月別アーカイブ: 2017年1月

フルートの吹き方 息の取り方(3)

昨日はちょいと散漫な文章を書いてしまった。勘弁してくれ。つまりは、アウフタクトの後で息取れませんよ。小節線の上で息取れませんよということだな。あ、2行くらいで書けたな。

きょうは、一転して、じゃぁ、どこで取れるのかという、ものずごぉく俗な話だ。恥ずかしいし、企業秘密を含んでいるので、24時間で消す。
1)フレーズの終わったところ
2)長い音符の後
3)同音反復の間
4)同型反復の間
5)順次進行よりは跳躍の間
6)旋律線の山・谷の、谷の直後

個別の説明に入る前に、三つばかり、お約束な。
ひとつ ・・・楽譜に印刷されている息取り記号を信用するな!
ふたつ ・・・先生が「そこで息をとっても良い」と言ったからって、考えもせずに一生そこで息を取ろうと思っちゃだめよ!
みっつ ・・・リズムは鼓動だ、(息取りのために)止まったら、死ぬ!

1)フレーズの終わったところ。
これ、当たり前体操ね。これは、取れるというよりは、取らなきゃダメという所だな、たとえ息が充分にあってもだ。

2)長い音符の後。
ま、これもあたりめぇだな。息取りに必要な時間は、前の音符のお尻を削るしかないからな。

3)同じ高さの音が続く場合、その間。短い息取りになるけど、慌てずにな。方法は後で述べる。

4)同型反復。いくつかの音符によって作られる同じ音型が繰り返される場合だ。ゼクエンツァ(Sequenza)とも言うな。同じ音型であれば、音の高さは変わっていても良い。その、音型の繰り返しの間だ。ま、同音型であるということを示すために、若干「意味ありげに」吹くわけだが、その時に取れるよって話だ。いま、「意味ありげ」って書いたが、結構重要なんだな。ドイツ語でいうと”deutlich”。レッスンではほんとに多用される単語だ。日本語訳は「はっきりと」と訳されることが多いんだが、ちょっと違うんだよなぁ。語源は”deuten”という動詞で、これは、「示す」「指示する」みたいな意味だ。これの形容詞。英訳すると、”clear”か、”distinct”なんだが、この場合、”distinct”が合ってる。「他のものと明確な違いを示す」ってな意味だな。「意味ありげ」ってのは、そういうことだ。

5)順次進行よりは跳躍の間。
基本的に、Allegro、Vivace、Prestoなどのテンポを早めにとる曲の中では、音符は短めに(スタカート気味に)演奏される。これ常識。しかし、それでも、通常、順次進行や、半音階等はスラーをつけて演奏されることが多い。(たとえ、バロック期のソナタなどで、スラーが書かれていなくても)だから、あるひとつのフレーズの中では、順次進行よりは跳躍の間のほうが取り易い。もちろん、順次進行であっても、フレーズの切れ目では息を取るべき。

6)旋律線の山・谷の、谷の直後。
これ、覚えとくと、得よ。旋律線っていうのは、まあ行ってみれば、音符を折れ線グラフみたいに繋いだ線だな。これの、谷底の直後というのは息を取り易い。ただ、谷底と言っても、単純な一番下の音とは限らない。谷底に例えばモルデントがあったら、そのモルデントの直後だ。モルデントというのは、簡単に言うと、トリルの逆のように中心音から下への装飾だ。音型が下がってきたときに、着地する音を考えたらいい。メロディーは、しばしば行き過ぎて、地面に潜り込んでから着地するからな。

息取りの場所が分かったら、オーケーって言えないのが息取りの難しさだな。どうやって取るかも重要だし、上記6項目以外でも取らなきゃならない局面は沢山あるだろうし。
長くなるから、
きょうはここまでだ。
(24時間で消さないよ、安心しろ!)

フルートの吹き方 息の取り方(4)

もし、肺活量が8000位あって、なぁ~んも考えなくても、いつでも次の休止符まで吹けちゃってさ・・・そういうの、「才能」だと思うか? 羨ましいか? もし、人よりも肺活量が少なくて、息取りも人より沢山必要だ、う~ん、どうしよう? どこで取ろう? どうやって取ろう? って、いつも考えなくちゃならん・・・でもな、10年たったら、絶対、こっちの方が音楽の高みに達していていると思うな。それが「才能」だと思うよ、私は。「考える」、「解決方法を見つける」、それこそ「人間が生きる」ってことで、「音楽する」って事だから。例えば、指が回らなかったら、その理由を考える。あらゆる理由を考えるんだ。持ち方、吹き方、姿勢・・・。ついでに言っとくと、じゃ、それでも「指が回らなかった」らどうするか。答えは簡単「人の3倍さらう」だ。その覚悟を決める。覚悟決めれば楽よ。でもな、それは大変な覚悟になるはずだから、安易に決めないほうがいいな。だから、まず、とことん考えようぜ。

「音大を受験したいんですけど、一日どのくらい練習したらいいですか?」 なんて、ネットのQAサイトなんかでよく目にするけど、皆、適当だよな。「最低毎日5~6時間、部活はダメ」とか答えてるの見て、「おいおい、止めとけよ、子供いびるのは」って思うな。まぁ、質問の内容自体、「違うんじゃね?」とも思うけどさ、もし私が答えるとしたら、「1日24時間フルートの事を考えていなさい、練習は、時間があったら、好きなだけやりなさい、嫌になったら即止めなさい」だな。何を隠そう、私、昔っから練習だいっっっ嫌い。ほんとに嫌い。だから、フルート持たずに「どうやったら練習しないでうまく吹けるようになるか」ばっか、考えてるのよ、今でも。だから逆に、練習する時は「あぁ、やだな」とはあんまり思わない。ですから、皆さん!「練習しなくちゃ」という強迫観念は捨てましょう。そんなこと考えてるから「あぁ、今日も練習できなかった」とか、「時間が無い!」なんて、面白くない気持ちになるの。仕事しながら、授業中、あるいは電車の中で「今度フルートを持ったら、ああいう風に吹いてみよう」、とか「あそこはこうしてみよう」とか、考えるだけで絶対上手くなるって。

ああ、息取りね。ちょっとこんな事してみようか。ため息をついてくれ。しょっちゅうやってるから得意だろ?ため息ついた後の肺の状態を、ニュートラルの状態としておこうか。さぁ、そこからさらに息を吐いてみてくれ。結構、息、残ってるよな。どんどん吐くと、お腹に力入ってくるよな。もう吐けないってところまで吐いたら、すっとお腹の力を抜いてみようか。自然に空気入ってくるよな。そしたら、そのままの流れで一杯まで息吸おうか。はい、出来上がりよ。何式呼吸でもいいの!それができれば。そして、肝心なのは、そのニュートラルのあたりが一番呼吸のコントロールがし易いんじゃなかという事。だから、いつも目一杯吸う必要無いのよ。だいたい、息、吸う量と吐く量、同じにしとかないとそのうち死ぬよ。そういうわけで、基準は常にニュートラルの状態に置いておこうね。

で、もうひとつの息取り方法。今述べたように、次の息取りまでの息だけ吸えばいいんだから、あんまり忙しくないスタカートの連続の場合、毎回息を取るとすれば、ニュートラルの状態から音1個分の息だけ吸えばいいわけだ。そうなると、わずかの息の出し入れの技術が必要だよな、「目一杯吸って、足りなくなったらどこかで吸いましょ」の反対なんだ、実は。犬の真似してみようか。暑いとき口開けてハッ、ハッ、って息してるだろ。あれの真似。沢山吸わんでいいから、少しずつ早く繰り返せるように練習してみてくれ。途中でリズムが乱れたり、だんだん息の収支が合わなくなって苦しくなってきたら、うん、未熟だな。目一杯吸って、胸や喉で息止めて、小出しに息使ってると、苦しいよ。
この息取りの方法ができれば、かなり息取りの場所を増やせるぞ。アーティキュレーションを利用して息が取れる。ただし、息を吸った後に、アンブシュアが即出来上がらないとなかなか上手くいかない。だからぁ、唇に力入れすぎんな!ってことになるの。出てくる息の量とスピードに合わせて、アンブシュアを作ればいいの。アンブシュアを作って息を出すんじゃないのね。

やってみりゃ簡単なんだけど、書くとなんだか難しそうだな。
でも、きょうの練習は、夜中でもできるぞ。

きょうはここまでだ。

フルートの吹き方 息の取り方(5)

先日挙げた6項目の息取りポイントと、短い息取りの方法で、多くの問題は解決できると思うが、それでもまだ課題は残る。この残った課題こそ息取りで苦労するところなので、それを説明できないとインチキと言われてもしょうがないな。渋々説明する。

ドアに鍵、窓にカーテンな。たとえば、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」冒頭、フルートのソロ。これ、旋律的には息をとるところ無くは無いのだが、長ぁいスラーが付いていて、しかも、世界中のオーケストラでみんな一息で吹いているから、もしスラーをぶっち切って息を取ろうもんなら、指さされて笑いものになる。こういうのは練習するっきゃない。必要なのは、息の倹約と、タンク満タン状態での息のコントロールだ。よく冒頭のCis(ド#)、短く吹いてごまかしてるけどな。練習するっきゃないのは、そうしてもらうしかないんで、そうじゃないヤツな。エチュード系の16分音符が連続しているのとか、19世紀ヴィルトーゾ系の曲みたいなヤツだ。まず、基本的にやっちゃいけないのは、小節線の上で、テンポ止めてヒュッと息取る方法。エチュード系でよくある、2小節ごとに小節線の上でヒュッなんてやっちゃいかんぞ、絶対に! 確かに、小節線の上で息を取らなきゃならないことはある。エチュード系なんて、十六分音符のまま再現部に突っ込んでいくのなんか当たり前だからな。こういう場合は、リタルダンドをする。音符の間隔を少しずつ広げていって空いた所で息を取る。アーティキュレーションと組み合わせればよりやり易くなるはずだ。この時も、できることならアウフタクトにとれる音列を見つけ出して、その直前で取れればかなり素敵だ。繰り返しておく。「テンポを止めるな」「息取りを音楽の中に取り込め」だ。

それでも取れないときはどうするか。俺って親切だろ?ヴィルトーゾ系なんかで、「カッコイイ場面でリタルダンドなんか出来ません!」って、怒るなよ、確かにそうだ。じゃぁどうする? 答えは、音を省くか、音形を変える。それしかない。こうするとなんか「負けた」感無いか?だから言ったでしょ、「楽譜通り」に拘るとロクな事ないよって。心配すんな、誰も吹けないような書き方してある曲、山のようにあるから。変に誤魔化そうとして、聴いている人に違和感を感じさせてしまうより、そのスピード感なり、躍動感を感じてもらうほうが目的にかなってる。奏者がいくら全部の書かれている音を吹こうが、それだけで誰かが褒めてくれるわけじゃないもん。それでも、音全部吹かないと、作曲家に申し訳が立たんという場合は、しょうがねぇからこうしろ。皆さん大好きなカルメンファンタジーから、譜例挙げとく。注意してほしいのは、旋律線の谷底の直後であり(谷底はGis-ソ#)、それに続くA-ラへの装飾音E-Fis-Gis(ミ-ファ#-ソ)が、アウフタクトのように取れる地点で、細工が行われているところだ。この譜面、印刷で無責任な息取りマークが付いてる、これ、鵜呑みにしてこのままやろうとしたら、曲止まるか、しゃっくりみたいな息取りになるよな。息取り直前のGisなんか、まともに鳴らないだろ?

ひとつ大事なことを忘れていた。すまん。「長い音符の後だけど、息を取らないほうが良い」場合だ。その続きで「それでも、どうしても取りたいんだ!」場合の処理方法だ。明日にしようっと。

きょうの結論は、聴く人ファースト!だ。作曲家ファーストでも、俺様ファーストでもないの。

きょうはここまでだ。

フルートの吹き方 息の取り方(6)

きょうは、ちょっと難しい話になるかも。昨日予告しておいた、長い音符の後でも息を取らないほうが良い場合だ。まず譜例を挙げておく。

ヘンデル(Händel)のフルートと通奏低音のためののソナタ・ロ短調(h-moll)、第1楽章Largo冒頭。1小節目の最後のfis(ファ#)から4小節目のais(ラ#)まで一息で吹けるんなら、それでいい、さいなら。まず、スラーを考えてみようか。第1小節目にヘンデルが自分でスラーを書いてる。ちなみに、ヘンデルの書いたスラーはこの楽章であと3か所しかない。いずれも装飾の音型をひとまとめにして付けている。じゃぁ、後は全部スラー付けないんですか?という疑問は当然湧いてくるな。この辺の詳しいことは機会を改めて書くことにする、バロック期のソナタのそもそも論から始めないとならないからな。スラーは、装飾のひとつの方法であって、スラーでもなく、スタカートでもない、つまり、装飾を施してない旋律というのは、きわめて例外と思っておいて欲しい。だから、この楽章がLargoという比較的ゆっくりに演奏される楽章であることを考えあわせると、スラーはどんどん付けたほうが良い。参考までに、スラーを付けてみた。

2小節目の最初のスラーはプララー(のような装飾)、二つ目のスラーはモルデントという解釈だ。ふたつを合わせた装飾と解釈すればcis(ド#)からcis(ド#)までをひとつのスラーにしてもいい。さて問題は次だ。2小節目の3拍目、3小節目の1拍目、同じく3拍目、そして4小節目の1拍目で、d-cis-h-ais(レ・ド#・シ・ラ#)という美しい下降音型がある。十六分音符はその下降に逆行したこれまた素敵な装飾だ。この装飾は長い音符からタイで続き、弱拍から始まる順次進行だな。こういった場合、スラーは分けない方が素敵だ。(やってみ?)はい、見事に息取りポイント無くなりました!で、こうやってもいいんだが、

どうも、息取りの後の短い弱拍は、短すぎる傾向があり、しかも順次進行だと目立って、尖がって聞こえてしまう。「スラーは装飾として強調点に付けられ、原則的に頭にアクセントを置く」事からすると、折角の素敵な装飾を台無しにしてないか?

こうすると素敵になるぞ。

3小節目の1拍目の四分音符を2分割して、同音反復を作り出し、その間で息を取ることにした。これは、息取りのポイントを無理やり作り出したように見えるけれど、堂々と息を取れば立派な装飾になる。

どうだろうか?息取りも、立派な装飾に変化する可能性があるんじゃないだろうか。こんな例はしかし、実際山ほどあるし、個々の局面で様々な解釈も成り立つので、原則を示すわけにはいかない。ひとつの例として参考にしてくれ。

で、もうひとつ譜例を挙げておこう。J.S.Bach BWV1034 Ⅲ楽章、息取りの難しい部分だ。

一見どこでも取れそうだが・・・

どうだろうか?

 

ああ、今日は疲れた!

きょうはここまでだ。

フルートの吹き方 息の取り方(7)

昨日の最後の譜例は、言葉でまとめると、長い音符の後に続く後打音は、基本的にはスラーで結ぶ。しかし、その間で息を取らなければならない場合、息取りの後に、もう一度長い音と同じ音程から始めるととっても素敵! かな。素敵! って言ってるだけだから・・・気に入らん人も居るだろうな。ただ、息取りを考えるときの参考にしてほしいということと、より音楽的な息取りへのアプローチとして、書いてみた。息取りを楽しもう!

息取りの方法の最後に、もう一つ大事な点を挙げておこう。それは、息取りの前後の音の処理だ。良く息取りの前の音が、いきなりフォルテで切れる場合がある。しばしばそれを本人が自覚していない場合があるので、自分の演奏を注意深く聞いてみよう。録音して聞いてみるのが最も良い方法だ。幸い、スマホなんかで簡単に録音できるのだから、これを使わない手はない。面倒臭いってか? 昔はな、カセットレコーダーでぽちっと押して録音開始、ぽちっと押して録音終了、で、巻き戻しだ。頭が出ないのよちゃんと。それに比べりゃ今は天国だな。ま、嫌だけどな、自分の聴くの。この、演歌歌手の歌い方のような唸ったようなフォルテは、息を吸い過ぎていたり、息のコントロールが充分でない状態で吹いている時によく起こる。息を取る前に、余った息を吐いてしまおうとしたり、一度お腹に緊張を加えないと上手く息が吸えなかったりした時だ。まるで「よいしょッ!」て掛け声かけて息を吸うのが聴こえてくるようだ。これは、かなり強烈な印象を与えてしまうから、表現としてわざとフォルテで見得を切るように吹くのもアリだけど、、あまり多用しないほうが上品なんじゃないだろうか・・と思うよ。フォルテで終わって、その後の静寂が対比になるような時は、劇的な効果を生むことがある。オペラ歌手は時々やるね。毎回、無意識のうちに、劇的に吹いていたら、ちょっと問題だ。

息取りの後の音が、ドッカンと出ちゃったり、つんのめった様に尖がったり、爆発音だったり、タンギングが汚く聴こえたりってのも、よくある問題点だ。原因の主なものは、まず、息の吸い過ぎ。いつも、目一杯吸って吹き始める人は、気を付けようね。飯も空気も腹八分だ。それから、やはり吹き方で、音の立ち上がりが悪いとこの傾向は強くなる。そのうちいつか、ロングトーンについても書こうと思っているが、ロングトーンの際最も注意しなければならないのは、音の出る瞬間と、音の切れる瞬間だ。つまり、ロングトーンの重要なポイントは「息取り」と言っても差し支えない。

この印をきょうは覚えてくれ、事あるごとに思い返して欲しい。わが師ハンス・ペーター・シュミッツ博士が、何度となく私の譜面に書き込んだ記号だ。

息取りの前はディミヌエンド、後はクレシェンドだ。これ、逆手に取るとディミヌエンドと、クレシェンドが出会う点は、息取りポイントになり得るという事でもある。

明日は、楽譜の読み方を書こうと思う。

きょうはここまでだ。

フルートの吹き方 楽譜通り?(1)

 最も簡単に、曲を吹く方法は、楽譜通りに吹くことである。はい、おしまい。
え?機嫌悪いのかって?いや、普通だ。この件について書くと、際限ないから憂鬱なんだ。横槍が入るのが分かっているからな。「まず、楽譜通りに演奏するのが基本でしょ、基本無くして発展無し」「勉強の過程では、楽譜通りに吹くのがまず大事」「楽譜通りに吹ければ後は個人の自由ですから、個々の感性に従って」「じゃぁ、好きにやっていいんですかぁ」「作曲家の意図に沿わなければ」・・・

 楽譜って何なんだ?そこに、「音楽」が詰まってるのか?ねえよ。設計図?いや、メモ位だろ。黒いインクだけで表現される二次元の存在が「楽譜」だ。演奏するという行為は、二次元の存在を、立体化することだ。現実化、血肉化と言ってもいい。自分が創り上げたい、あるいは造り上げなければならない音楽の中に、楽譜というメモの比率はどのくらいか考えてみるといい。音楽がデカければデカいほどメモの比率は低くなるよな。誰よりも美しい音で、的確なテクニックで、楽譜通りに演奏し、ちょこっと思い入れの表情なんか付けたりすれば、音楽が勝手にデカくなる・・・わけはない。

 作曲家は個々の楽器に対してそんなに詳しくはないし、演奏家の音楽性にまったく期待していない作曲家も稀だ。手書きの譜面見てみろよ。スラーなんか、ぴゅぅっといい加減に引いたのが多いぞ。フルート吹きの息の長さなんて、J.S.バッハなんか、知ったこっちゃぁないと思ってるぞ。息取りの記号だって、作曲家が書いたのかどうかきわめて怪しいし、書いてない所で息を取ったら間違いか?スタカートの点が付いてない音符を、スタカートで吹いたらいけないのか?それに、スタカートだって、いろんな種類があるしな。23連符は全部23分の1の長さじゃないといけないのか?ドップラーはフルートの名手だったが、絶対にあの楽譜通りには吹いてない。吹いた音楽を楽譜に直したら、あのようにしか書けなかったというのが本当のところだろうね。つい最近までは、作曲家は手書きで譜面を作った。それを書き写したり、版に起こす人がいて、印刷譜が出来上がる。その過程で間違いは起こらないのか?どこの誰かも示さずに、勝手に手を加えられた譜面は山のようにあるぞ。クレシェンドやディミヌエンドが付いたヘンデルのソナタの譜面があるぞ。皆の大好きなケーラーのエチュード、版を3つ持ってるが、皆違うぞ。

 「楽譜通りに吹く」という考えこそ、実はいい加減で無責任なことじゃないか?ま、しかし、これだけは言っておこうか。ただの不注意で楽譜通りにできなかったのを、「私の考えでは・・・」とか言うなよ。それ、後出しじゃんけんだからな。

 ものすごく、感覚的で根拠ない考えだが、演奏される音楽の中で、楽譜によって決められる部分は、まあ大甘で50%だな。20%くらいが適当だと思うよ。それに、この比率は曲が書かれた時代が、古くなればなるほど下がっていくはずなんだ。単に、時代が古いとか、記譜法の問題ではなく、こういうことだ。私たちはバッハの後のモーツァルトを知っているし、ベートーヴェンやブラームスを知り、近代音楽、現代音楽、ジャズ、ポップス、演歌まで知っている、そう、演奏する方も、聴く方もだ。まさか、知らない振りも出来まい。構築されるべき音楽の可能性は遥かに大きくなっているのだな。

きょうはここまでだ。

フルートの吹き方 楽譜通り?(2)

 きょう、当工務店に施主から依頼があった。ヘンデル設計事務所のソナタ仕様で家を建てて欲しいという。

 ヘンデル設計事務所は、18世紀にあった大手設計事務所であるが、図面だけが残されており、しかしこれがまた素敵な家なんだな。明暗の対比が特徴の当時の様式に沿っており、間取りは4部屋。最初の部屋と、次の部屋は明暗のセットになっており、最初の部屋は、来客をもてなす部屋で、ゆったりとした空間になっている。第二の部屋はちょっとした活動的な空間で、室内での活動的なゲームなんかに使われる。第一の部屋と、第二の部屋の間にはドアなどは無く、ほとんど繋がっている。専門的に言うと、半終止・アタッカ構造と言うんだ。廊下を隔てた第三と第四の部屋もセットだ。第三の部屋は、ゲームに疲れた人たちが、ゆっくりと休める空間になっている。やはり、第四の部屋とは第一部屋と第二部屋の関係と同じ半終止・アタッカ構造で、繋がっている。第四の部屋は、明るく景色が良くて、くつろいだ客はおしゃべりして楽しむことができる。

 ヘンデル設計の図面には、この大まかな間取りに沿った柱の構造だけが示されており、壁や内装等は工務店の技量に任されている。設計された当時は、まだ入手できる素材に限りがあって、ほとんどは漆喰の壁だったようだ。ただ、明暗の対比が価値観の中心だったので、第一と第三のゆったりした部屋の壁は黒の漆喰、第二と第四の部屋は白の漆喰と、かなりコントラストが激しい。この漆喰の壁には装飾が施されるのが普通であるが、施工代金をケチると何の装飾もない壁だったり、工務店自体に最初っから装飾なんか付けるつもりのないところもある。でも、それは、まだましな方で、悪徳業者に引っかかると、柱だけで完成だと言うんだ。壁なんか付いてないから、これじゃ住めない。クレーム付けると、「設計図通りですけど何か?」と言って平気な顔だ。

 壁の装飾は、当時のイタリア工務店だと、柱を覆うように壁を作り、天井から床まで装飾でびっしりだ。フランスの工務店は、それとは違って、柱と柱の間に壁を作り、装飾もとてもシンプルなものを使う。さて、当工務店だが、施主の「ちょっとぶっ飛んだ」趣味から、新素材も検討しなくちゃならない。19世紀になると、明暗の対比による白黒壁から、グラデーション壁が発明されて、間取りも自由になった。第四の部屋が豪華絢爛になって、主人の自慢気な様子が私にはちょっと気に障るところだ。

 現代素材にも色々あって、最新はバーチャル壁とかプロジェクションマッピングなんてのがあるが、これはヘンデル設計の図面にはちょっと無理だ。でも、そのうち上手くやってくれる奴が出てくるだろう。ロック金属の出したヘビーメタルも面白いが、これは自由建築に合った素材で、小さく切り取るのは無理だろうな。それなら、ジャズ工業製のスゥィング素材が面白いかな。ちょっとおとなしいけど。スゥィング・ディテールは18世紀にもあったし、ヘンデル設計の美しい柱の組み合わせを生かして使えるかも。そうそう、日本製の演歌ビニールも考えないではないけど、柱の強さに対して、どうも素材が弱いな・・・ワクワクするなぁ

きょうはここまでだ。

フルートの吹き方 大切な話をしよう(1)

 どうだ?そっちの方は年は明けたか?黙ってりゃ、年は明けるもんな。だから、「おめでとう」って言えない、苦しんでいる人たちの痛みを、今こそ、感じようじゃないか。

 せっかくの元旦に、アンブシュアがどうの、指使いがどうのって、あんまりチマチマした話もなんだから、ちょっとだいじな話をしようと思う。

 なぁ、「人を斬りたくて」剣術の稽古をしても、とても達人にはなれんよな?弟子入りするとき、達人に念押されただろ?「抜かぬと約束するなら教えてやろう」って。あぁ、弟子入りしてないのか。達人は抜かずとも、敵は逃げていくのよ。じゃ、なんで稽古すんの?なんで、いつも刀差してるの?って話さ。守るため?何を?自分を?そうか?もっと何かあんだろ?

 フルートを稽古するとき、「上手くなりたい」ってのは、モチベーションとしては極当たり前だ。だけど、「人より上手くなりたい」、「~さんより上手くなりたい」っていうのは、ちょっと違うぞ。だいたい、「上手い」って何なのよ。きれいな音で、正確に指が回って、表現力に優れていて・・・で、それがどうしたの?

 フルートの究極の音色は、息をつまりは命を全部音に替えることだと、言ってきた。いったい何のためだったらそれができるのか?競争に勝つためか?賞賛を浴びるためにか?一生の伴侶として求める彼(女)にプロポーズをするとしよう。どうしたら、自分の思いを相手に伝えられるか、考え、苦しむだろう。その時に、参考書買うか?ネットで探すか?発声練習するか?本番で、相手の胸を打つのは、美辞麗句でもなく、美しい声でもないんだ。声なんか、裏返ったって、掠れたっていい。舌がもつれたっていいんだ。真実を話すことだ。つくった美しい声で、立て板に水のようなプロポーズは、かえって信用できないんじゃないか?サプライズだってあってもいいけど、あんまり過剰な演出だったら、引くよな。「このひと、真面目じゃない!」って。音楽も同様に、価値を持つためにはここが大切なポイントだ。あらゆる音楽は、それが奏でられる時間と場所、何のために、誰が、誰に向かって奏でるのか、その情況(それは、二度と訪れることのない瞬間でもある)によって、価値は定まる。想像してくれ。孤独なお年寄りたちを慰めようと、あるホームに慰問に行くとしよう。まだ、覚えたてかもしれぬが、子供たちの熱心な演奏は感動を与え、きっと大喜びされるに違いない。もし、私が、こんな経歴ですって、何かを引っ提げて、「上手い」演奏しようとしたら、まったく喜ばれることはないだろう。拍手ぐらいはしてもらえるかもしれないけどね。音楽の価値ってのは、そういうもんだ。

 なぁ、世の中には、自分よりもほんとはもっともっと才能があるのに、楽器に触れることさえできない人だっているんだよ。「ああ、一度でいいからあんな風にフルートで音を奏でてみたい」って、思っている人はたくさんいるんだ。フルートを持っているという事実で、既にすごい事だし、まして音を出せるなんて、ものすごいことだ。すでに私たちは、選ばれた人達なんだ、だったらそれぞれの立場で何らかの責務があるだろうってことを言いたいんだ。上手いも下手も無いんだ、ほんとうは。

 留学先をたたんで帰国したとき、本当に仕事がなかった。まじ、止めようと思った。心が折れそうだった。ある演奏会のあとで、手紙をもらった。そこにはこう書いてあった。「素晴らしい音楽でした。帰宅してから知らず知らずのうちに、いつもより優しく子供に接している自分に気が付きました。」泣いたよ。何日も読み返しては泣いた。そのとき、絶対止めないと決心したんだ。

フルートを腕自慢の道具にしてはならない!

それだけ言いたい。

今日はここまでだ。

フルートの吹き方 大切な話をしよう(2)

 現代人にとってイエス・キリストの伝説を、すべてを信じるのは、難しい事かもしれない。しかし、実在はしたようである。奇跡をおこない、病を治し、多くの民衆が彼に従った。なぜか。トリック、心理操作、巧みな弁舌によって、これらが成されたと片付けてもよいけれど、しかし、音楽においても、メロディーと、ハーモニーと、リズムだけでは、決して説明できない何か、それこそを常に求め続けている我々にとっては、想いを巡らせてみる価値は十二分にあるだろう。

 イエスはとてつもなく魅力に満ちた人間だったのだろう。その魅力はたぶん、何かを成し、語り始めるよりも前に、多くの人々を惹きつけていたに違いない。原因があって、結果が生じるというのはごく当たり前の考え方だが、この場合、奇跡を重ねることによって、人々が集まったのではなく、人々が集まることによって奇跡が起こった、信じる人々が集まることによって、病を治癒することができたと、考えられないだろうか。では、その人々が集まってくる原因は何だったのか。

 「いつも、彼の方から、暖かい風が吹いてきた」

 素晴らしい演奏とはどんな演奏なのか。まさに「暖かい風が吹いてくる」演奏ではないのか。私は昨日、「腕自慢の道具ではない」と書いた。考えてみてほしい、腕自慢のフルートから暖かい風など吹いてくるだろうか。他人の演奏を聴いて、音がきれいとか、指が回るとか、表現が豊かだとかを聴き取ることは結構なことだが、そんなことに耳を奪われてしまってはいけない。最後に「その演奏からは、暖かい風が吹いてきたか?」と、問おうじゃないか。自分に対しても同じだ。あがったとか、音を間違えたとか、上手く音が出なかったとか、当たり前なんだ、人間のやっていることだから。その人間だから、暖かい風も吹かせることができるのだし、そんなことで、終わった本番を悔やむ必要はない。「きょう、自分から暖かい風は流れただろうか?」と、問うてみれば良いのだ。皆が互いにそうすれば、きっと音楽は力を増す。そのとき、何らかの奇跡が起こったとしても、私たちは驚きはしないだろう。

 私たちは、いつも様々な事情や、思慮を失った感情によってどれだけ冷たい風を吹かせてしまっていることか。でも、イエスじゃないのだから、せめて、このフルートを持った時だけは、誰にも負けないほどに、暖かい風を吹かせることができる、と自分のフルートに約束しようじゃないか。

 でもなぁ、難しいよなぁ。
暖かい風がいつも外に流れていくためには、いつも心に火の玉を持っていなければならないのかもしれないね。
今日はここまでだ。

フルートの吹き方 大切な話をしよう(3)

 ちょっとだけ昨日の続きだ。なぁ、子供たちよ!今度フルートを練習するとき、隣の部屋のお母さんに向かって、感謝の気持ちを込めて、思いっきり暖かい風が流れていくように吹いてみようか。曲なんかなんだっていい、ロングトーンや音階練習だっていいんだ。もし、後でお母さんが優しく抱きしめてくれたら、君は、間違いなく大フルーティストになれる。保証する。「いい曲ね」って言われるのも悪くないな。でもな、大人は素直じゃないから、「さっきの曲はなんていう曲?」とか、「最近上手になったわね」とか「次の本番はいつなの?」とか聞いてくることもあるな。もっと、素直じゃないと「なんか今日は音が大きかったわね」とか、「ずいぶん一所懸命に吹いてたわね」なんて、こっちの気持ちとは裏腹に、カチンとくるような事を言うかもだ。でもな、全部大正解だ。君はいい音楽家になれるよ。「いい音楽家」というのは、「プロの」という意味じゃないぞ。ここでいう「いい音楽家」というのは、「世の中が求めている本当の音楽家」という意味だ。そういう意味では、プロもアマも関係ない。プロっていうのは、音楽以外にも色んな事を勉強したり、克服したり、戦ったりしなくちゃならないからな。そうしているうちに、「世の中に求められていない音楽家」になっちゃう人もたまに居るからな。あ、余計なことを言っちまったな。え?お母さん、何にも反応しなかったか?う~ん、じゃ、もう少し頑張ってみようか。でも、ひとつ、やっちゃいけないことがある。それは、「こっちから聞くな」だ。「どうだった?」なんて聞いてみろ、軽々しく褒めるか、知ったかぶりで批評するかどっちかだ。屁の足しにもならん。君のフルートの音色を、直接奴の心に叩き込め!、いやいや、君の暖かい風で、お母さんを優しく包んであげよう、ぜ。

 さて、大人諸君!貴方は上の文の登場人物の誰に自分を置き換えられる?子供、お母さん、大フルーティスト、いい音楽家、良くはないプロ、こっちから聞いちゃう子、褒め屋、知ったかぶりの批評家、屁・・・俺は、大フルーティストより、子供のほうがいいな。そして、たぶん、抱きしめられる子供より、もう少し頑張らなくちゃならない子供のほうが、俺には合ってる。

 きょうは、「楽譜に忠実」とか、「楽譜通りに」っていうのが、どんなに馬鹿らしい事か書くつもりだったんだ。でも、長くなりそうなんで明日にする。そのあと、「息の取り方」、「楽譜の読み方」、「テンポの取り方」・・・沢山あるんだ。期待しないで待っててくれ。

きょうはここまでだ。