意であり、未来への期待に他ならない。

きょうはここまでだ。

フルートの吹き方 装飾(1)

さてと、厄介な装飾について書くか。何が厄介かというと、音楽って、結局殆どが装飾から成り立っているから。狭義の装飾音には、トリル、モルデント、ターンなどの記号によって表されるものがある。さらに、小さな音符として書き込まれたもの、すなわち本来の小節内の拍数に含まれない音符が挙げられる。広義の装飾音はそれ以外の、譜面上に通常の大きさの音符として書き表されたもの、すなわち、拍数に含まれたものがある。BACHなんかに多いけれど、装飾の形が既に、通常の拍の中で、大きい音符として書き込まれている事がある。それだけではない、和声外の音には、それぞれ、それらしい名前が付けられている。経過音、刺繍音、倚音・・・名前が付けられているだけあって、それぞれ特徴を持っているが、いずれにしてもこれらも装飾音の一種だ。

さらに、「装飾音」ではなく「装飾」という概念で考えれば、スラーやスタカート、クレシェンド、ディミヌエンド、ディナーミク(フォルテ、ピアノ)ヴィヴラートもこれに含まれてくるだろう。そう、宝飾品や、衣装、靴だけでなく、お化粧もあれば、お肌の手入れ、髪型、髪の色、瞳の色、性格、教養、・・・血統、遺伝子とまでは言わんが、魅力を形作る要素は数えきれないくらいあり、その組み合わせは無限だ。おや、なんか脱線しそうだぞ。

小さい装飾音から、大きな概念の装飾について書いたが、これは別の意味で、点に施された装飾から、より大きな「歌う」という行為へ繋がっていく要素であるのが、お分かりいただけるだろう。胸元のダイヤモンドは魅力的にその人をも輝かせるが、それひとつでその人の魅力が完成するわけではない。だから、「ダイヤモンドの選び方」は、必要な情報ではあっても、「魅力の研究」には、まだまだ不十分だ。

「魅力の研究」つまり、「どう歌うか」こそが、本来、我々の興味の中心のはずだ。「トリルの付け方」「ヴィヴラートのかけ方」「バロック音楽の装飾法」等、一見、別個の情報も、すべて「どう歌うか」という文脈の中で解釈された時、本当に役立つといえる。

手始めにこれだけ書いておく。

装飾は、強調点に付けられる。装飾が付けられたところは強調点となる。強調点は緊張であり、緊張は不協和音によって導かれる。

音楽がそういった装飾に囲まれた魅力ある存在だとすれば、綺麗に飾ったお姉さんと、綺麗に飾ったお姉さんが大好きな・・と、さて、音楽が得意なのはどっちだろ?

ほらね、脱線した。

きょうはここまでだ。