年齢を「かぞえ」にすると、まず、他人の誕生日を覚えなくて済む。当然プレゼントなどというものは無いから、その心配をしなくていいし、要求されることもない。事実、私の幼少の頃、「お誕生日のプレゼント」なんていう気色の悪いものを貰った覚えがない。貧乏だったからか?いや、たぶん違う。ガキの間でお誕生会なんてものが流行りだしたのは、たぶん昭和も30年代後半だろう。だいたい、一家に何人も子供がいた時代だ、いちいち誕生会なんてやってられるかって話だ。個々の誕生日なんて、いわば「くそイベント」で、だから、「お正月の歌」は直ぐに思い浮かぶが、「お誕生日の歌」は・・・あるのか?

 あ、「ハッピィバスディ・・」は別だぞ。あんなの「もぅいぃくつねるとぅ・・」とは比較もにならんからな。あ、それからあの「ハッピィ・・」には著作権かかってるから。調子に乗って歌って、強欲鉄面皮JASRACに乗り込まれて大金ふんだくられても知らんぞ。無いとは思うが、会費制で誕生パーティーやって、あれ歌ったら・・おぉ怖っ!

 で、親父の話なんだが。いいか?

 いわゆる自衛隊の制服組だった。だから、立派な制服持っていた。だけど1度しか見たことない。小学生の頃、潜水艦だか駆逐艦だかの進水式に連れて行ってもらった。その時、別人のように凛々しい父親を見たんだ。口も利けないくらい偉い人に見えた。嬉しいというより怖かったな。だけど、通勤は安物の背広で、駅まではチャリに乗って行った。今でも変わらずなんだが、制服を着て街を歩くなんて有り得ないことなんだわ。なんで?

 当時は、「ニッキョーソ」の教師が、自衛隊員の子弟がいると「○○君のお父さんは人を殺すのが仕事です」って、教えていたんだ。いや、マジで。私は国立の学校に通わせてもらったので、そういう目には合わなかったが、兄たちはやられた。だからかな、私の通わせてもらった学校には、自衛隊員の子弟が多かった。

 最近も、自衛隊と子供たちの、公の場でのあるイベントが中止させられた。曰く「迷彩服や装甲車が戦争を想起させる」からなんだそうな。なぁ、こんな日陰者にされても、文句ひとつ言わずに頑張ってる、いや、不満よりも使命のために黙って働いているんだよ。

 偉そうなこと言ってもだな、私も若い頃は当時の流行りで、極度に左側を歩いていたのだよ。たった1回、30秒にも満たない時間、親父と「戦争」について話したことがある。次回はそれから話を始めようかな。

今から昼飯のうどんを打つ。きょうはこれまでだ。

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