月別アーカイブ: 2017年2月

ひとやすみ(2) PCがぶっ飛びましてね

突如として、PCがぶっ飛びましてね。ブログ書いていて、何回もSAVEする前にShutDownしてしまい、なんか焦げ臭いと思っていたら、うんともすんとも言わなくなってしまった。開腹して、原因はマザーボードか電源ユニットと推理。しかしなぁ、この先、どうやって調べるんだ? と思いつつもネットオークションでマザーボードの値段調べ。ふと気が付いて、ベランダに捨て置かれていた古いPCを回収。電源を取り出してはみたものの、ピン数が合わないじゃん。んでも、強引に「いいか入るところに入れば」という「死なばもろとも」状態で、えいやっ! おぉ! マザーボードのLED点くじゃん! んで、今度はAMAZONで電源探し。昨日の夜発注して、今日の昼には届いた。便利になったもんだ。昔はこんなことがあると、秋葉原のジャンク屋さん廻ったものだけど、いや、もうそんな気力無いわ。昔の、秋葉原のジャンク屋さん面白かったな。謎の人物がたくさんいた。親父の不機嫌な顔、見てるだけでも楽しかったもの。「これ、動くの?」なんて聞いたら、こっぴどく叱られたな。でも、イチかパチかで買ったもの、みんなちゃんと動いた。500メガのハードディスクがまだ万の値段の頃、フレキシブルケーブルが切断された、廃棄用のハードディスクを500円くらいで買ってきて、虫眼鏡を覗きながら、細っーい線を繋ぎ合わせて復活させるの流行ったよなぁ。あぁ、ネットもアナログ回線で、テレホーダイってのがあって、夜11時になると・・・・・止めとこ。

演歌は嫌いじゃないの。演歌歌手、音程良いし、みんな歌上手い。歌い回しが、好みじゃないが。前回、アカデミズムについて少し書いた。アカデミズムの対立概念は、ジャーナリズムなのだから、某局のDirectorが「演歌も聞け」と言ったのも、実は、道理に合っている。たったそれだけのことなら、あまり執念深く思い出すのも小者感が漂うね。だがしかし、「アカデミズムやエリート主義が、まるで悪のように言われて久しい。下へ降りることばかりが善のように扱われる。」と書いちゃうと、やはり、もうひとこと言いたくなるな。

ジャーナリズムって、いつも正義の味方を自称して、自信たっぷりだ。でも、それって何でもかんでも「きれいごと」に収めてきただけなんじゃないか、と私は思う。物事は一切きれいごとに収められて、一件落着だ。でもなぁ、実は、このジャーナリズムが(最近では自分たちを「メディア」と呼んでいるようだが)負け始めてるんじゃないか? Brexitや、アメリカの大統領選挙で見事に恥をかいたもの。ポピュリズムだなんて言ってるけど、何を言ってんだかね。自分たちが、元祖ポピュリズムだからねぇ。インターネットの普及で、みんな本音を言うようになったんだと思うね。ジャーナリズムのいう「正義」が、単なるきれいごとで、個人の感情の奥底に目をやると、心の底まできれいごとで生きられる人は、そうは多くないんだろうね。俺? 無理、無理。だから、既存のジャーナリズムが自分たちを「メディア」って呼ぶの、ちょっとおかしいと思うね。「一緒にしないでくれ!」って思っている人たちも多いと思うよ。音楽と同じように、時代も一方の極から反対の極への振り子のように動く。決して同じ所へは戻らないのが振り子と違うところだが。今、振り子が逆方向へ向かう力の影響を、受け始めているのかもしれない。だから、「世の中を発展させていく責任は、いったい誰が持っているのか。いや、その責任を自覚しているのは、いったい誰なのか。」と、自分に問うてみたのさ。

これ、何回も書き直した。PCの故障のせいだけじゃない。だってどうしても文章が、1960~1970年代風の過激なスタイルになっちまうんだ。苦労した。

今日はここまでだ。

ひとやすみ(1) 2×エピソード

エピソード(1)・・・ラーメン、喰えってか?

ドイツで勉強をしていたころ、日本の某T〇Sテレビの、ロケのコーディネータ兼通訳のちょっとしたアルバイトをしたことがある。仕事のできないDirectorちゃんでな。もう日本を出るときから頭の中に絵が出来ちゃってる感じで、なんともやりがいの無い仕事だった。ま、そんなことはどうでもいいんだが、このD.ちゃんが曰く「クラシックをやるなら演歌も聴かなくちゃダメですよ。」だって。あきれ返って、なんと返事したか覚えてないね。かろうじて「ふん」と答えたかどうか。そりゃ聴くこともあるわな、普通に。JAZZは好きだし。でも、ろくにクラシックを知らないアンタが「聴かなきゃダメ」って言う根拠は何なの? まぁ、「クラシック馬鹿」みたいな表現もあったから、多分そのことを言ったんだろうけどね。それまでの会話の中に、「クラシック最高!」なんて、俺、一言も言ってないし。フランス料理の修行をしにパリへ来たんだっていう料理人に、「ラーメン喰わなきゃダメよ」って言うか? 肉にされるぞ。反論はしなかったけど、腹の中ではそう思ってた。さて、諸君! 俺を傲慢だ、鼻持ちならん、生意気だと思う方もおられよう。じゃ、次のエピソードだ。

エピソード(2)・・・シュミッツ博士、激怒!

ハンス・ペーター・シュミッツ博士のクラスにいた頃の出来事だ。ドイツ人の学生4人が、冗談半分にストリートパフォーマンスをした。一応、ホッホシューレの学生だから、そりゃ上手いよ。拍手喝采、結構儲かったって話を彼等から聞いた。で、それがどういうわけか、シュミッツ博士の耳に入った。シュミッツ博士、激怒!!! 「私はそんな事のために、あなた達に教えている訳ではない」だ。あんなに怒ったの知らない。博士は明らかに、「自分の教えている音楽」を高い位置に置いていた。自分の教えている音楽が、街の道端で演奏されることを許さなかった。このある種のエリート主義と言おうか、誇り高きアカデミズムと言おうか、そんな矜持を博士は崩すことはなかった。「世の中で主導的役割を果たせ」とも言った。

アカデミズムやエリート主義が、まるで悪のように言われて久しい。下へ降りることばかりが善のように扱われる。伝統を守りつつ、世の中を発展させていく責任は、いったい誰が持っているのか。いや、その責任を自覚しているのは、いったい誰なのかだ。

ふたつのエピソードを書いてみた。これ、順番を逆にしたら、きっと印象が違ったと思う。

あ、俺、ラーメン好きだから。自分で麺を打って、週に5日は喰う。
きょうはここまでだ。

フルートの吹き方 装飾(3)

例えば何か工芸品に装飾を施そうと考えたとき、どんなことが思い浮かぶだろう。滑らかにする。際立たせる。優美な曲線にする。磨く。文様を描く。これ、全て音楽にも当てはまる。例えば、スラーは単に「タンギングをしないで一息で吹く」記号ではなく、「レガート=結ばれた」記号なのだから、スラーをかけるときは「もっと滑らかに繋がらないものか」と考えるべきだろう。トリルと後打音を優美な曲線を描くように、あるいは美しい文様を描くように吹かなくてはならない。これが、装飾音に対する考え方だ。「素早く入れる」ことにはあまり労力を割かないほうが良い。

昨日書いたように、装飾は自分でつけることに慣れたほうが良い。楽譜に書いてある通りに吹くことが第一の目的なら、そうすればよいのだが、バロック期の曲など、全くスラーもスタカートも書かれていない。J.S.Bachの Partita a moll(フルートソロのためのパルティータ、イ短調 BWV1013)第一楽章、Allemandeには、スラーもスタカートも書かれていない。

これを演奏する時、「何も書かれていないから」そのまま何もせずに演奏したら、これは明らかに間違いと言える。そもそも、「スラーでもスタカートでも無い旋律」は存在しないと考えたほうが良い。基本的に、ゆっくりの楽章はスラーが多用され、速い楽章ではそれぞれの音符は短く演奏された。原則だ。だが、その中に在って、輝く装飾を施そうとするなら、自分のセンスに従ってスラーやスタカートを付けなくてはならない。いくらクヴァンツが「下品な装飾を付けるなら、そのまま吹いた方がまし」と言っても、そんなもん、余計なお世話だ。気にする事は無い。どんどん、付けてみないことには先に進めない。

バロック期の音楽にスラーを付けるヒントをいくつか挙げておこう。
1)装飾は強調点に付けられるので、強勢に好んで付けられる。この場合強勢とは、1拍目とアウフタクトだ。(すげぇ大雑把だが)。
2)書き込まれた装飾型はスラーで結ぶ。トリルや、ターンや、モルデントの音型がある場合、これを一つのスラーに収める。
3)跳躍よりは順次進行に好んで付けられる。
4)どちらかと言えば上行よりは下降を好む。

この条件で、例えばこんなスラーが描けたとしよう。

最初の二つはモルデントだ。3つ目と5つ目は前打音、4つ目と6つ目はアウフタクト・下降の順次進行だ。しかしこれでいいのだろうか? 他には無いのだろうか? 1小節目の前半と後半は繰り返しだ。2小節目と3小節目も繰り返しだ。これを、どう変化させるか。アーティキュレイションを変えるのか、強弱の変化をつけるのか。ね、スラーを付けるためのTIPを少しばかり知っていたとしても、答えは出ない。これから先はセンスだ。そして、有難いことに、私たちは、バッハ以後の、モーツァルトも、ベートーヴェンも、ブラームスも、ドビュッシーも、ヒンデミットも、現代音楽も、ジャズも、演歌も知っている。それらを聴いたこともないようなフリをして、「あの時代はこうだった」なんてカビ臭いきまりに、縛られる必要は微塵もないんじゃないか?

自由にやろうぜ。感じること、やってみること、勇気を持つこと、それが音楽を我々のものにする。

きょうはここまでだ。

フルートの吹き方 装飾(2)

前にも述べたように、音楽はふたつの相対する要素の間を、振り子のように運動する存在だ。本番の項目で、集中力のコントロールを考えたように、和声も緊張と弛緩とを繰り返す。緊張とは不協和音であり、弛緩とは和声的に解決された協和音のことだ。そして、この不協和音こそ、音楽の魅力の最大の功労者だ。さらに、和声的には協和音の中にあっても、様々な一瞬の不協和、刺激は旋律の魅力を増すだろう。音楽をするにあたって、この一瞬の不協和をいかに敏感に感じられるかというのは、とても重要なことだ。「不協和」という単語には、「不快」であるとか、「異質」であるとかのイメージが付きまとう。しかし、これを「刺激」であり「出会い」であり「進歩」であると捉えるなら、より身近な存在として感じられる。あるいは、不協和は「現実」であり、「協和」は理想であるかもしれない。

このような考えを元にすれば、「トリルは上からか下からか」などという些細な問題には、容易に答えが出る。「不協和音から始めよ」が答えだ。(厳密にはバスに対して不協和)「バロック時代は上から」なんて書き込みを見たことがあるが、「馬鹿はよせ!」と言いたい。答えは簡単だが、実際には工夫が必要になるだろう。先行音が3度上なら、間を埋める形で2度上から始めるのは簡単だ。しかし、先行音がトリルを始める音と同度だったらどうするのか。先行音が、2度下だったら、3度下だったらどうするのか。これらの場合、工夫が必要だし、解決法もひとつではない。改めて、譜例を示して書くつもりだが、これとて便利な字引のような働きはしないだろう。最後は耳とセンスだ。「一瞬の不協和をいかに敏感に感じられるか」という事だ。

クレシェンド、ディミヌエンドについて考えてみよう。このふたつは、対立する概念だが、しかし刺激という意味では同じだ。しばしば、クレシェンドは強い表現として意識されるが、ディミヌエンドは単に減衰する音として処理されやすい。でもディミヌエンドも強い緊張として表現されることもあるはずだ。恋人と出会うのも感動的だが、恋人に去られるのも感動的だ。たまったもんじゃ無いがね。あるフレーズのディミヌエンドを、あたかも去っていく恋人を目で追うように吹いてみよう。そんな気持ちで吹いたら、きっと最後はどんな小さな音になっても、まだ吹き続けたいだろう、見えなくなっても、それでも何らかの音を出し続ける・・・

曲の終わりの長い音、ビブラートをどうするのか。自分の死を、安らかに息を引き取るように終えようと思うなら、そう簡単にビブラートをゼロにはできないだろう。永遠の別れだ。このような状況では、最後の音が消え去る時こそ、緊張の最高点だ。曲が終わって、初めて弛緩が訪れる。

なぜこれほどまでに、装飾について、しつこいまでにその概念について書くかというと、それは「装飾は指示されて付けるものではなく、最終的には自分でつけるもの」だからだ。記号に従って、決まりに従って付けるものでは無く、「止むに止まれぬ」感情によって付けるものだ。そのことに慣れなければならない。バロック音楽において、奏者による装飾は必須だ。それは、作曲家の我々に対する敬意であり、未来への期待に他ならない。

きょうはここまでだ。

フルートの吹き方 装飾(1)

さてと、厄介な装飾について書くか。何が厄介かというと、音楽って、結局殆どが装飾から成り立っているから。狭義の装飾音には、トリル、モルデント、ターンなどの記号によって表されるものがある。さらに、小さな音符として書き込まれたもの、すなわち本来の小節内の拍数に含まれない音符が挙げられる。広義の装飾音はそれ以外の、譜面上に通常の大きさの音符として書き表されたもの、すなわち、拍数に含まれたものがある。BACHなんかに多いけれど、装飾の形が既に、通常の拍の中で、大きい音符として書き込まれている事がある。それだけではない、和声外の音には、それぞれ、それらしい名前が付けられている。経過音、刺繍音、倚音・・・名前が付けられているだけあって、それぞれ特徴を持っているが、いずれにしてもこれらも装飾音の一種だ。

さらに、「装飾音」ではなく「装飾」という概念で考えれば、スラーやスタカート、クレシェンド、ディミヌエンド、ディナーミク(フォルテ、ピアノ)ヴィヴラートもこれに含まれてくるだろう。そう、宝飾品や、衣装、靴だけでなく、お化粧もあれば、お肌の手入れ、髪型、髪の色、瞳の色、性格、教養、・・・血統、遺伝子とまでは言わんが、魅力を形作る要素は数えきれないくらいあり、その組み合わせは無限だ。おや、なんか脱線しそうだぞ。

小さい装飾音から、大きな概念の装飾について書いたが、これは別の意味で、点に施された装飾から、より大きな「歌う」という行為へ繋がっていく要素であるのが、お分かりいただけるだろう。胸元のダイヤモンドは魅力的にその人をも輝かせるが、それひとつでその人の魅力が完成するわけではない。だから、「ダイヤモンドの選び方」は、必要な情報ではあっても、「魅力の研究」には、まだまだ不十分だ。

「魅力の研究」つまり、「どう歌うか」こそが、本来、我々の興味の中心のはずだ。「トリルの付け方」「ヴィヴラートのかけ方」「バロック音楽の装飾法」等、一見、別個の情報も、すべて「どう歌うか」という文脈の中で解釈された時、本当に役立つといえる。

手始めにこれだけ書いておく。

装飾は、強調点に付けられる。装飾が付けられたところは強調点となる。強調点は緊張であり、緊張は不協和音によって導かれる。

音楽がそういった装飾に囲まれた魅力ある存在だとすれば、綺麗に飾ったお姉さんと、綺麗に飾ったお姉さんが大好きな・・と、さて、音楽が得意なのはどっちだろ?

ほらね、脱線した。

きょうはここまでだ。

別冊綴込 業界用語

生徒は、先生の一番悪いところを真似すると言いますな。別に先生だけじゃなくて、小さい子供を見ていると、何処で覚えてくるんだか、悪い言葉ばかり達者になるようです。音大なんてぇ所に入りますと、1年も経たないうちにお下品な業界用語を覚えてしまいますな。

「ヤノピのルーモとビータでシーメしたらデーマン」まあ、なんとお下品ざましょ。「ピアニストの彼女と旅行に行って食事をして2万円払いました」だ。

まず数字。1はツェー。以下ドイツ語読みで2がデー、3がエー、4がエフ、5がゲー、6がアー、7がハー、ジャズ系の人だとビーって言う。8はオクターブのオク、9がノインじゃなくてナインだ。どうも音楽家の頭では、ドイツ語の9までは覚えられないらしい。で、例えば、1000円はツェーセンだ。もともとはギャラの交渉に使われたんで、円は付けない。「取っ払いでゲーマン」って言えば、「税申告抜きの5万円」だ。テンパー抜かれるとエフゲーだ。または、エフ万ゲー千ともいう。ゲーセンったってゲームセンターじゃないから。

単語はだいたい逆さまにするが、完全に逆さまにしてはいけない。「仕事」は「ゴトシ」、「タクシー」は。「シータク」だ。だから「びっくり仰天」は「クリビツテンギョウ」になるわけだな。「チャンピオン」は「オンピチャン」だ、可愛いだろ? 2音節で逆さまにするときは、間に長音を加える。「飯」は「シーメ」、「旅」は「ビータ」だ。じゃ、1音節は? 「目」は「エーメ」、「歯」は「アーハ」。「誰かエーへしたろ!」みたいに使う。

しかし書いてて、なんと下品な言葉遣いかと、手が震えるよ、まったく。隠語の代表格は、アードゥとルーモだ。アードゥはdur(長調)の逆で、ルーモはmoll(短調)の逆、すなわち、アードゥは男、もしくは彼氏、ルーモは女または彼女を指す。舞台屋さんの業界用語が、から来た言葉も多いが、音楽界の用語として、皆平気で使っている「ゲネプロ」。あれは”Generalprobe”ドイツ語(総練習)の短縮形だ。ドイツでは短縮しない。当たり前と思うかもしれないが、ドイツだって短縮することがある。ゲシュタポは、”geheimnis Staatspolizei”(ゲハイムニスシュタァツポリツァイ=国家秘密警察)の略だ。これ、豆な。話、戻して、指揮者は「ボーフリ」。リだ。ラじゃないぞ。

さっきから、キーボードの手が止まってるんだが、いや、とても書けない言葉が山のようにあってね・・・書けないくらいだから、逆さまにしないと言えないんだけどね。止めとくわ。

個人的には、作曲家の名前や曲名に、逆さま語や短縮形を使うのは嫌いだ。実際、あまり使われていなかったように思う。取り違えると大変なことになるからかもしれない。「べとしち」とか「しべに」とか言うのは、アマチュアオーケストラの人に多い。「ベートーヴェンの七番」、「シベリウスの2番」って、ちゃんと言おうぜ。

きょうの、手抜きですまん。まねすんなよ。明日から、「装飾」について書く。これが厄介なんだ。

きょうはまでここ。

フルートの吹き方 アウフタクト(1)

アウフタクトを「弱起」と訳したのは誰よ? 直訳すれば、「上に向かう拍」な訳だから、「弱い」なんて意味は全く無い。運動の方向を、力の方向を言っているだけ。だから、どうせなら弱起って言うよりは、ジャッキって言ってしまった方が良かったかもね。冗談だよ!

強拍を振り下ろすためには、持ち上げとかなきゃならん。その持ち上げる拍がアウフタクトだ。日本人は特に苦手。だって、言語構造がそうなってんだもん。前置詞も冠詞もないんだからしょうがない。だから古い唱歌の類はみんな1拍目から始まる。「桜ぁ、桜ぁ、弥生の〜」「はぁるの小川はさらさら〜」「はぁるのぉうらぁらぁのぉ〜」もう、全部と言っていいくらい。やっと見つけたアウフタクトの曲は、「浜辺の歌」。でもさぁ、「あーしー、たーは、まーべーえを」じゃ、粋がって業界用語使いまくりのお兄さんみたいだよな。英語でも、ドイツ語でも、イタリア語でも、たぶんフランス語でも、冠詞や前置詞があってそれがアウフタクトの役割を果たしている。”on the desk“、”in the room“だな。それを発音しながらタクトを振ってみるとよくわかる。赤字が一拍目だ。次に、「机の上」、「部屋の中」で振ってみようか。ね、無理。だって、「の上」、「部屋の中」だもんな。だから、アウフタクトには気をつけようね、意識して取り組もうねって話。なんだが、このままじゃつまらないから、日本語で振れるアウフタクトを考えて見た。形容詞や、副詞句を加えるとそれっぽいのが出来るぞ。
「ダメな」「バカな」「酔っ払って寝る」「あっち、行けよ!」「えっ!聞いてません」どうだ!?

じゃ、最後に宿題だ。”Happy birthday to you” を振ってみてくれ。

今日はここまでだ

フルートの吹き方 アウフタクト(2)

宿題の答え合わせやろか? 簡単だった? そうか、すまん。


だよな? 日本人なら。
でも正解はこっちだ。


Happy→Birthday、To→You、Dear→〇〇、が、アウフタクトと1拍目の関係だ。この方が言葉と音楽とがマッチするだろう。さらに、歌うと、アウフタクトが決して弱拍ではないことが分かる。このことは明日述べる。最初の譜面は、各小節線の上で休むことができるけど、正しい譜面では、小節線の上で休めない。これがものすごく大事な所だ。前にも書いたが、小節線の上で息を取ることがどんなに犯罪的な事かがわかるだろう。旋律線を感じるときには、日本人の言語頭脳はきっぱり、捨てておかなければならない。

でも、最初に挙げた譜面だって、音楽的にはあり得る。ポロネーズみたいでいいじゃん。そっちを選んだとしても、落ち込む事は無いよ、こんなの書いたから元気出せよ。

これで、少なくとも、奇数小節から偶数小節に行く時に息を取ることはできなくなったはずだ。

ところで、こうはしなかったよな?

まあ、To→You、Dear→〇〇、でアウフタクトがいい感じだけどね。ちょっとねぇ。

きょうはここまでだ。

フルートの吹き方 アウフタクト(3)

さて、アウフタクトがどういうものかは、第1回目に書いたが、どう演奏するのかについて少しだけ書いておこう。

アウフタクトは、持ち上がっていく拍だ。昇りつめた頂点が、小節線だ。そこで静止することなく、一気に降りて来て1拍目だ。だから、アウフタクトが1拍目につながる瞬間、すなわち小節線の上は、エネルギーが溜まっていて、不安定、まさに緊張状態だ。そんなところで、呑気に息なんか吸って居られる訳がない。でしょ?そして、その頂点に向かって、自然なクレシェンドが起こるはずだ。息取りのところで述べたように《息の取り方(1)(2)》、しゃがんだ状態から伸び上がる動作と一致する。これは動作からすると決してディミヌエンドではない。そして《息の取り方(7)》も思い出して欲しい。この記号だ。

ね。後半のクレシェンドがアウフタクトだとすると、息取りは当然その前だし、逆もまた真也で、息取り後は自然にクレシェンドだ。ここでヴァイオリンを考えてみよう。何の知識もなくていい。ボーイングにはアップとダウンの2種類がある。オーケストラではこれをきっちり揃える。これは見た目だけでなく、アップとダウンの音の性格が全く違うからだ。弓先で弾くときには手元から遠く、力が入りにくい。逆に手元では、手の重みが加わりやすいので、音は大きくなる。さて、アウフタクトを弾くときに、自然な動作は、アップかダウンか。1拍目はやはりダウンで弾きたいだろうから、アウフタクトは当然アップだ。動作的にも、逆は考えにくいだろう。アップは弓先から手元に向かって弾いていく、つまり、ヴァイオリンのアウフタクトには、自然なクレシェンドが内包されている。というわけだ。オーケストラで弦楽器のセクションが、あーだ、こーだとボーイングで話し合っているとき、「私、関係無いも~ん」って、言わずに、ちょっと耳を傾けてみよう。フルートの吹き方の参考になる話が聞けるかもしれない。

オーケストラついでに、「運命」の冒頭、あなたが指揮者だったらどう振る? 4分の2拍子、1小節はひとつに振る。(日本人の駆け出しの指揮者だとまともに振れないのが多いよ。オーケストラも日本人だからな。)なぜなら、譜面はこうなっているからだ。

最初の3つの八分音符がアウフタクトだ。最初の休符を分かるように振り、長い二分音符が最初の着地点になるように振る。八分音符3つはクレシェンドであり、二分音符の音が一番大きい音だ。ダダダダーン じゃ判んねえよな。最初のダが一番大きい音に読めちゃうもんな。ま、強いて書くなら ッダダダーン だな。譜面を見て、振る練習をしてみてくれ。どんな振り方でもいい、これならオーケストラ全員が出られるだろうと思えたら、それが大正解だ。アウフタクトはそのように吹けばいい。

きょうはここまでだ。

寄り道 伝説の写譜屋さん

昨日、手書きの譜面について少し書いた。歳がばれるからあまり書きたくないが、大学生の頃はまだコピー機は普及してなかった。だから、図書館で見つけた貴重な楽譜は写譜するしかなかった。会社などには、青焼きというコピーがあって、それで楽譜をコピーすると、紫外線のせいか、数カ月も持たなかった。真っ白になっちまうんだよ。それに、このコピー、仕上がりは濡れてたな。

写譜(手書き)の要点は、楽譜の読みやすさだ。音符ひとつひとつの高低や長さだけでなく、まとまった音符の読みやすさも重要だ。これは、前から書いてきた、楽譜の読み方と同じ理屈だ。そして、フレーズの見やすさと、改段、改頁の関係など、とても奥の深い世界だ。それは奏者のイマジネーションをも左右するほどだ。楽譜のソフトもかなりの性能を持つようになったので、スコアが打ち込んであれば、ポン!で一応パート譜が作れるようにはなった。しかし、これをプロの写譜屋さんの譜面と比べると、もう、ぜんぜんダメ。良い譜面というのは音楽そのもので、音楽のイメージを表現している。そう、楽譜から暖かい風が吹いてくるんだ。だから、このような時代になっても、音楽を次から次へと生産していかなければならない現場からは、手書きの譜面が無くなることは無い。まあ楽譜ソフトでも、時間をかけて成型すれば、売られている楽譜のようにきちんとしたものを作る事は出来るけど。暖かい風までは、どうかな。

で、写譜屋さんという職業がある。作曲家や、編曲家が書いたスコアをパート譜にする職業だ。スタジオ録音なんかでは、ギリギリに曲が仕上がってくることが多く、写譜屋さんが大活躍する。その仕事は、読みやすく書くだけでなく、速い、とにかく速い。で、伝説の写譜屋さんが登場だ。彼は、作曲家がスコアを書いているその向かい側から譜面を見て、書いていく先からそれをパート譜にしていったという。譜面台に楽譜を逆さまに立てて吹いてみるとその能力のすごさが良く分かる。

しかし、実はそんなことで驚いてはいられない。あのモーツァルトは、弦楽四重奏の楽譜を、スコアを書かずにいきなりパート譜から書き始めたという。えっ!!! 絶句!

写譜屋さんの書き方とは大分違うが、我々が手書きで譜面を書くときのコツを少し書いておく。好みの問題もあるので、ベストとは言えないが・・・
鉛筆で書く。HBでいい。譜頭(玉)は小さく書く、鉛筆の芯の太さくらいで充分、点、まん丸でいい。線間の音符は線に接しないように書く。譜尾は、原則1オクターブだが、いくらか長めのほうがいい。譜尾は、譜頭と接するか接しないかの地点から細く弱く書き、止めるところでしっかりと書く。クレシェンドで書く感じだ。譜尾と桁に定規は使わない。小節線と(デ)クレシェンドには使ってもよい。加線の上に出る音符は、加線から離して書く。(加線に接しない)どうだろう、これだけでだいぶ読みやすい譜面が書けるはずだ。

きょうはここまでだ。