月別アーカイブ: 2017年4月

やってはいけない・・・(4)

10)腕自慢はつまらないよ
腕自慢ていっても、ピンキリでね。演奏会自体が腕自慢のピンから、楽器屋さんの店頭で聞こえよがしに大きい音出して吹いてるキリまで、色々あるわな。まぁ、人の自慢話をどれくらい聞いていられるかにもよるけど、あんまり面白いもんじゃないよなあ。でも、よく居るんだわ、自己顕示欲のみでつい吹いてしまう方が。人が聴いてると思うと張り切っちゃうの、傍から聞いてるとすごく良くわかってしまう。どうせなら、もっと大きな欲を持ったらいいと思う。つまり、もっと良いフルート吹きになりたい、いや、もっと良い音楽家になりたい、いや、人間としてもっと立派になりたい。という風にね。 「良い演奏とは」というタイトルで、前に書いたから、読んでくれるとありがたい。で、きょうはその「自己顕示欲」は、少しでも本番に役に立つのかって話だ。

恐らく、モチベーションを高く保つためにはある程度役に立つと思う。だけど、「上がらずに吹ける」かというと、自己顕示欲は「失敗が怖い」という恐怖にも繋がるので、たぶん上手くいかない。で、上手くいかなかったとき、内容が無いと致命傷だ。「致命傷で済んで良かった」っていう冗談で誤魔化せれば次もあるけど。やっぱり、スタート地点を間違えないようにしないとね。しかしだ・・・

オーケストラの1番フルート吹き、大ソロを吹かなくちゃならない・・・オーケストラって嫌なんだよ、ほかのプレーヤーがソロの時、こっちを見ないようにして、耳だけをこっちに集中させてるのすごくよくわかる。聴衆よりも何倍も性質の悪い奴等だからな、結構すごいプレッシャーがかかる。私は、リサイタルで独奏曲吹く時の方が余程楽しい。どんなに上がったって、どんなに上手くいかなくたって、自分の音楽だもん。このオーケストラの大ソロに臨む時、要求される資質って何だろうと考える。覚悟を決めて、腹をくくるしか無い。でも、独奏曲なら「究極の謙虚さをもって音楽の陰に恐怖を隠す」離れ業もできるけど、オーケストラだとそうはいかない。結構、自己顕示欲が助けになったりするんだな。変に考えをこねくりまわすより、「ええい、目立ってやれ!」ってスケベ心で臨んだ方が楽な場合が多い。それがどうしてもできないナイーブなプレーヤーもいて、これはオーケストラのソロ奏者には絶対向かない。「上がる」という恐怖心を抑えるために、本番前にきつい酒をクッとやるのが習慣になって、そのうち指が震えるようになって、それを抑えるためにまたクッとやる、で、アル中になってしまって・・・というプレーヤーを知っている。あんなに上手かったのに、という奏者だった。彼も可哀そうだが、神が与え給うた才能があんな風に朽ちていくのか・・・と見ると、いたたまれない、ひどく胸が痛む。

なんだか悲しくなってきた。

きょうはここまでだ。

やってはいけない!・・・(3)

8)真似をするな
真似したっていいんだけどさ、真似ることができるのは大抵悪い所だから。尊敬するフルート奏者の隅から隅まで真似できたとしても、出来上がるのは上手くいってそのミニチュアだ。本家が偉大であればあるほどミニがつけられると惨めだ。ミニフルトヴェングラー、ミニカラヤン、ミニゴールウェイ、ミニパユ全部ちょっと恥ずかしい。ミニスカート、ミニパトぐらいだと本家がたいしたことないから平気だけど。ミニチュアダックスが自分をどう考えてるか聞いてみたいもんだ。私が、ほんとうの私自身でなければならない状況、虚飾を捨て、過不足なくほんとうの私を知ってもらわなければならない状況。告白するときか? プロポーズのときか? どちらでも構わんが、演奏する時もまったく同じだ。ぎりぎりの勝負をいつもしなきゃならないのが音楽だ、余裕なんかあったら途端につまらなくなる。「他人の真似なんかしてられるかぃ!」ってのが正解だ。
シュミッツ博士は、30代で現役引退。ベルリンの教授の頃は鞄ひとつでレッスンにやって来た。だから、真似のしようもなかった。そのことはかえって、学生同士、多様な個性を聴きあうことになり、とても豊かな経験をしたと思っている。少なくとも、誰が一番先生に似ているかなんて競争はまったく無かったのは幸いであった。ちなみに、教授の鞄の中身は手帳とバナナだったな。毎日、午前10時から午後2時まで、4人のレッスンを休みなく、絶対座らず、立ったままでやっていた。

9)練習を他人に聴かせるな
練習は恥ずかしい。だって、出来ないところをあからさまにするんだから。しかし、これは逆説で、恥ずかしい練習をしよう、という事でもある。細部を磨き、全体を光り輝かせるためには、音にしたって、息取りにしたって、指の練習にしたって、自分の中にある「初心者」をあぶり出し、克服していく作業が必須だ。フルトヴェングラーは何百回振ったかわからないベートーヴェンの5番でさえ、本番直前までスコアを読んでいたという。オーケストラの練習というと、奏者にとっては指揮者に甚だ不名誉な指摘をされることがある。厳しい場面だ。ある指揮者が語っていたが、オーケストラの中に出来上がったカップルがいるとやりにくいという。ある奏者に厳しい指摘すると、全く関係ないところに座っている彼女だか彼氏だかが、ふくれっ面をしているんだそうな。夫婦になると、どうでもいいというオチがついていたから、たぶん冗談だろうけどね。男に限るというオーケストラは無くなったようだが、男女平等という思想だけでこれを否定した結果だとしたら、ちょっと残念だ。誰だって、オーケストラの中で自分の彼女が指揮者にイビられてたら、気分悪くするだろ? いずれにしても、オーケストラのゲネプロに客を入れるなんて全く信じられない。オーケストラや音楽をナメとるとしか思えない。

きょうはここまでだ。

桜の開花時期の調整が可能に・・・

凄いな、知ってるか? 桜の開花時期が簡単に調整できるようになったらしいぞ。温度と日照時間の調整、そしてある種の成長ホルモンとの併用で、任意の時期に開花させる。前年の初冬から桜の樹を簡易テントで覆い、温度管理をする。そして、どういうやり方かは知らないが、成長ホルモンも必要なんだとか。

これによって、お花見目当ての訪日客に、ピンポイントで満開の桜を見てもらえるようになるので、観光業界としてはもろ手を挙げての大歓迎だそうな。訪日客、2030年4000万人を目標に掲げる観光庁もこれにはかなり期待しているらしい。まずは各自治体で協議して、開花の時期をずらして日本全国3月の中旬から5月まで桜を楽しむことができるようにする。桜の咲いていない、あるいは終わってしまった時の「桜祭り」見たいな恥ずかしいイベントは無くなるわけだな。それから、小学校や中学校は、入学式に合わせて満開の桜にすることができるようになるらしい。

けれどもこのやり方だと、花の付き具合が約2割減って少し見栄えが悪いので、桜のトンネルみたいな名物にするには、その分、樹の本数を増やさなければならない。また、色づきも今までのように今年は白いのかな、ピンクが濃いのかななんて楽しみは無く、毎回ほとんど白に咲くんだそうな。

科学の力は未だ絶大で、向かうところ敵なしのようだな。そもそも、科学と対極を成すものの概念自体が無くなってしまった。絶対にして唯一の価値観になりつつある。フルトヴェングラーのように宗教とまでは言わないけどね。

でも、これで皆黙ってるのかなぁ。桜って、微妙な気温変化で、いつ咲くかぎりぎりまでわからない。そして咲く時はその地域で一斉に咲く。それがイイんじゃないのか? 満開の桜に期待して計画した旅行、外れるのもまた楽しからずやじゃないのか? あるいは、偶然通りがかった満開の桜に、思わず足を止めるのも、幸運を得たようで楽しいはず。花の色にしても、何時だって、どこへ行ったって同じじゃ、そのうち誰も桜にワクワクしなくなると思うんだが。

この話、考えようによっちゃ、円盤主義のマエストロによく似てるよな。何時でも好きな時に楽しめる桜。見栄えを良くするために増やされた樹の数。何時でも同じ色の桜、こちらの都合に合わせて咲かせることができる桜。ワクワクしない桜。

俺は嫌だね。

きょうはここまでだ。