月別アーカイブ: 2017年1月

フルートの吹き方 癖(1)

仮に、誰もが認める大奏者に、何らかの癖を見つけ出したとしよう。で、それを真似すれば、その奏者のように吹けるようになるとはだれも考えないだろう。しかし、かっこだけ真似て、脳内で大奏者になって、うっとり吹いてみるのも、楽しいに違いない。恰好を真似る為の観察も、フルートをうっとり吹きたいと思う心も、どちらもフルートに対して積極的でなければならず、それは貴重で大切なものだ。

「癖を直せ!」と、言うのはものすごく簡単だ。医者が患者に「安静にして、規則正しい生活を・・・」と言うくらい簡単だ。ついでに言うと「頑張りましょう」「練習しましょう」「落ち着いて吹きましょう」も簡単だ。「正しい姿勢で」も簡単だし、「力を入れないで」も簡単。ずっとお読みいただいている方にはお解りいただけると思うが、「どうすれば頑張れるのか」「どうすれば練習したくなるのか」「どうすれば落ち着けるのか」「どうすれば・・・・できるのか」を書いてきたつもりだ。だから、「どうしたら癖を直せるのか」を書かねばならない・・・厄介だなぁ。

どうして厄介なのかというと、「癖」と「個性」の境界は、結果によってしか判断できない。そして、結果とは何か。大奏者としての評価を得るまでになれば、それを個性と評価して良いのか。でもな、癖のある奏法の大奏者は歳を取るとボロボロになるぞ。フルートだけじゃない、他の楽器でもそうだ。大奏者だから、あえて名前を挙げないけど。人は老いる。若い頃と、同じ顔をしたまま歳は取れない。大女優以外は。?。顔や、唇の状態が日々変化していくなかで、癖のある奏法をいつまで維持できるのか。やはり、合理的な奏法がいいんじゃないか?60になっても、70になっても、80になっても活き活きとした音でフルートを吹きたくないか?

しかし、こういうこともある。例えばテニス。40年前と今とでは全く違うテニスをやっている。バックの両手打ちなんか殆どいなかったし、えげつなく回転するボールも今日ほど打たれることはなかったと思う。でも、明らかに先駆者がいて、新しいテニスを創り、発展させてきた。「美しいテニス」が価値としてあった時代に、両手打ちなんかみっともなく見えた。フルートにおいても、今は単なる「癖」にしか見えない事が、「先駆的役割」につながるかもしれないのだ。

癖を直すのは苦しい。同じパッセージを何十回も繰り返すなんて、癖を治すことに比べりゃ楽なもんだ。ちゃんと言おうか。直さなければならないと自覚している癖から目をそらして、ガンガン練習しては、いかんよ。勇気だ。信念があるなら、貫いた方がいいい、誰が何と言おうとも。だが、「まずい」と思ったら、すぐに直したほうがいい。分かってる! 誰でも。物凄い勇気がいるんだ。根気と忍耐を支えるのは勇気だ。良い先生は、きっとそれを支えてくれる筈だ。

わが師ハンス・ペーター・シュミッツ博士は生徒の前で一切フルートを吹かなかった。薄い鞄ひとつだけ持って、レッスンにやってきた。30代で現役を引退していて、生徒の間でも、果たして自宅で吹いているのかさえ知るものはいなかった。「生徒は、まず先生の一番悪いところを真似をする」から、らしい。このブログの最初の方で、「私たちは誰も聴いたことがないような美しい音」で吹くことが目標であり、誰もがそれを実現することが可能と書いた。 (2016年12月26日)その意味で、博士には多いに大いに感謝している。すべてを、考えさせてくれたからである。

きょうはここまでだ。

フルートの吹き方 癖(2)

癖というと、持ち方とか、アンブシュアとかすぐに考えつくが、実はまだある。でも、今日は持ち方だ。

持ち方について私がどう考えているかは、申し訳ないが「フルートの吹き方 持ち方(1~4)」を今一度お読みいただければと思う。色々な持ち方があって良いのだが、やはり、右手の薬指、小指あたりが、伸びきって突っ張っているのは明らかに、指の動きに支障が出てくると思う。つい最近YouTubeで見たんだが、あの有名フルート奏者P氏の右手小指は突っ張ってるな。真似はしないほうがいいと思うよ。言い訳にもしないほうがいいと思う。私だったら生徒に注意する。そのとき「だってP氏もそうしてるもん」って言ったら、もう何も言わんが。英国のことわざだったかな、馬を水場に連れて行っても、首を下げるのは馬自身だから。You can lead a horse to water, but you can’t make it drink. 冷たく言ってるんじゃなくて、苦労を知っているから。私自身、最初の3年くらい指を突っ張らかして吹いてたからね。さて、ちょっと頑張ろうか。

こう持たなければならない、ここをこう直さなければと、負の要素であまり考えないほうがいい。目標を大きく置いて、それに必要な技術だと考えるようにしたらどうだろう。良い音を出すためにというところでさんざん書いたのだが、「息のエネルギーを最大の効率で音に変える」事を目標にしたらいい。これは言い換えると、「無駄な力を使わない」「なんにもしないで吹く」だ。スッと立って、ふわっと楽器を持って、普段の顔で吹くということ。それが理想だ。そのためにはどうしたらいいか・・・ああ、じゃあ持ち方の研究をするか・・・のような思考順序で行ったほうがいいんじゃないかと思うな。そして、3日間、研究と我慢だ。フルート持って、歌口は肩に担ぐようにして、手の研究だ。長時間でなくていいから、根を詰めて悩む、祈る、決意する。3日だ。たった3日。その間、ロングトーンとか、すごくゆっくりの音階練習ぐらいならやってもいいが、止めとけ。

ここで思い出したんだが、ハンス・ペーター・シュミッツ博士のクラスでは、最初の半年間、1オクターブ目のH(シ)しか出させない。ほんと、マジで。その間、徹底的に音のコントロールを学ぶんだ。内容は、いつか書こうと思う。で、特にきょう書きたいのは、半年後だ。3週間に1度くらいの頻度で、クラッセ(klasse=Klassenvorspiel)というクラス発表会のようなのがある。半年後に、すごく簡単な曲をもらって、そのクラッセにデビューするんだ、新人が。これが、イイんだな。皆、音楽に飢えている状態だから、どんな簡単な曲でも、喜びをもって、精魂込めて演奏する。これ、感動する。

話を元に戻して、3日経ったら、忘れていい。その3日間の「苦悩」があると、それは頭の隅に残っているはずで、色々な局面で、「気になって仕方がない」はずだ。昔の悪い癖も出てくるかもしれないが、そんなに罪悪感はいらない。禁煙じゃないんだからさ。3週間過ぎればたぶんOKだよ。直るよ。

考えても、考えても答えの出ないとき、一度忘れてみるのがすごく効果的だ。人間、すごい能力があって、バックグラウンドでちゃんと考えてる。そうすると、ある時、問題が解決された状態で、ポッと意識に上ってくる。思いがけない瞬間に。もし、未だ答えが得られない問題があったら、是非試してみて欲しい。

きょうはここまでだ。

フルートの吹き方 癖(3)

吹き方の癖、アンブシュアの癖というのが最も微妙で厄介な問題だ。そもそも、何が正しくて、何が癖かの判断が難しい。しかし、フルートの全ての音域で、強弱や、音色の変化の要求を満たすためには、それなりの柔軟性を持った吹き方は必要だろう。それぞれの局面で、難易度に差があるとしても、「苦手」はなるべく無くしておいた方が良い。

よほどの事情がない限り、唇の中心で吹くことを強くお勧めする。フルート奏者は音楽上の様々な要求にこたえるために、息のスピードや、角度、形、太さ等を臨機応変に、そして瞬時に変えなければならない。しかしその時、息の中心は、必ず歌口の中心を捉えていなければならない。もし、唇の横で息穴を作っていたら、唇に加える力が変化したときに、この中心が狂う可能性が高くなる。そうすると、高音域などで唇に力が加わった時に、発音が困難になってしまうことがある。心当たりがあったら、一度鏡で確認してみよう。鏡は、譜面台に置くより、壁に平行な姿見のようなものがいい。そして、鏡に10センチくらいまで近付いて息の穴の状態をよく研究するんだ。正しいアンブシュアを身に付ければ、4オクターブ目のE(ミ)までは大抵の楽器で出せるようになる。

もうひとつ重要なのは、前回にも述べたが、加齢による顔の変化だ。顔の形は絶対変わっていくのだから、厳密にいえば、日々修正が加えられなければならない。この時、唇の真ん中で吹いているのと、微妙な力加減で横で吹いているのとでは、大きな労力の差ができる。はっきり言おうか。唇の横で吹いている奏者は、多くの場合歳を取ると音色がボロボロになる。別に「横」だけじゃなく、不自然な力を必要とする吹き方は、加齢による変化への対応が難しい。

なぜ、加齢による変化まで気にしなくてはならないのか。それは、吹き方の修正はとても難しいからだ。だから、できれば最初から、真ん中で吹くことを覚えて欲しい。これは99%先生の責任であると思う。どのようなアンブシュアが理想なのかは、「良い音を出には」をご覧いただけたらと思う。

昨日書いたが、ハンス・ペーター・シュミッツ博士のクラスでは、最初の半年間1オクターブ目のH(シ)しか吹かせない。音階練習も、エチュードも禁止だ。そこで、真ん中で吹くことを強制される訳では決してないが、しかし、アンブシュアの再構築は、音ひとつで半年間も練習しなければならないほどの問題なのだ。だから、最初から身に着けておいた方がいい、そして、直すなら早いに越した事は無い。

アンブシュアの癖を直すのは、現在の修正というより、一から作り替えをするんだと決めたほうが良い。覚悟と、忍耐が、そしてそれを支える勇気が必要だ。たとえ、半年かかったとしても、その後に開ける道は遥かに遠いところまで続いているはずだから。

きょうはここまでだ。

フルートの吹き方 癖(4)

きょうはちょっと気が付かないリズムの癖について書く。癖というよりも、誰もが持っている傾向、気が付きにくい癖だ。普段から気を付けていれば別に問題は無いんだが。特に今まで考えていなかったとしたら、一度、録音して聴いてみる事をお勧めする。

まずいわゆる「喰いつき」。次の譜例だ。


この、頭の十六分休符の直後の十六分音符、つまり、拍内の2番目の十六分音符が、「短くなる」。こんな風になる。


同様に、次のようなアーティキュレーションの場合、やはり、2番目の十六分音符、スラーの頭の音が短くなる傾向がある。

こうなる。


これを直すには、次のような練習をするとよいだろう。

繰り返し記号で書いてあるが、2回じゃないぞ。続けて何回もだ。

ちょっと面倒だがこんな練習をするともっと効果的、というか強力。

ひとつだけにしとこうか。ん? 短い? すまんな、勘弁してくれ、晩飯の支度する。
寿司つくるんだ。

きょうはここまでだ。

フルートの吹き方 本番(1)

「本番で上がらない方法」って、キャッチーなタイトル付けても良かったんだが、「本番」ってそれだけじゃないしな。でも、「あがる、あがらない」が大方の興味のようだし、ありがたい御指南を授けてくれるサイトも沢山訪ねさせていただいた。何回かに分けて書いていくが、最後まで読んでいただければ、自ずと「あがらない」方法は明らかになると思う。ぞ。そもそも、「上がらなきゃいいの?」って、別に喧嘩売ってるわけじゃないけど、そっちの方も考えていかないとな。対症療法ばかりでは薬代がかかってしょうがない。

実は、ドイツ語で「あがる」に相当する言葉は無いといっていい。確かに、Lampenfieberって単語はあるけど、直訳すりゃランプの熱だからなぁ。さらに、和独辞典で調べると、「常軌を逸する」とか、「取り乱す」ってな意味になって、我々音楽家の「あがる」感とはちょっと違う。日本語では、「あがる」という明らかな負の意味を持つ単語があって、本番前にその単語を思い浮かべるだけで、もう「あがっちゃう」位だもん。ほとんど負の自己暗示だ。で、じゃぁドイツ人は何と言っていたか。何度となく聞いたのは、「きょうは、緊張して、集中できなかった」だ。「おぉ!」と思わんか?こう言えば、なんとなく解決できそうじゃないか?

だから、きょうは集中力の話だ。集中力は高いに越した事は無いが、単に「集中!」って思っても駄目だ。猿じゃないんだから。今、あなたの集中力は平均すると50のレヴェルを保てるとしようか。で、それで例えば難度が60の曲(例えばの話だ)を吹きとおすことができるだろうか? そのままじゃ無理です。イチかパチかにかけるか、エイヤッて気合でいくか、なんかが降りてくるのに期待するか・・・そんな事考えるからあがっちまうんだよな。そうです。集中力を波立てて、山・谷を作り平均を50にしてやればいいのです。集中力30の谷で吹けるところがあれば、上は集中力70で通過できるはずだ。日頃から、そのコントロールを練習するんだよ。自分の練習をするときでも、レッスンでも、集中力をコントロールする事を訓練するんだ。具体的には、いくら難度60の曲といっても最初から最後まで60ってことはない。どこかは30で吹ける所があるはずだ。そこを集中力50で通過したら全くの無駄といっていい。そして難しいところは誰が吹いても難しく、何回練習しても難しい。だから、「難しいと感じなくなるまで練習」して、集中力50で通過しようと思うのも馬鹿馬鹿しい。第一そんなことしたら、音楽は腐るぞ。生ものだからな、音楽は

だから、今自分が吹こうとしている曲で、「どこが、どのように難しく」、「そのためにはどのような集中が必要か」を分かっていなければならない。それが、頭に入っていないうちはまだ練習が足りないといっていい。頭に入れば、それに合わせて集中力をコントロールできるようにする。もう一度言う。曲に自分の集中力の山・谷を合わせることを練習するんだ。「すっごく難しい」曲を、「なぁんとなく怖い」思いで吹いていたら、楽しくないよな? ついでに言うと、難所はできるだけ範囲を小さく特定しておくこと、できれば音符の場合、二つ無いし四つまで位に特定しておくと良いだろう。前にも書いたが、人間が一度に目で認識できる数は4までというからな。そして、その難所を通過するにあたっての必要な技術も整理しておこう。難所と言えば、指回りのことが多くなると思うが、それだけじゃないぞ。

本当に難しい曲というのは、「集中力のコントロールが難しい」曲だ。

きょうはここまでだ。

フルートの吹き方 本番(2)

昨日は「上がる」を「緊張して集中できない」と置き換えて、対処の方法を書いた。きょうは、その前段、「緊張する」ということについて考えてみたい。まず、緊張した時の結果は、緊張しなかった時の結果よりも常に悪いのだろうか。そんなことはないよな。それを知っていて、なぜそれでも緊張しないで演奏することを望むのか? 不可解だよな。そこで、きょうは「緊張ぐらいしようよ」って話だ。それでも、緊張のあまり、足がや唇や指が震えたり、テンポや音程が分からなくなったり、呼吸が浅くなってしまったらどうしようと、不安は尽きないよな。わたしゃ、何十年もフルートを吹いているがね、未だにそんな不安から解放されて、本番を「楽しく」やったなんて経験は無いな。凄い上がるんだよ、いっつも。本番前に、気がつくと、今逃げ出したらどうなるんだろ、ってマジに考えてることがあるくらい、私は上がる。自慢したいくらい上がる。

だが経験を積んで、今では、こんな風に考えることにしている。
演奏を聴きに来る人々は、「音楽から何らかの示唆を得られる」ことを期待して、わざわざ、貴重な時間を使おうとしている。一生に一度のかけがいのない時間を、そこで費やそうとしている。それに答えようとするなら、緊張して当ったり前、たとえ聴衆が一人でも、当たり前じゃないだろうか。でも、ここで重要なのは、「音楽からの示唆」であって、「私からの示唆」ではないということだ。それは教会の礼拝のようなもんだ。会衆は、司祭を拝みに来たのではなく、その向こうのキリストを拝みに来たのだ。そう思えば、聴衆の目や耳の圧力を全部「自分」で受け止める必要はない。その圧力は自分の体を通して、後ろのモーツァルト(例えばだ)に引き受けてもらえば良い。そう考えることで、ほんとに楽になったぞ。数日前に良い音楽とは、「そこから暖かい風が吹いてくること」と書いた。(1月2日)モーツァルトから流れてくるその暖かい風を、そのまま客席まで届ければいいのだと。

もっと大げさに言う、音楽は人を助け、勇気づける力を持っている。今、川に溺れている子供がいるとしよう。あなたは飛び込む。今、何を着ているかなんて考えない。泳ぎが上手いかなんて考えない。何泳ぎで泳ぐかなんて考えない。見物人が集まって来たから、かこよく泳いで見せようなんて、もちろん考えない。リラックスしようなんて考えない・・・貴方から吹いてくる暖かい風が、いま、誰かの助けになるとしたら、暖かい風のことを考えるだけでもう精一杯じゃないか。

今一度、私たちが「上がる」ことによって何を恐れているのかを考えてみよう。
せっかく練習したのに成果を披露できない。期待を裏切りたくない。うまく吹けなかったら恥ずかしい。笑われたくない。恥をかきたくない。自分が一番下手だったら恥ずかしい・・・なんだか貧しい話だな。 もしかするとそんな貧しさを知られることを恐れているのかもしれない。「フルートは腕自慢の道具ではない」って書いたけど、(1月1日)本番で出てくるよ。恐怖となって自分の身に降りかかってくる。

私はまだ初心者でそんなレヴェルじゃないって、思っていたら、それは違うと思うぞ。選ばれて、フルートを手にした瞬間から、暖かい風を吹かせる力も、使命も持たされていると思って欲しいんだ。今日なのか、明日になるのか、きっと、みんながその風を待っている。

音楽、上手い、下手じゃない。

明日は、上がらないためのもう一つの具体策を書くよ。

今日はここまでだ。

フルートの吹き方 本番(3)

どうしても若い頃は、自分を中心に考えてしまうので、演奏においても自分を中心に置いて考えがちだ。しかし、一歩下がって眺めてみよう。どんなに演奏家がその能力を誇示しようとも、音楽は、作曲家や、聴衆や、音楽の歴史や、伝統や、諸々の助けがあって初めて成立するものであることが分かる。(1月19日)もちろん共演者、スタッフのことも忘れてはいけない。だから、大きな仕事に携わっている一員、しかし重要な一員だと、そのくらいの意識でいいと思う。

理念や、精神論書いても嫌われるから、もっと実践的なことを書こうか。
演奏会が近づいてきたら、不安で眠れないこともあるだろう。そのとき、冷静になってシミュレーションをしてみる。舞台に上がるところから、お辞儀をして曲を始める。曲は全部テンポ通りに正確に最後まで思い浮かべるんだ。途中で眠っちまったら、まだ恐れが足りないな、次の日にやり直せ。で、曲を最後まで正確に思い出すことができて、お辞儀までして、舞台袖に消えるまで。それを「一度も間違えないで」吹けたら、本番でも絶対大丈夫だ。でもね、不思議なんだよな。間違えるんだよ。自分で、自分のことを想像しているだけなのに、間違えるんだな、これが。そこが、怪しいところだ。次に日の、練習の重点におこう。何日やっても間違えるよ。ほんと不思議。このシミュレーションで間違えなくなったらOKだ。大丈夫だ。どうしても、途中で寝ちゃうんです、ってか? いい性格だな。いや、マジで。きっと人気者だろう。じゃ、起きてやるか。その時、本番の衣装着てみるのもアリだな。そうそう、本番の二日前になって、「どうしよう!ドレスの背中閉まら・・・」なんてのがたまに居るからな。男はその辺ごまかせるからいいな。でも、初めてタキシードを着るとか、燕尾服を着るとかの場合は、演奏会自体相当プレッシャーのかかるもののはずだから、やっておいた方がいい。どんな世界でもそうだと思うが、仕事のできる奴はみんな例外なく臆病だ。できない奴に限って、皆がびっくりするほど大胆なんだよな。勇気とは、臆病を恐れないことだな。うん。

あとな、本番前の楽屋でガンガン練習するなよ。大体、楽屋というのは響きすぎるところが多い。舞台に出たとたんに、「あれっ! 鳴らない!」って、気を失っても知らんぞ。耳が響きに慣れちゃってるんだよ。舞台は空間的にも広いから、音が反射して帰ってくるまでの時間が、かなり違う。だから、チューニングやってるふりして、反射音を耳で捉えておくんだよ。だから、チューニングするんなら、ちゃんと音をだしといたほうがいい。コソコソ、適当に合わせたふりするのは無意味。そんなんで、上手そうに見せることもないだろ。私は、チューニングの音が嫌いで、よほどのことが無い限りチューニングはしない。だって、皆、シーンとして、曲始まるの待ってんだろ。楽器の角度が正確で、大体の気温が感じられてりゃ、自分のフルートのピッチ位わかるもんな。ついでに言うけど、イベント会場の音響屋さんのマイクテスト、あれ、気分が悪くなるくらい嫌い。「ッテ! ッテ! ッテスト! ッツ! ッツ! ット!」って永遠にやってる。いかにも、「微妙な仕事してます!」みたいで。プロなら3秒とは言わん、10秒で決めろって言いたいね。なんか突っ込み入りそうだから・・・

あ、それから、出待ちの暗がりで、ジジイ達が(サマジイとも言う)、とんでもない馬鹿話をしていても、とんがるな。あれ、集中力の波作ってんだから。

きょうはここまでだ。

フルートの吹き方 本番(4)

本番で音を間違えるのって、嫌だよな。何をいまさらって言われるかもしれないが、間違いって、音だけじゃない。でも、他の間違いはバレないから、ま、いいや。って、もし、考えるなら、それは演奏自体が間違っている、と言うしかない。音なんか、間違えるよ、人間がやってんだから。それがそんなに重大な事なら、機械に任せりゃいいのよ。打ち込みでいくらでも、「それっぽい」のはできるんだから、今の時代。CDなんか継ぎ接ぎでいくらでも訂正したものを作成できる。俺のパソコンでだって、全くわからないくらいに継ぎ接ぎできる。でも、そんな事、何百年も我々は理想としてきたのか? 明らかに違うよな。我々は、人間でしかできない事を追求してきた、いまさら、私が言うまでもないが。

ひとつの音の間違いで、演奏自体が台無しになってしまうことは絶対に無い。だが、登場したとたんに、台無しな演奏はある。聴衆を馬鹿にしないほうがいいい。聴衆は常に自分が思っているよりも暖かく、しかし遥かに厳しいものだ。これは、実はオーケストラと指揮者との関係にも存在する。新しい指揮者が来たとき、最初の棒が振られる前に、殆ど関係は出来上がる。敏感で神経質になっているオケマンにはわかるんだ、その指揮者が何を考えているかが。人々が、「この人の言うことに耳を傾けよう」という気持ちになるかどうかは、話し始める前に、棒が振られる前に、演奏が始まる前にほとんど決まっている。それが、そのまま最終判断に結びつくわけではないけれど、スタートのその差はものすごく大きい。重いはずみ車の回転を止めて、逆に回し始めるには、大変なエネルギーを必要とするだろう。余談だが、そういった思いで政治家の顔を思い浮かべるといい。そんなに居ないだろ? 政治家って、それが命のはずなのにな。

演奏途中で、間違いをやらかし、「うっ!やっちまった」と考えているときに、聴衆は、「とっくに聴いていない」か、「うん、うん、それで次を聴かせて!」って考えているか、どっちかだよ。彼女に、「好きだ!」って言おうとして、噛んじゃった時に、彼女は「困るぅ~」と思っているか「嬉しい!」と思っているかどっちかで、「あ、この人噛んだ!」って考えているようなのとは、付き合わんほうがよろしい。だから、試験でも、オーディションでも、コンクールでも、ひとつの間違いが何らかの減点に繋がるとすれば、そんなもの長い音楽人生の中でたいした価値は無いと思おう。そんな審査員や試験官が居るような所とは、「付き合ってもほどほどに」だ。

演奏会で、私は、間違えるよ。いつも間違える。でも、幸いにも、それで命を奪われた事は無いし、いまだにフルート奏者を名乗ってる。フルートでやりたいことが、まだまだあるからな。

きょうはここまでだ。

フルートの吹き方 音程(1)

問題を切り分けておくぞ。ひとつは、奏法としての音程の高低について、次に楽器の持つ音程の特性について、そして、「音程」とは何かという問題だ。今回はこの一番厄介な「音程とは何か」についてから始めようと思う。

都内のある所に、信号機のついていない五差路があった。いつもロードバイクで走っているところだ。ちなみにな、ロードバイク乗るの大好きなんだが、去年の9月にコケてな、大腿骨折れて1か月入院しとった。で、いまだに「おかあちゃん」の再乗車許可が下りない。関係無い話ですまん。で、その五差路に、ある日信号機が付いたんだ。そしたら、怖いのよ。以前は、皆、一時停止して、相手の様子を伺い、目を見て安全の確認をしていた。ところが、信号機が付いたとたんに、それをしなくなった。何しろ五差路だから、どっちへ行くのが直進か、右折か、左折か、解釈が一定でない。でも、自分の信号が青だと、「こっちが青だもんね」って、皆、突っ込んでくるようになった。もう、相手の目なんか見ちゃぁいないのね。

信号機をチューナーに置き換えてみてくれ。ある日、皆がチューナーを持ってきた。誰も人の音を聴かなくなった・・・恐ろしい話だろ? そもそも、音程は皆で決めるものであって、チューナーが決めるものではない。チューナは持っていても良いが、あんなもん家でこっそり使うもんだぞ。楽器の調整が狂っていないか、吹き方に偏りが出ていないか、ちょと調べてみるには確かに使える。しかし、レッスンやアンサンブルに堂々と持ってくるのはいただけない。耳で合わせようぜ。それが、ゆくゆくは自分のためであり、アンサンブルの向上になるんだから。だいたい、最初に皆がチューナーで、ぴたっとAに合わせられたとしようか、でも、曲が始まった次の瞬間グシャグシャにならないか? その時、チューナー見えるか? 見えたとしてだ、それで、たまたま自分の音がチューナーの真ん中を示していたからと言って、「私は合ってるもんね」って知らん顔できるか? できたら凄い度胸だな。しかし、その性格直さないと友達無くすぞ。

そもそも、音程が合うというのは、振動数が一致するという事で間違いない。そして、その振動数の比が単純な整数比であればあるほど協和する。オクターブは1:2だし、完全五度は2:3だ。完全4度は3:4で、長三度は4:5だ。こんな事を試して欲しい。最低音のC(ド)を吹く。指はそのままで、倍音を出してみてくれ。息のスピードを速めればいいんだ。第一倍音はオクターブ上のC(ド)だ。振動数が倍になるからだ。次に出るのは、2オクターブ目のG(ソ)だ。振動数は3倍になっている。次の倍音は2オクターブ上のC(ド)だ、振動数は4倍で、それは2倍の2倍だからな。次は振動数が5倍、これはE(ミ)が鳴るはずだ。次は6倍で(3倍の2倍)G(ソ)、7倍は何だと思う?B(シ♭)だ。8倍はそうまたC(ド)だ。そうやって、奇数の倍音が出てくると次々に新しい音が獲得される。実は、これ、もう少し続けていると、すっごい矛盾が生じてくる。詳しくは改めて「音階」または「平均律」という項目を立てて書くつもりだ。

今、問題にしたいのは、その協和する音を、協和していると感じる我々の耳だ。耳は鼓膜で音を感じるのは知っての通りだ。その鼓膜は、フルートの倍音と同じように整数倍の振動に協和する構造のはずだ。膜だからな。だから、それを感じられるような習慣を身に付ければ良いのであって、チューナーを見ながらの、「もう少し上」「もう少し下」というような問題では無い。だから「貴方の鼓膜の倍音はちょっと低い」という事は普通はあり得ない。「倍音を感じる習慣ができていない」だけのはずだ。まずはオクターブを、次は完全五度を感じる習慣を付けたらいい。歌ってみるのも凄く効果的だ。なぜなら、声帯も同じような構造のものだから、3倍の倍音を出す感覚によって、完全五度が取れるようになる。我々が音楽に用いる道具、器官、すべてこの構造から成り立っている。その構造に沿って「感じる」ことができれば、それが音感だ。

実は、話はまだまだ長い。後々書くが、我々には、純粋な「協和」を心地良いと感じる一方で、「平均律」という妥協の産物に、自らの耳を屈服させてきた歴史がある。しかし、それによってこそ、音楽は偉大な発展を遂げることができた。その長い葛藤の歴史を思わずして、チューナーの指し示す目盛りに盲目的に従うなら、それは我々の器官を退化に導き、いずれ音楽は崩壊するだろう。

今日はここまでだ。

フルートの吹き方 音程(2)

昨日、チューナーの使い道として、楽器の調整、吹き方の偏りと挙げておいた。チューナーが信用できるのは、オクターブを測る時だけだからだ。奏法においても、楽器の調整においても、オクターブはしっかり振動数2倍の音程として保たれなければならないだろう。ついでに言っておくと、オクターブの次に協和するはずの完全五度でさえ、チューナーは正確に示すことができない。純正調を示すアプリもあるけど、それはそれでかなり面倒な使い方になる。

留学中にベルリンフィルを何十回も聞いた。興奮してくるとピッチが確実に高くなる。それは、あのオーケストラにとって改めねばならぬことなのだろうか? 「いや、ベルリンフィルだから許される」というかもしれない。しかし、それはもっと違うと私は思う。音楽とは、命そのものだと私は言い続けてきた。だから、呼吸があり、鼓動があり、体温がある。美しい人、あるいはハンサムな男性に見つめられたら、呼吸は浅くなり、鼓動は早くなり、体温は上がる。はずだ。そんな事は無い、というのなら、フルートの練習より、おしゃれでもして街に出たほうが、よほど充実した人生になるだろう。ピッチは変動する。私見だが、いや、偏見だが、ピアニストによく「興奮したフリ」をして弾く人がいる。髪振り乱して、鍵盤に腕をたたきつけるようにして、「臭っさぁ」ってのが「よく」居る。演奏にとって、視覚的要素も重要なんだが、あの過剰な動作はきっと、「いくら興奮しても体温が上がらない」フラストレーションのせいじゃないかと勝手に思っている。ま、オーケストラだって、どんどんピッチが変わっていいわけでなく、音程を変えられない打楽器系の楽器(グロッケン、チャイムetc)が出てくるところでは配慮が必要だけど。(大抵低く聴こえるよな。)

ヴィブラートについて考えてみよう。ヴィブラートというのは、音の強弱の揺れと、高低の揺れによって行われる。美しいヴィブラートの振幅は、通常の音域ではあるべき音高の6~8%、振動数においても6~8ヘルツと言われている。(ハンス・ペーター・シュミッツ「演奏の原理」)これ、かなりデカいぞ。デカいと同時に、それぐらいの幅は、必要な幅として許されているという事である。だから、フルートでハーモニーを形成する場合、ヴィブラートをかけるだけでかなり調和して聴こえるようになる。(この意味において、ヴィブラートは必須の技術である。)

さらに、音に含まれる倍音の多寡、質によって測られた音程よりも、低く聴こえたり、高く聴こえたりするし、会場の残響も一定の音程を保っては聴こえない。そして、こういった事情の中で音楽が行われている以上、「音程」とは、ある瞬間に定まった正しい音程が想定できるわけではなく、常に、「高いのか、低いのか」という疑問、調整、妥協の中でそれぞれの奏者によってきめられていく。としか言いようがない。だから、「音程に自信がない」というのは、ある意味で正しい意識だ。しかし、それをチューナーの針で解決してしまうのは、「最悪の解決方法」ではないだろうか。

疑問、調整、妥協と書いたが、それこそ我々が練習によって獲得すべきものであり、経験が大きな役割を果たす。では、どんな訓練が効果的か。ある音と同度の音を重ねて歌う、出す。オクターブ上下を重ねて歌う、出す。完全五度上を重ねて歌う、出す。その時、「合っているか」なんて考えなくていいんだ。「気持ち良くなるまでやってみる」だけでいい。きっと、「これだっ」っていうポイントを見つけられる。だって、鼓膜は膜だから。なるべく一定の音程を保てる楽器の音とともにやってみるのが簡単で良いのだが、えてしてこの種の楽器は電子楽器だったりする。それでもいいけど、私的には、電子楽器の音はちょっとやり難いと感じている。フルート2本でやるともっと勉強になる。相手が下がりゃこっちも下げるしかないしね。慣れてきたらフルート3本で三和音を耳で作ってみようか。きっと、ほんとに美しい和音が聴こえてくるぞ。保証する。ま、それでもチューナーは踏みつぶさないで家に置いとこうな。

きょうはここまでだ。