思い出話・・・あの頃のベルリンフィル(1)

ブログ書いてると、色々思い出してしまうな。特に頭にくる話な。だから、頭に来ない話を書く。私がベルリンにいた期間は、まさに帝王カラヤンが君臨し、そして、あの事件が起きるまでだ。全盛期だったと思う。ま、演奏はフルトヴェングラーの方がはるかに好きだったけどね。定期演奏会は殆ど聴いた。貧乏学生だったから、最初の頃はポディウム(Podium)というオーケストラの後方の席で聴いていたが、しばらくして、舞台の右上の5階席で聴くようになった。値段はどちらも同じくらいだったと思う。1000円弱だ。あのオケ裏の席、指揮者はよく見えるけど、音は最悪だ。って事は、オケで吹いてても聴こえてくるのは最悪ってことだな。確かに、その舞台上でオケやってると、音程が合わなくて思わず身震いしたような場面でも、後から客に聞くと、すごく綺麗に響いていて気にならなかった、という事はよくあった。あのフィルハーモニーというホールは魔法のように美しく響いた。

定期演奏会のチケットを手に入れるには、いつも徹夜だった。原則は並ぶんだけど、2時間おきくらいの点呼に居ればいいので、朝までほとんど列はできなかった。今じゃ、オンラインで買えるからなぁ。

その頃のベルリンフィルの演奏会で、登場するだけで拍手の鳴りやまない指揮者、というのが何人かいた。カール・ベーム。彼は法学博士号を持っているので、必ずベーム博士(Doktor Karl Böhm)と呼ばれていた。日本でも、博士号持っているんなら〇〇博士と呼んだらいいと思う。私が、師を必ずシュミッツ博士と書いているのは、尊敬の念をそれくらいは示したいという気持ちだ。ゲオルグ・ショルティ。彼も必ずサーの称号を付けられていた。(Sir Georg Solti)。意外なところで記憶してるのは、ロヴロ・フォン・マタチッチ。(Lovlo von Matacic)日本ではなじみだったけど。あの時のスメタナ「わが祖国」は、忘れられない。ドクター・ベームと並んで、19世紀生まれの指揮者だった。19世紀の音楽というのが、まだ現実に感じられる時代だった。「下宿のおばさんが、生ベートーヴェンを知っていた」なんてウィーンのヴァイオリン奏者にも会ったしな。

でね、あのカラヤンはどうだったかっていうと、拍手はすぐに鳴り止んだ。いやもう、出て来る時から帝王然としていて、客まで支配してたから。その拍手が、鳴り止まない事が一回だけあった。そう、あの事件だ。

きょうはここまでだ。

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