フルートの吹き方 音程(3)

昨日までの話で、疑問を持たれた方はいないだろうか。「絶対音感」なんじゃそれ? である。ま、絶対音感にも色々あるようで、基準音なしに音高を言い当てられるというレヴェルのものから、1ヘルツの単位で音を言い当てられるという、人間チューナーみたいなものまで存在する。音高を言い当てられる位のレヴェルなら、ガキをちょいと鍛えりゃすぐにできるようになる。それ位だったら、全く罪は無い、「いいんじゃね」くらいのもんだ。しかし、人間チューナーになると、悪いけど、音楽できません。たぶん、演奏の途中で気が狂うと思う。転調したとたんに、メロディーわかんなくなると思う。昨日書いたように、音程は、疑問・修正・妥協で決めていくしかない。妥協というのは、耳の欲求をなだめて、その音を新たな基準に置き換えるという作業だ。それは、音を「相対化」するという仕事であって、音楽という行為の中で最重要な要素だ。それは、明らかに「絶対音」よりも、上位に位置する。

もし、高レヴェルの絶対音感を持っていると主張し、尚且つ自称音楽家であるなら、倍音の原理には反応しないという、よほど、鈍感な耳を持っているのか、そもそも「絶対音感」自体「眉唾」なんじゃないか。物理的と言おうか、生理学的と言おうか、「倍音」という概念自体、「相対」から成り立っているんだから。

そもそも、絶対音感なんて自慢したり、羨ましがられたりするのは日本くらいのもんだぞ。もとはと言えば、帝国海軍が、敵機来襲をいち早く知らせるために、国民に普及させようとしたことに始まる。馬鹿馬鹿しいんで、途中で止めちゃったらしいけどね。

そういうわけで、諸君! 絶対音なんか羨ましがるんじゃない。はっきり言っておくが、音楽には不必要だ。同じ「絶対」を自慢するなら、なぜ、「絶対テンポ」という概念が出てこないのか不思議だと思わんか? そう、人間メトロノームだ。こっちの方がはるかに便利だし、害も少ないんじゃないかと思うんだけどなぁ。昨日は音楽を、呼吸や、鼓動や、体温にたとえたが、いずれにしても、それらは、変化することが特質であり、そのことによって「命」を守る役割を果たしている。

我々は命を尊び守りつつ、しかしいつの日かそれを失う。その潜在的な悲しみの中にあって、絶対的な価値観を求めるのは人間として至極当然の欲求だろう。だが、永遠に吐き続けられる息は無いし、微動だにしない楽器の保持も無い。絶対的な音程も無いし、変化しないテンポも無い。言い換えれば、生きている限り自由であるし、そのことがまた、生きる難しさでもある。楽しいじゃないか!

きょうはここまでだ。

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